2 フォーイーチ 4
マリは研究所内で大学生のリーと出会う
ふたりはロボット資料館で、アレックスたちロボットの過去を知る
レストランから出て、研究棟へと戻る道の途中で、ジーノと別れる。「道はわかるかね」と彼に聞かれて、「大丈夫です」と答えた時は、正直なにも考えていなかった。まだR.U.Rに来て何日も経っていない上に、この国の風土にすら慣れていない。よくよく考えれば大丈夫なわけがなかった。よく道に迷う人間は、だいたい見通しが甘い。
(ま、研修生だからいいか)
麻里は開き直り、逆に迷っているということを利用して社内を探検することにした。研究者はデスクに貼りついていなければならないわけでもないし、とがめられたら「迷ってました」と言えばいい。さっきナーヴに案内されたもののひとつに、気になる建物があった。
うろうろと建物内をさまよい、ふと目についた通路。人通りは全くなく、明らかにセキュリティが厳しい。足音を出さないように慎重に歩く。外の喧騒がほとんど聞こえない。奥の両端にそれぞれ扉がある。部屋の名前は表示されていなかったが、要は実験室か研究室のどちらかだ。扉の横には、網膜認証を行う機器がある。麻里の権限では、自分のデスクがある研究棟くらいにしか入れないだろう。
そのとき、背後で声がした。
「何やってるの?」
麻里は、自分でも驚くくらいに大きく跳び上がった。反射的に振り向くと、東洋系の青年がいぶかしげにこちらを見ている。
「あ、ごめんなさい。ちょっと迷っちゃって……」
「ここはあんまり入っちゃいけないよ。キミ、外部の子?」
眉をひそめた青年は、麻里の首にぶら下がっているネームホルダーを覗く。麻里のそれは社員とほぼ同じものではあるが、まだ学生であるということは書かれている。
「あ、インターン生なんだ。てっきり誰かの子どもかと思っちゃったよ。歳いくつ?」
麻里が年齢を答えると、青年は目を丸くした。確かに欧米人から見れば、15歳の麻里は小学生くらいに見えてもしかたないかもしれない。そういうものだというのも知っている。しかし今は、相手だって東洋人なのだ。ネームホルダーには李と書かれている。流暢な英語だった。
「そっか迷っちゃった? ぼくも最初は無駄にうろうろしてたなあ。案内しようか」
「あ、お願いします。すみません」
「気にしなくていいよ。いやアジア系で同じ年頃の子っていなくってさ。ぼく大学生なんだけどね、うれしいよ」
李はにっこりと笑って、ファイルを持っていない方の手で麻里を促した。運が良いことに、親しみやすい人のようだ。
「あの、覗いてみたいところがあるんですけど」
「ん、どこ?」
十分後、目的の場所に李は連れて行ってくれた。扉の透明な部分に『R.U.Rロボット博物館』とある。おそらくセキュリティのため、社員以上でないと入れないのではないだろうか。扉の横にカードキーをかざす装置がある。
「変な子だね。まあ入れないこともないけど」
李は事もなげにネームホルダーを機器にかざし、扉をあける。中に入れると思っていなかった麻里は目を丸くした。もしかして彼は、かなり優秀な人なのかもしれない。
中には一般客への紹介用に、R.U.Rの過去のロボットについて展示されていた。通路を案内順に歩けば、一通りの歴史がわかるようになっている。説明用のパネルと、ロボットの姿を映した大型のディスプレイ。ちなみに〈Al : ALEX〉は13番目であり、会社の歴史としては50年以上ある。
「ぼくもあんまり真面目に見たことないかな……」
李が感慨深げに展示を眺める。彼の仕事はいいのだろうかと思ったが、麻里が気にしてもしょうがない。
はじめは介護用ロボット〈H : 1 : Harmony〉と〈He : 2 : Hermes〉から始まった。それから、と麻里はひとつのロボット展示に目を止めた。正確にはそのロボットは、ボディを持たないプログラムユニットだった。麻里は紹介用のボードを指さす。
「これ知ってますか? 教育用プログラムの〈Li : 3 : LIBRA〉」
「知ってるけど、これってぼくらが生まれる前にできたプログラムじゃん」
「これ、いま日本の私の家にいるんです」
李がきょとんとする。意味がよくつかめないようだ。
「リーブラはバージョンアップしたの。私、英語と工学はだいたい彼女から習ったから」
「はあ、どういうこと? なんでエレメンツが君の家に?」
麻里は一瞬、言葉を詰まらせた。展示の中には、製作者として紹介されている人物の写真がある。麻里の祖父、岡田信太郎その人の写真だった。ずいぶん若いときの写真で、麻里の知っている信太郎の顔とはだいぶ違う。この人が私のおじいちゃんだから、と言ってしまえばすむのだが、思えば今日はそれを言ってばかりだった。はじめは皆が自分のことを知ってくれているのでありがたかったが、だんだんと面倒になってきた。今、李は自分のことをまったく知らないまま接してくれている。しばらくそのままにしておきたかった。
麻里は曖昧に笑って「どうしてでしょうね」と首を傾げた。李は苦笑いする。いずれ気づくだろう。
順番に見ていきたかったが、麻里はR.U.Rの歴史を知りたいわけではなかった。お目当てのロボットは、やはり13番目に作られたエレメンツだ。
いつごろこの部屋が作られたのかはわからないが、〈Al : ALEX〉の項もちゃんと展示されていた。等身大のディスプレイに映された長身痩躯の姿。心なしか今よりもだいぶ若く見える。人間の知的活動を完全に模倣するヒューマノイドロボット、その1つの到達点。あらゆる人の行動をコピーし、さらに人らしく状況判断を行う究極の人工知能。〈Al : ALEX〉の名前の由来は、13番目の元素であるアルミニウムと、見る角度によって様々な色を示す、アレキサンドライト鉱石(alexandrite)から付けられた。
「〈Al : ALEX〉か。結構大変な機体なんだよね」
いつの間にか後ろにいた李がつぶやく。麻里の動悸が速くなる。
「どうして?」
「いや、この間、ちらっと社員が話してるの聞いたけど、けっこう扱いがデリケートでさ。昔も熱暴走を起こしちゃったらしいし。ぼくは1回、本体を見たことあるけど、全然印象に残らなかったな。いやそれがすごいことなんだけどね。自然すぎて。普通、ロボットは『ロボットくささ』みたいなのが大体あるはずなんだけど、こいつはいくら見てもそれがないんだよね。それはすごいと思うけど」
麻里は素直にうなずいた。自分が知らないふりをしているわけではない。こうやって、外からのアレックスの印象を聞くのは本当に初めてだった。
「でも、目立った研究成果が書かれてないなあ。仕事も何してるかわかんないし。試作機っぽいから、もうすぐ後継機に変わっちゃうのかな……」
麻里は改めて、ディスプレイに映る〈Al : ALEX〉を見た。金髪碧眼、一瞬かっこいいとは思うが、どこにでもいそうな風貌でもある。会って別れて次の瞬間に忘れてしまいそうな顔。いわゆる外国人ってこんな顔、というような顔。どんな特徴だったか、と聞かれても、特徴がないのが特徴、と言うしかないような顔。
「私は、けっこう好きだよ」
麻里はぽつりとつぶやいた。別に反論したいわけでもない。
「どうして?」
「何て言うか、不器用そうだから。ここには、エレメンツの成功例しか書いてないけど、きっとたくさん失敗したロボットがあると思う。製作中にバランスを崩したり、完成したと思ったら、やけに人間に反抗的なロボットだったり。作ってみたら意外と役に立たなかったロボットもあると思う。でも、そういうたくさんの失敗があって、良いロボットができると思うから。私は、上手くいかなかった子の面倒が見たい。そういうロボットも、きっと役に立つことがあると思うから」
先ほどから展示を見てふと思ったことだった。もしアレックスが失敗作だというのなら、それも仕方ないかもしれない。しかし自分は、ずっとアレックスの面倒を見るだろう。もし彼が仕事ができなくなってもずっと。
李の顔を見ると、麻里に向かって微笑んでいた。
「マリは優しいな。工学者にしておくのはもったいない」
「そうかなあ」
「うん、ぼくのガールフレンドになってほしいくらい」
一瞬、李の言った英語を翻訳するのに手間取った。意味を咀嚼して麻里はようやく目を見開く。海外の人間はみんなこうなのだろうか。いや彼はイタリア人でもラテン系でもない。風貌は普通に日本にいそうな子だから、余計どぎまぎする。慣れていない故に正直に反応してしまう。麻里は目を白黒させた。
「いやあけっこう本気だよ。こんな可愛い子がいるとは、R.U.Rも捨てたもんじゃないな」
本気なのかジョークなのかよくわからない。麻里は慌てて、とりあえず見学会を終わらせることにした。彼のエスコートを丁重に受け、無事に自分のデスクへ戻ることが出来た。