第一の方法「津軽くんが、好き!」
それは、世間で言うところの一目惚れとは一線を逸している。私が彼を気にかけていたのは、もう一年も前からの話だからだ。
一年前は見ているだけで十分だった。きらきらと輝く彼の姿を、遠くから眺めるだけで満足していたから。
でも、こんな。隣の席になってしまうだなんて。
「あ、あのっ…そ、その…っ、」
突然喋り出した私を訝しげに見つめる彼。ああ、ダメだ。こんなに視界がきらきらチカチカしていたら、何が何だか分からなくなってしまう。
何かを喋らなくてはいけない気分になって、思わず、言うはずのなかった言葉がスルリと口から抜け落ちた。
「津軽くんが、好き!」
あ。
咄嗟のことに、弁明も出来ないまま両手で口を包む。慌てふためく私とは対比的に、ドンドン眼光が鋭くなる彼。数秒空けずに言われた言葉は、私のガラスのハートをゴリっと勢いよく砕いた。
「無理。ていうかアンタ誰だよ。」
「DE・SU・YO・NE!」
冷たく私を見据える彼に、心の涙を流しながら勢いよく、すみませんでした、と謝罪する。
高校二年生の始業式、春休みも明けた後のクラス替えに浮き足立つ生徒達。早速席替えという気前のいい担任のおかげで、ザワザワと騒がしい教室の中、私が告白して数秒で玉砕したシーンに注目されずに済んだ。これを幸いと称したらいいのか、去年も同じクラスだったのに覚えられていないことを悲しめばいいのか、どちらにせよ、あまりいい気分でないことは確かだ。
それでもきっと、私はこのときの行動を後悔しない。それだけは何故か、ハッキリと分かった。
第一の方法
私が津軽蓮司を好きになった理由は、きっと誰にも理解してもらえないだろう。私だってはっきりと言えない「何か」が、心の琴線に触れたから。これは彼のことが好きな人たちの中でも、異質なんじゃないかと思う。
そんな自惚れを抱きながら、今日も彼に告白する。
「おはよう津軽くん、好きです!」
「無理。一昨日来てくれる。」
まだ人のいない早朝、教室へと足を踏み入れた私の視界に入った大好きな彼。あの日から毎朝の恒例行事となった「好き」という言葉を、朝の挨拶と共にこぼす。あまり重くならないように、かと言って軽すぎないように。 いつもの如く私の告白をバッサリと切り捨てる彼に苦笑いを浮かべ、彼の左隣の席に座った。
津軽くんは、容赦がない。
「…おはよう、間宮。」
そして、優しい。
「お、おはようっ津軽くん!」
最初の彼の言葉で沈んでいた気分が、一気に浮上する。なんて現金なんだ、私は。
普通なら嫌われていても可笑しくないのに、始業式の日からずっと告白し続けている私にも優しくしてくれる。それが彼のいいところであると同時に、私を付け上がらせる要因の一つなのに。
日に日に彼を好きな気持ちが大きくなっていく。これ以上、困らせたくないのになぁ。
「そ、そういえば津軽くん、駅前のドーナツ屋さん新商品出たんだって!」
「知ってる。ていうかアンタ、俺があの店好きなの知ってんだろ。白々しい。」
「え、えへへ…。」
どの辺りでバレたんだろう。確かにこの情報は知っていた。もちろん、非合法な手段で手に入れたわけではなく、彼の親友から購買のレアパン一個分と引き換えに入手したものだ。趣味趣向についてちょっぴり聞いているだけであって、決して彼のメアドや電話番号を聞き出してストーカー行為を働いているわけではない。決してだ。
私は無害な女である。
「えーっと、良ければ放課後一緒に食べに行きたいなぁ、なんて。」
「行かねぇ。」
「DE・SU・YO・NE!」
玉砕するのはわかっていた。でも今日はいつもより優しいトーンで挨拶を返してくれたから、少しくらい絆されてくれるんじゃないかと期待してしまった。 馬鹿だ。 そんなわけないじゃない。いつも通り、いい切れ味でバッサリ振られてしまった。
朝から傷を深くしてどうする私!
「おはよう日南ィ、今日もちゃんと振られた?振られた?」
「…あのさ、真理さん。オブラートに包もうとは思わないんですか。おはよう。」
「やっだアンタ春にやらかしてからずっとこれじゃん。包む方が可笑しいでしょ。逆に切り裂くわよ。」
「ねぇ、私の扱い酷くない?」
先ほど登校してきたらしい私の友人、斎田真理。机にガンガンと額をぶつけていた私を見て、彼女はいつものように笑いながら前の席に座った。
真理とは小学校からの友人で、中学も同じ学校を出ている。真理の従姉妹の万里ちゃんとも仲が良いせいもあるのか、気の置けない友人を通り越して姉妹のような感覚だ。
実際は真理は一人っ子で、私には姉がいるのでちょっと違うけど。
「あはは、アンタ額真っ赤になってるよ。ハンドタオル貸すから濡らしてきて冷やしなよ。」
「いいよ。どうせすぐ治るし、誰も見ないと思う。」
「ダメよ。アンタ前もそう言って放置して痕残したんだから。」
げっ。いつのこと言ってるんだろ。少なくとも津軽くんの前でそういう話はしないで欲しい。女子力のなさが露見してしまう。
「ば、し、真理さんシャラップ!」
「はぁ?ほんとのことでしょうが。津軽も言ってあげてよ。この子ねぇ、」
「ダメダメダメ!」
「──────間宮。」
メイクばっちりの真理の顔に両手を被せようとした瞬間、横から大きな手が伸びてきた。
その手は私の眼前を通り過ぎ、真っ赤にしてしまったらしい患部へと到達する。わ、何これ、冷たい。
突然のことに上手い反応が取れない。
「保冷剤。あげる。」
「へ?」
「来る前ドーナツ買いに行ったからもらった。ついでにこれもやる。アンタ、こういう味好きだろ。」
大きな手が通り過ぎていく。保冷剤が落ちないように両手で支えている私の机に、たくさんのナッツと溶かした砂糖でコーティングされたドーナツが置かれた。ドーナツの下に敷かれたティッシュは津軽くんが持ってきたものだろう。ちょっとした配慮が出来るだなんて、津軽くんは何処までいい男なんだ。
それに、ドーナツの選択も大当たりだ。何で分かったんだろう。
「…あ、ありがとう。」
嬉しい。津軽くんが私の好みを知っていたこと、津軽くんが大好物のドーナツを分けてくれたこと。私の好みは兎も角、友人に取られるのさえ嫌う津軽くんが私にドーナツを分けてくれるだなんて、奇跡に近い話だ。
初夏の今日、冷房付きの教室とはいえ砂糖が溶けてしまうこともあるので、これ幸いと貰ったドーナツに手を伸ばした。
「…」
「…ふむ、む!これ物凄く美味しい!え、津軽くんこんなお店見つけるなんて凄いね?!だってあのお店、駅前って言っても結構込み入ったところにあったよね。隠れ家みたいで、ドーナツ屋さんに見えなかったし。津軽くんはお店を見つけるのも上手いんだ!いいなぁ。あのね、こん、ど、」
一口食べるだけで、サクサクの生地からジュワッと染み出す仄かなシロップの甘さと、ナッツの香ばしさが広がる。味わったことのない感覚と、新たなお気に入りを見つけたことの興奮に、思わず早口で捲し立てる。自分がマシンガントーク一歩手前まで話してしまっていることに気づき、ハッと我に返って津軽くんを見ると。
「くっ…そんなに美味いかよ。」
声を噛み殺して笑う、彼の顔があった。
津軽くんが、私に、笑ってる。
その事実に驚いて、口を開けたままポカンと彼を見つめてしまった。
「ん?どうした間宮。おい。」
「…」
「あ。間宮、口にナッツついてる。」
未だに放心状態の私に再び伸びる彼の手。あ、と思ったときにはすでに彼の指に件のナッツが摘ままれていた。うわ、や、やっちゃった!
「あっ、ご、ごめ、ぅむっ!」
「ナッツは落ちやすいからしょうがねーよ。ほらよ。」
飼っているハムスターにえさやりをするかの如く、摘まんだナッツを私の唇に押し付ける津軽くん。女の子とは違う、硬い皮膚の感触に心臓がドクリと鳴った。
うわ、え、え?!!何が起きたの!?
「俺さ、ドーナツも好きだけどワッフルも好きなんだよな。間宮、ワッフル好きだろ?」
「う、うん。」
ドクドクと疼いて止まない心臓を置いてけぼりにして、唇に張り付いたナッツを無心で食べる。そ、そうか。津軽くんはドーナツだけじゃなくてワッフルも好きなのか。私と同じだ。
ていうか心臓沈まれ!
「間宮が好きそうなの揃ってるとこ、知ってるんだけど。間宮、今度一緒に食べに行かね?」
「えっっ!」
まさかあの津軽くんが私を誘ってくれるなんて。しかもさっき私が聞こうと思ったことと同じ内容だ。どうしよう。どうしよう!
一向に鳴りやまない心臓は、津軽くんが私を見つめ続けるごとに増していき、上手く呼吸が出来なくなる。どうしよう。どうして。
どうしてこんなに津軽くんは素敵な人なんだろう!
「行きたい!ぜ、是非津軽くんと一緒に!二人で!…あ。」
またやっちゃった…。嬉しすぎて、思わず本音が出てしまった。津軽くん、私にドン引きしてやっぱりやめた、なんて言わないよね。津軽くんの反応を窺うようにそろりと彼を見る。すると、顔を俯かせた彼の肩が大きく揺れ、バッッと勢いよく前を向いた。
「あっははは!アンタ結構図々しいな!」
「うっ…ごめんなさい。」
「謝んなよ、アンタらしくもない。」
そんなに私は図々しいのだろうか。いや、当事者の津軽くんが言うのだから、相当図々しいに違いない。少しショックだ。
気分が一気に沈んでしまい、あんなに見たかった彼の思いっきり笑った顔を見る気になれず、床に視線を落とす。しょんぼりと肩を落としていたら、私の周りの床がいきなり黒くなった。
「いいよ。今度の日曜日、二人で一緒に行こう。」
少し前に私の眼前を通った大きくて私より体温の高い彼の手が、私の頭の上にある。勝手に落ち込んだ私を慰めるかのように、ゆっくりとした動作で髪の上を滑っていく。わ、わわ…津軽くんが私の頭を撫でてる…!予期せぬ彼の行動と、その答えに急降下した気分がぐん、と持ち上がるのを感じた。
津軽くんは、どこまで私を虜にするのだろう。私は、どこまで彼のことを好きになるのだろう。終わりのない螺旋階段をどんどん下っていくような感覚。泥沼に落ちて抜け出せない、そんな感覚とは少し違う。でも不思議と、嫌じゃない。嫌じゃないからこそ困ってしまう。私の気分が浮上したことくらい分かっているはずなのに、それでも一定のペースで撫で続けている彼にくすぐったさを覚える。
優しい。本当に、優しい人。
「津軽くん、好きです!」
「無理。てゆうかアンタ、告白を返事の代わりにすんなよ。」
「えへへへ…。」
やっぱりバレてる…。
いつも通りの朝の風景。人の少ない時間に彼に告白をして玉砕、そして真理にそれを揶揄われる。それが日課。でも今日は、そんないつも通りと少しだけと違う。初めて津軽くんと外で会う約束を作ることができた。今日は記念日だ。横から聞こえる、「私を忘れないでくれる?」という真理の声をスルーしながら、目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。まだ暑くない時間帯だからか、グラウンドの方にある窓が開いている。深呼吸した私に伝わってきたのは、爽やかな新緑の匂いだった。
私の第一回玉砕は春。帰り際に深呼吸をすれば、桜や梅、桃の花たちの甘い匂いがふわりと香ってきていた。あれから、梅雨を越えてあっという間に初夏になった。私の玉砕回数も十じゃ足りないくらいになっている。私は一体、あとどれくらい彼に告白するのだろう。あとどれくらい、彼に振られ続けるのだろう。
あとどれくらい、彼を好きでいられるのだろう。
「も~、許してよ真理さん。」
「いーやーよ!二人の世界を作って私を除け者にしたのはアンタよ。」
「ごめんって。」
「は。二人の世界なんて作ってねーから。勘違いすんな。」
「えっ。」
それでも私はいま、津軽蓮司が好きだ。