2 フォーイーチ 2
R.U.R 研究所で研修を始めたマリは、護衛型ロボットの<Ne:10:ナーヴ>に研究所を案内される
R.U.Rでのインターンにおいて、麻里は新規プロジェクトの立案を任せられることになっていた。上手くいけば後に事業化されるという。とても上手い話に聞こえるが、逆に言えばどんなに麻里が失敗しても、勝手に立ち上げたプロジェクトが消えるだけなので、企業側に迷惑はかからない。
午前中、麻里が自分のデスクで上司を待っていると、声をかけてきたのは見たこともない短髪の男だった。
「あなたがマリ・オカダか」
麻里がぽかんと見上げていると、長身の男は手を差し出してきた。麻里は反射的に手を握る。男の手は大きく、髪は短く刈りこまれており、肌はやや浅黒かった。目つきは恐ろしく鋭い。普通にしていても睨んでいるかのように見える。
麻里は、男の動きに違和感を覚えた。その正体が何なのかは男がすぐに教えてくれた。
「私はエレメンツのひとり、〈Ne : 10 : NERVE〉という。R.U.Rを案内しろと言われている」
自然な日本語を話し、ナーヴと名乗った男はすぐに手を戻した。麻里より頭3つ背が大きい。
「あ、はい。でも担当の人を待っていろと言われたんですけど……」
麻里が指摘しても、ナーヴは表情を1ミリも動かさなかった。
「――案内しろと言われている」
問答をしても仕方ないと思ったので、麻里は苦笑して、お願いします、と頭を下げた。ナーヴは踵を返した。
R.U.Rは広く、施設間にはシャトルバスが運行していた。ナーヴはさすがにバスに乗るつもりはないらしく、ただ黙々と歩いた。麻里のデスクがある研究棟を中心に、R.U.Rの施設を回るようだ。
彼は麻里の1メートル先を歩いた。歩調は速い。麻里は遅れないように廊下を早足で歩く。
「ナーヴさんは、お仕事は何を?」
「護衛だ」
ナーヴは20度ほど首をこちらに動かして答えた。麻里の位置から表情はほとんど見えない。
「護衛型ロボット……じゃあ、偉い人を護ったり、ですか」
「そういう訓練は一通り受けている」
本人はどういうつもりかわからないが、どうも言葉を交わしたくないような印象を受ける。麻里はもう1度だけ勇気を出した。
「いつもこういう案内を?」
「今日はたまたまだ。R.U.Rでは出来るだけ、ヒューマノイドが案内をするのだが、今スケジュールが空いているのが私しかいなかった」
そうでしょうね、と麻里は得心し、しばらく素直についていくことにした。麻里はもともと人見知りするタイプではあるが、ロボット相手なら自信を持って話せた。ロボットに対して恥ずかしがる必要はないし、元よりロボットの反応を見るのは興味深くもあり楽しい。ただこの男は、少しおっかない。
廊下の窓から眼下の景色が見渡せる。田舎育ちの麻里にとって、R.U.Rの自然はありがたかった。田舎とは違ってだいぶ整えられた自然ではあるものの、やはり植物を見ると気持ちが落ち着く。この中でなら1日じゅう散歩しても飽きが来ることはない。逆に、空港から来る途中に通ってきた都市部はかなりきつかった。高層ビルが乱立し、大勢の人間がひしめきあう光景は見ていて気持ちのいいものではない。
ナーヴの会社案内は、何とも言いようがなかった。研究棟や実験施設の紹介はまだいいとして、食堂、休憩所、レジャー施設になると急に言葉に詰まっていた。「研究員はよく使うようだ」「社員は……そこそこ来ていると思う」と曖昧な部分が多い。ロボットなので食事や福利厚生にコメントしづらいのはわかるが、最終的には「私にはよくわからない」という解説が出る始末。〈Ne : 10 : NERVE〉といえばアレックスよりも古参のエレメンツで、R.U.Rについては詳しいはずだ。恐らく単純に、案内に慣れていないだけだろう。
廊下を歩いているときに、若い女性職員が声をかけてきた。
「あらナーヴ、可愛い子連れてるじゃない。あんたが一緒にいると誘拐してるみたいね」
女性は強面のナーヴに軽口を叩き、関係のない麻里が驚いてしまう。ナーヴは軽く目を細めた。
「人聞きの悪いことを言うな」
「おじょうさん、安心してね。こいつ顔は怖いけど根はやさしいのよ」
若い女性職員が微笑みかけてきて、麻里は曖昧に笑った。確かに護衛用ロボットなら、親しみやすさよりも抑止力を優先させるだろう。
一通り施設を回った後、「少し休憩する」とナーヴが立ち止まった。近くのカフェテラスのテーブルを借りる。木材でつくられた床がぎしぎしと鳴る。屋根より高いパンノキが日陰を作ってくれる。
真っ白なチェアに座って肘をついたナーヴは、恐ろしく絵になった。雑誌の表紙を飾ってもおかしくない。彫りの深い顔はチラリとも笑わず、黒のシャツのそこかしこから引き締まった体が覗いている。恐らく仕事のときはスーツとサングラスだろう。
まじまじと彼を眺めていると、ナーヴは目だけを動かしてこちらを見た。慌てて話題を探す。
「ナーヴさんは、シンタロウ・オカダはご存じですか」
「知っている。私の製作者のひとりだ」
薄青い瞳ににらまれると心臓が縮む。
「あ、おじいちゃんが作ったんですね。研究室では見たことなかったけど……」
意外にも共通点があり、麻里は少し安心する。しかし、ナーヴは初めて感情らしいものを見せた。目をわずかに見開いて、
「あなたはオカダ教授のお孫さんなのか」
と体を起こした。麻里はぎょっとしてのけ反る。強面のロボットが見つめてくると、それはそれで恐ろしかった。
これは失礼、とナーヴが丁寧に頭を下げる。いまいち彼の言語理解のルールがよくわからない。話にのってくれそうな気配だったので、麻里は口を開いた。
「私。ヒューマノイドはエレメンツの〈Al : ALEX〉は見たことあるんですけど、だいぶ印象が違いますね」
麻里が素直に思ったことを言うと、ナーヴは目を細めた。
「〈Al : ALEX〉か。彼とはだいぶ違う」
ナーヴは整った眉をひそめた。
「ご存じなのですか?」
「昔、彼の訓練につきあっていた。一応、体術は私が教えたところもある。私が彼と違うというより、彼が特別であると言える」
麻里は小首を傾げた。
「特別、ですか」
「あいつはより完全にヒトを模倣するために作られている。私たちヒューマノイドは全てそうあるべきなのかもしれないが、そのためにはそれなりの負荷がかかる。私たちとは製作された目的が違う」ナーヴは坦々と答えた。「私は彼ほどの言語理解の機能はなく、戦闘能力と状況判断力を主に鍛えている。逆にあいつは私のように激しい動きはできないし、最近はすぐばてるようになった」
「私からすれば、ナーヴさんもお話はお上手ですよ」
「私は今、ただ事実を述べているだけにすぎない。そんなことはどんなポンコツでもできる。説明書を読み上げる機械は、大昔からあっただろう」
それに、と麻里は頭の中で付け加えた。麻里はお世辞を言ってみたが、確かにナーヴはアレックスほど「人間らしさ」が備わっていない。ナーヴは一目見てロボットだと気づいたが、アレックスはそうではない。よほどおかしな行動をしない限り、アレックスは人間そのものに見える。ずっとそばにいても、ヒューマノイドにありがちな対話の不自然さや、動作のぎこちなさが全くないのだ。これは自分が小さいころに彼と接していたからだと麻里は思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。
ナーヴは立ち上がりながらつぶやいた。
「これ以上は、他の研究者に聞いて頂きたい。案内を続ける。さっきも言ったように、私は話すことに慣れていない」
麻里は立ち上がった。彼が無口なのはそういう理由もあるのだろうなと思う。