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2 フォーイーチ 5

マリは日本にいる祖父の信太朗に連絡をとる。

彼はマリがインドネシアにいることを、じつは知らずにいて……

 夕方。とりあえず麻里はシステムの企画書を作ることに決まり、午後は製作に時間を費やした。上司や同僚は個人プレーが多いものの、質問をすれば丁寧に教えてくれるし、麻里にとっては気楽でよかった。

 帰宅途中、麻里は徐々に緊張が解けていくのを感じた。意識していないと思っていたが、どうやら無理をしていたらしい。出勤初日ならこんなものだろうか。

 宿舎に帰ると、リビングのソファに少年が座っていた。麻里の口がぽかんと開く。

 あ、マリー、おーす。

 シャツの袖を余らせているアレックスが、ぶらぶらと腕を振っている。麻里はリビングの入り口で立ち尽くした。

「なんで小さくなってるの?」

「え、疲れてたからさ。さっき思いっきり寝ちゃった」

 口をへの字に曲げたアレックスは、ずりおちているシャツの襟を引っ張った。麻里はアレックスの元に歩み寄って彼の両の頬を手でつねる。人工にしては柔らかい皮膚がゴムのように伸びる。

「な、ん、で、小さくなってるの」

 だって仕事で疲れたんだもん、とアレックスはひしゃげた声を発した。彼の声は機械で合成された音声だが、器用に歪んでいる。しかも少年の体形に合わせて若干声が高い。

 せっかく(大人の)アレックスと話そうと思ったのに、と麻里はテーブルについて肩を落とした。

「なあ、すごく悪いんだけどさ」

 小さなアレックスが手を合わせる。こう見ると本当にただの少年にしか見えない。

「ミラから買いもの頼まれてんだけど……代わりに行ってきてくれないかな」

 麻里はもう一度アレックスのところに寄り、頬を引っ張る。

「何のためのヒューマノイドよあんたは」

「疲れたんだってば。こんな格好じゃおれ行けないし」

「私なんかお店がどこにあるのかもわかんないのよ」

「いや、敷地内にあるコンビニでいいからさ」

「なら周りは知り合いばっかりでしょ。途中までついてきなさいよ」

 ぶうぶうと文句を垂れる彼を引き連れて、結局ふたりで向かうことにする。着替えるのが面倒だというアレックスは、大きすぎるズボンとシャツのまま外を歩いた。

 夕暮れ時。真上の空を通った赤道の太陽が、ゆっくりと沈んでいく。

「R.U.Rはどうだった?」

 アレックスが尋ねてくる。

「うん、まだなんとも言えないけど、いいんじゃないかな」

「仕事はつかれたか?」

「今日はさすがに疲れたかなあ。色んな人と会ったし。緊張してるのかなやっぱり。あとプレッシャーとか」

「キョージュの孫だから」

「うん。だってみんなじいちゃんのこと知ってるもん」

 麻里は大きく息をついた。

「でも、研究は楽しいし。みんな驚くほど優しい人たちだったから」

 出会った人を順に追ってみる。アレックスと同じエレメンツであるナーヴと、祖父の同僚だったジーノ、あと自分と同じ世代の李。李には携帯のアドレスまでもらってしまった。海外では携帯でメールを打つことはあまりない。アルファべットを打つのが大変で、電話した方が圧倒的に早いからだ。李はもともと中国語圏の人間だし、『日本の子はメールが好きなんだよね』と言っていたが、合っているようなそうでないような。

 子供アレックスは首を傾げた。

「ナーヴとジーノは知ってるけど、リーって誰だ?」

「大学生らしいけど、インターンで来てるみたい。すごく優しかった」

 少し当てつけのように言ってみて、ちらりと彼の顔を覗く。何とも言えない顔をしている。「そりゃよかったな」と顔を引きつらせている。大人のアレックスならどんな反応をしただろうか。

「楽しいか、そりゃあいいなあ」アレックスが口を大きく開けて体を伸ばした。麻里はその言葉が少し引っかかる。

「アレックスは楽しくないの?」

「おれは別に、楽しいからここにいるわけじゃないけどさ」

 彼は明後日の方を向いている。表情は読み取れない。

「仕事、大変なんだ?」

「まあ、そうなんだけどさ。かと言って、仕事までなくなっちゃったら、おれ、ほんとに動いてる意味なくなっちゃうし」

 宿題めんどくせえよなあ、というような口調だった。少年の口からはそんな言葉が似合っていた。

「おれはなんもしなくても、メンテだって維持費だっているし、ただお荷物なロボットになっちまうし。仕事楽しいなあって、思えたらいいよな」

 その声に、投げやりな感情は含まれていなかった。ただ事実だけを述べていた。特に何かを訴えている様子ではない。独り言のように。

「お荷物になったら、わたしがずっとメンテするよ」

 麻里は反射的につぶやいた。ええー、とアレックスは口をとがらせる。

「じいちゃんだって言ってたもん。ちゃんといるだけでいいんだって」

 麻里が手を差し伸べると、彼はそれをじっと見つめた。「手つなごうか」麻里が催促しても、アレックスは渋い顔をする。

「なんで。恥ずいだろ」

 アレックスはそっぽを向く。いまのアレックスの年齢設定は、だいたい中学生ぐらいだ。確かに思春期の男の子に手をつなげと言うのは難しいかもしれない。しかし中学生ぐらいの子が、こんなに自分を押し殺しながら悩みを吐くだろうか。アレックスの肩にかかっている責任と重圧は、恐らく麻里の思っているそれより何倍も大きい。

 麻里は手をつなごうとするのをやめて、彼の体に後ろから抱き着いた。持ち上げようと両脇に腕を回す。アレックスが叫びだしたが、続いて麻里が声を上げた。

「アレックス、重い!」

「当たり前だバカ! 体重は大人と変わってないんだぞ!」

 じたばたと暴れるアレックス。「わかったって」観念した彼は、麻里と手をつなぐ。落ち着いたアレックスはまたそっぽを向いた。

「ま、楽しいならいいか」

 何それ、と麻里が口をとがらせる。

 つないだ手をぶんぶんと回す。麻里が知っている手より、ずっと小さくて頼りない。


 夜、自室に引っ込んだ後、麻里は携帯のプッシュボタンを押した。かける先は日本の実家兼、岡田信太郎の研究所だった。日本とインドネシアの時差はほとんどない。

『麻里。ちゃんと無事についたか』

 しわがれた声が聞こえる。麻里はなんとなくほっとしたような、ちょっと驚いたような、不思議な気持ちになった。

「あ、うん。なんとか」

『大学はどうじゃ。研究は難しいじゃろ』

 信太郎は無邪気に笑う。じつはR.U.Rへのインターンを、彼には教えていなかった。岡田信太郎と言えば、R.U.Rに所属していたころは次々と功績を上げた伝説のひとりなのだ。しかし数年前にR.U.Rといざこざを起こしたのか、彼のこの企業の印象が悪いようで、麻里がR.U.Rに関わることは断固反対だった。本当は信太郎の紹介があれば1番スムーズだったのだが、仕方なく父親の知臣に連絡を取ったのだった。

 信太郎は、麻里がインドネシアにある大学の体験入学に行ったと思っている。保護者である信太郎に知られずに色々と手続きをするのはかなり骨が折れた。この嘘がばれたらどうなるか、想像もつかない。

 思わず麻里は「みんなじいちゃんのこと噂してたよ」と言いそうになったが、そんなことをすればすぐに居場所がばれてしまう。本当は自分の祖父のことを自慢したかった。信太郎のおかげでこんなにも皆から大事にされているということを、彼に教えてあげたかった。だがそれは叶わない。すべて自分が勝手に動いているせいでもある。

 しばらく信太郎と話をして、麻里は「リーブラに変わってもらえる?」と頼んだ。すぐに機械の声が返ってくる。

〈マリ、高くつくわよ〉

 合成音声とは思えない滑らかなソプラノ。機嫌はあまり良さそうではない。インターンまで行って、リーブラを騙し通すことは無理だと思っていた。彼女には最初から話し、秘密にしてもらっていたのだ。信太郎に内緒でR.U.Rまで来られたのも、彼女の協力が大きかった。

どうやら信太郎に、この会話は聞こえていないようだ。

「はは、ごめん……でも、R.U.Rにはちゃんと来れたよ。あと、アレックスにも会えた」

〈あら、元気そうなの?〉

「うん、まあまあ」

 というか、やっぱり早く教授に話した方がいいわよ、とリーブラがため息をつく。自分で話したほうが罪は軽いわ、時間の問題なんだからね。私だって話を合わせるの大変なのよ。教授なんて毎日毎日マリはどうしてるかどうしてるかってうるさいのよ。それでちゃんと食べてるんでしょうね食べ物はだいじょうぶ? 屋台のものは食べるんじゃないわよ危ないから、後は生野菜と果物は絶対にダメだからね病院送りになったら大変なのよ。向こうのものはちょっと辛いってだけでもすごく辛かったりするんだから。白人に可愛がられたからってホイホイついていくんじゃないわよ。あーやっぱり私もそっちに行けばよかった早く、スピーカとプロジェクタとマイク用意して! ちょっとマリ聞いてるの?

 だんだん関係のない説教が始まって、麻里は携帯を耳から離した。どこのネットから取ってきたのか、彼女は海外での注意点をくどくどと話している。

「わかったから、大丈夫だって」

 少し間があった後、リーブラの声のピッチが少し低くなった。

〈ひとつだけ、言わせて〉

何? と麻里は首を傾げる。もう言いたいことはさんざん言ったと思うのだけど。

〈〈Al : ALEX〉とは、あんまり一緒にいちゃダメよ〉

「……どうして?」

 これには麻里も驚いた。いつもリーブラは彼のことを『あいつ』か名前で呼んでいるはずなのに、なぜか機体名で呼んだ。

〈わかってるでしょ。あいつはそんなに良いロボットじゃないのよ〉

 急に気分が冷めてくる。

〈ずっとあなたの勉強は見てきたけど、本当は知ってたわ。アレックスのためだって〉

「どうして――」

〈あんまり私も言いたくないけど、心配なのよ。心配なの。あれだけ情報が出てこないエレメンツなんか、他にいないんじゃないかしら。教授だってなかなか教えてくれないのに〉

 リーブラだってエレメンツの1人だ。ネットからいくらでも情報を取ってこられる。アレックスの製作者の1人でもある信太郎と話だって出来る。そんな彼女でさえ情報が得られないのだろうか?

 部屋の扉の向こうから、マリ、と呼ぶ声がする。声の主は少年だ。話題の張本人が、廊下で自分を探している。あまりポジティヴではない話題に。

〈今はどうなってるか知らないけど、あいつは昔から怖かったもの。そりゃマリが小さかった時は、ちゃんとマリのこと面倒見てたけど。でももうずっと仕事してるんでしょ? でも何にも話してないんでしょ、あいつ〉

「アレックスのこと、悪く言わないで」

 声が震えていた。そんなことはとっくの昔にわかっていた。けどそんな奥で、彼はずっと助けを求めているように見えた。ずっと叫んでいるのだと思った。夕方のアレックスの姿がフラッシュバックする。寂しそうだった彼の姿。仕事で苦しんでいる彼の姿。

「リーブラは、アレックスが何してるか、知ってるんだね」

 ぽつりとつぶやく。彼女からの返事はなかった。知っているからこそ不安なのだ。でも教えてはくれない。リーブラの気持ちはわかるけれど、ずるいと思う。

 じゃ、また、と麻里は一方的に携帯を切った。どう頑張っても麻里が首を縦に振るわけはなかった。ただ心配事の楔を打ち込まれたことは確かだ。

「家に電話してたのかー?」

 子どもアレックスが扉を開けて、部屋に入ってくる。麻里は無言で首を横に振った。それ以上言葉を口にすれば、泣いてしまいそうだった。今の子どもアレックスを見て、悪いことは何も言えない。無理やり微笑んで携帯をベッドに置く。アレックスは首を傾げる。


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