表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

クリア

 あとはまかせた、と同僚に告げて、知臣は自分の研究室に引っ込んだ。起動していた端末を動かす。送られてきたデータが次々と画面に流れていく。それを確認してから、知臣はそばにあるソファにごろりと転がった。

 あの娘、縛り付けておけばよかった、と知臣は目をこすった。同時に、我が子の行動力に、納得しながら感心していた。本当は学芸会や授業参観で感じるだろう娘の成長ぶりを、こんなところで実感するとは。何とも自分らしいし、岡田家らしい。

 麻里のように、幼少期をロボットとともに過ごした世代が、これからは次々と生まれてくる。そのために、彼女と〈Al : ALEX〉は格好の研究対象だった。子どもの成長を待つ必要があるので、研究は少なくとも5年以上かかる。7年前に、〈Al : ALEX〉が麻里と一緒に過ごすと決まった時は、もしやと思っていたが、それだけに貴重なデータだった。ロボットの最期を受け入れない世代。愛玩ロボットならそれでいいかもしれないが、今回は相手が諜報ロボットだった。それだけのことか。

 そうだ、と知臣は眠い頭の中で思った。人だけでなく、これからはこういうロボットも現れてくる。仕事と感情の狭間で揺れるロボットが。R.U.Rを逃げた〈Al : ALEX〉には発狂しそうだが、ぎりぎり合格点と言ったところか。

 あとのことは知らない。麻里がどう動くのかも予想がつかない。ただ、このロボット工学の世界から逃げるのか、戦うのか、麻里はその判断を迫られることになる。戦い続けるのなら、自分が一番の壁になるだろう。彼女と自分の考えは、一生交わることはない。麻里と〈Al : ALEX〉が出会った7年前から、それは決まっていたことだった。


 ***


『ひとつだけ、条件がある。ちゃんと聞いてくれ』

 アレックスの目は、真剣だった。麻里はぐっと口を結んだ。

『どんなことがあっても、無茶はしないで。君にもしものことがあったら、僕は死んでも死にきれない』

 アレックスに脱走を持ちかけた麻里はすでに、自分の危険などどうでも良かったが、アレックスの真剣さに負けた。ソファの上で2人は向かい合う。

『それに……僕はきっと、大丈夫なんだ』

 アレックスは穏やかに微笑んだ。

『僕には睡眠モードがある。それから子どもモードにも変形できる。それで〈Al : ALEX〉は、死んだことにするんだ。向こうの諜報機関は、僕の子どもモードの姿を知らないからね。知臣はこれで乗り切ろうって言ってる』

 麻里はぱっと目を見開いた。

『大丈夫なの? アレックスは、死ななくていいの?』

『ああ。でもたぶん、そのときの僕は……マリのことを、覚えてないと思う』

 麻里は想像した。自分に向かって『誰だっけ?』なんて首を傾げるアレックスは、考えたくもなかった。今までの記憶や思い出、すべてが無駄になってしまう。長い時間かけて、やっと一緒になれたというのに。麻里は首を振った。

『やだよ、それじゃ、今のアレックスは、やっぱり死ぬってことになるじゃない。それは嫌だよ』

 アレックスは首を振り、麻里の手を握った。

『マリ、それでいいんだ。僕は、すごく安心できる。記憶がなくなっても、僕は僕だから。今度はマリが、僕を育てて。今度うまれた別の僕が、つらい思いをしないように』

 無理だよ、と麻里は弱気につぶやいた。アレックスが死ねば、自分は1人で生きていけそうもない。

『そのときの、別の僕は、君のことを知らないかもしれない。僕とは似ても似つかない、さっぱり性格の違う子かもしれない。けど、君が思うように、その子もひとつの命だから。その子がこの世界で苦しまないように、君がちゃんと育ててほしい』

 麻里は戸惑った。いきなりそんなことを言われても、無理だと思った。

『君ならできるよ。だから、逃げてる間に、無茶だけはしないで。それを守ってくれたら、僕は君と一緒に行く』

 複雑なことは置いておいて、それでアレックスがR.U.Rから離れてくれるなら、麻里は迷わなかった。麻里は頷いた。だけどそんなときになったら、きっと自分は泣いてしまう。けっきょく彼はどこかに行ってしまう。生まれ変わりを大切にするなんて、そんな残酷なこと、自分には到底むりだと思った。


 ***


 気がつけば、眠っていた。外から都会の喧騒が静かに響いている。月明かりではなく、夜の街の光がぼんやりと部屋を照らしている。麻里はゆっくりと今の状況を思い出した。ホテルの部屋の明かりは、ほとんどが消えていた。

 寝る寸前、R.U.Rの職員が来るだろうと思い、フロントに頼んで部屋を変えてもらおうとした。が、その気力がなかった。真夜中にフロントを呼び出すのもどうかと思ったし、何より動かなくなったアレックスを、自分の手で運ぶ自信がなかった。

 麻里はアレックスと同じベッドに、すぐ隣で寝そべっていた。目の前に彼の横顔が見える。枕の上に乗った彼の横顔。もう生きている気配はしない。単純な物としての存在感しか残っていない。美しいブロンドと高い鼻、目じりにはわずかに涙のあとが見える。自分の涙も、眠っている間にだいぶ乾いたようだった。人間の遺体もこんなふうに見えるのだろうか。彼の体からは、まったく生気が感じられなかった。

 気が向くまでこうしていたかった。彼の存在が感じられるなら、いつまでもこうしていたい。別にいいよね、アレックス。心の中で尋ねるが、返事はない。

 ぼんやりとした頭の中で、麻里はふと疑問に思った。アレックスの体に違和感を覚える。なんだか微妙に縮んでいる。

 麻里はゆっくりと体を起こして、彼の体を見た。一緒に寝た時は、自分のほうが圧倒的に小さかったはずなのに、今の彼は麻里とおなじくらいの身長しかなかった。自分の心臓が激しく動く。麻里はおそるおそる、彼の手を握った。やはり自分が知っている手より小さい。腕も細い。

 しかも微妙に、温かい。

 信じられないことが起こった。金髪の彼のまぶたがぴくりと動き、目を開いたのだ。視線がぼんやりと空中をさまよう。

 少年は麻里の目を見て数秒、沈黙したあと、口を開いた。

〈あなたは?〉

 とても人らしい声とは言えない、合成音声だった。少しリーブラの声に似ている。

 麻里は急速に頭がさえていくのを感じた。いま自分が何をしなければいけないかを、素早く判断する。麻里は自分の胸に手を当てる。

「私は、オカダマリっていうの。あなたの味方」

 少年はやや沈黙のあと、上体を起こしてこちらに向いた。上体だけで礼をする。

〈よろしくお願いします〉

「敬語じゃなくていいよ」

〈じゃあ、よろしく〉

 反応に時間はかかるが、どうやら言語理解の機能は正常らしかった。おじぎの運動も、ぎこちないが問題はない。麻里は尋ねた。

「あなたの名前はわかる?」

〈ぼくは〈Al : ALEX〉。機種は、  型ロボット〉

「え?」

 麻里は目を見開いた。後半部分がよく聞き取れない。

〈  型ロボット。エラーだ。機種がわからない〉

 少年は首を振った。

〈何が目的か、教えてくれ、マリ。ぼくは何をすればいいんだ〉

 と言っても、少年の声はさっぱり困った様子ではなかった。音声に感情はあまり込められていないし、(敬語じゃなくていいと言ったが、態度はなんとなく横柄のような気がする)起動したてのロボットは大体こうなのだろうか。

 麻里はあれこれと考えが、やがて首を振った。

「別に、何にもしなくていいのアレックス。何にもしなくて」

〈理解できない。教えてくれ。ぼくは何型ロボットなんだ〉

 今度は少年が首を振った。

「あなたは稼動するだけでいいの。元気に動くのが仕事」

〈それは無理だ。ヒトのために働くのがロボットだ。命令をくれ〉

 初めて少年が感情らしきものを表した。眉を少し下げ、怒っているような、困っているような表情。麻里も似たような顔になった。

「じゃあ、何をするかは、あなたが決めればいいじゃない。あなたが何をするかは、これからあなたが決めるの」

〈その用件は難しい。それはできないと思う〉

 アレックスは頑なに首を振る。

「今すぐできなくてもいいの。これから、ゆっくり決めればいいんだから」

〈それは難しい。僕の任務はヒトが決めるはずだ〉

 また首を振る。

「ちがうわ。ヒトが決めるんじゃないの。あなたが決めるのよ。私も手伝ってあげるから。あなたの任務はあなたが決めるの」

〈よくわからない〉

 とうとう少年は音を上げたのか、平坦な声でつぶやいた。

「それでいいの。ゆっくり見つけていけばいいの。ゆっくり見つけていけば」

 麻里は負けじと繰り返す。

〈よくわからない〉

 少年は瞳を動かさずに答えた。


 

 

 

 

https://twitter.com/KosugiRan

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ