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1 ハロー、ワールド 2

麻里と7年ぶりの再会する前、アレックスは研究所で訓練を受けていた。

アレックスの製作者は麻里の父、R.U.R に所属する天才プログラマーの友臣だった。

 

 ――1時間前


 アレックスはまぶたに光を感じながら、目を開いた。ログの中で『仮想訓練中断』の文字が赤く光っている。アレックスは反射的に腰に手をやった。当然やけどの跡も何もないが、感覚は残っている。意識が吹っ飛ぶようなあの感覚は、あまり気持ちの良いものではない。

 上半身裸で診察台に寝そべっていたアレックスは、自分の全身に刺さっていたプラグを慎重に抜いた。人工皮膚の上に直接刺さっていたプラグを抜いても、皮膚には注射針のあとに似た点しか残らない。これも数日経てば完全に塞がってしまう。他の機体には専用のソケットがあるが、アレックスは別だった。プラグを抜く時に痛みはないが、特有の不快感がログに残る。

 顔を上げて、辺りを見回す。実験室には窓がなく、壁際は計測器類で占められている。真っ白なビニル床と壁が閉鎖的な雰囲気を強める。ここでは外にあまり音が漏れない。叫んでも誰か助けにきてくれるかどうか。いやそんな事態にはならないが。

 横を見ると大きなガラスの壁があり、その向こうで1人の男が端末に向かって作業をしていた。アレックスの視線に気がつくと、男は軽く手招きをした。アレックスは診察台から降り、計測機にひっかかっていたTシャツをひっかけて部屋に向かう。

「どうだったかな」

 居室に入ると、白衣姿の男は端末の画面から目を離さずに尋ねた。アレックスの製作者のひとり、岡田知臣は四十代半ばで、社内でも天才プログラマーと呼ばれている男だった。眼鏡のレンズに端末の光が映り込んでいる。

 キャスター付きの椅子にアレックスは座った。

「状況が複雑になりすぎている気がします。こんな任務はありえるでしょうか」

「どうかな。クライアントからの希望通りだけど」

 本当だろうか、とアレックスは疑問に思った。アレックスの制作者のひとりである知臣であれば、自分の特長も弱点も知り抜いている。

 先ほどの仮想訓練では、アレックスは5人の人間に尾行された。散々逃げたり振り切ったりしたあと、最後はひとりの人間にやられた。あきらかにティーンエイジャーに見える少年に、スタンガンで。アレックスは完全に油断していた。

「あのとき、僕はどうすればよかったのでしょうか」

「さあ、子どもも行動不能にするんじゃないかな。僕はあっちの専門家じゃないんだけど」

 そう言って知臣は薄く笑い、アレックスを見つめた。アレックスは表情を変えなかった。諜報の専門家じゃないくせに、あれだけ厄介な追尾者を作り上げる。この人を相手に尾行をするのは絶対にやめようと心に誓う。

「もし、本当に通りすがりのただの子どもを痛めつけても、あまり大騒ぎにはならない。運動が下手な君でもできるだろう」

 アレックスは目を閉じた。確かにそのとおりだ。少年を見た瞬間、敵かもしれないという疑念は確かによぎっていた。ログを見ればそれは明らかだろう。だが、別の理性がそれを抑えた。だから隙が生まれた。

 知臣の目からは何も読み取ることができない。高精度の感情認識すら音を上げるポーカーフェイス。哀れと思っているのなら、なぜ自分をこんな風に作ったのか、アレックス自身が聞きたかった。 

 知臣が書類に何かを書きつけると、これで終わりと言わんばかりにペンを置いた。

「あと数日で向こうでのテストだね。今日の訓練はこれで終わり。ゆっくり休んでおきなさい」

 アレックスは目を開けて手を握った。自分の評価が不明であることは苦手だった。役に立たないならそうだと言って欲しい。自分を創ったのは人間なのだから。

 椅子から腰を上げると、センサが誤作動を起こして立ちくらみがした。アレックスは思わず椅子に寄りかかる。

「大丈夫かい? 試験中に倒れるってことはやめてくれよ」

 アレックスは1秒だけ目を閉じ、首を振った。

「大丈夫です。手痛い電撃のおかげです」

 軽口を叩いてアレックスは首を振る。

「ストレスは溜めすぎないように。何かあったらちゃんとカウンセラに言いなさい」

 知臣がさらに手を動かしてメモを取る。

「そうそう、今日はお客様が来る日だったね。少し気分転換になればいいかな」

「そのお客様とやらを、そろそろ教えてくれませんか」

 アレックスは尋ねた。数日前からその客の話は聞いていたが、誰に訊いても答えてくれない。正直、考えることも面倒だったので、早く答えが欲しかった。

 知臣は眉を上げて、肩をすくめた。アレックスは一礼だけして退室した。



 

 1時間後、外で麻里と8年ぶりの再会をしたアレックスは、社宅に向かって歩いていた。

 諜報型ロボットのアレックスは、ヒトと深く関わりながら仕事を行う。ヒューマノイドの中には、人間と接触するだけでストレスになり得るロボットもいるが、アレックスはそうであってはならない。毎日、ヒトと寝食を共にするのも訓練のうちであり、彼は研究所近くの社宅で暮らしていた。

「おかえり」

 社宅での同居人はミラといい、R.U.Rの社員で、ロボット心理学が専門のロシア人だった。アレックスの思考ログは毎日記録されており、ストレスがかかりすぎていないかチェックされる。

 アレックスが麻里と共に社宅に戻ると、ミラが出迎えてくれた。どうやら麻里についての連絡は来ていたらしいが、会ったのはこれが初めてのようだ。麻里はまだ海外経験が浅いのか、緊張気味に英語をしゃべる。

「はじめまし、て」

「ハジメマシテ、あなたがマリちゃんね? アレックスとは先に会ったのね。アレックス、あんた研究所で女の子捕まえてこないでよ」

「別に捕まえたわけじゃない。というかあんたも知ってたなら教えてくれたっていいだろ」

 アレックスが軽口を叩いてソファに座る。ミラはぱちんと手を叩いた。

「じゃあ今日はお祝いにしましょうか。それとも疲れちゃった? 明日にする?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 麻里が微笑むと、ブロンドが美しいミラはにこりと笑った。こわ、とアレックスは口の中でつぶやく。ロボット心理学のプロは、同時に人間の心理学のプロでもある。要するに初対面の人間と仲良くなるのが上手い。明日には二人一緒にアレックスを攻撃してくるかもしれない。

 ソファに座ったとたん、アレックスは軽い眠気に襲われた。家に帰って気が抜けたのかもしれない。今日は色々ありすぎた。パーティまでは時間があるだろうし、とソファに横になる。

「アレックス、寝るの?」

 麻里が顔を覗き込んでくる。アレックスは眠気に耐えられずに、目を閉じて微笑みだけを返した。キッチンからミラの声が聞こえてくる。

「マリちゃんが一緒にいたころは寝なかったんだっけ。最近ついた機能なの」

 薄れていく意識の中で、ミラの声が遠くなっていく。少しずつ、自分の体の各機能が休息を始める。人間が寝る瞬間もこんな感じだろうか。

「最近疲れっぽくなったみたいでね。頭を休ませてるの」

 すぐ近くに人の気配がする。麻里がそばで自分を見つめているのがなんとなくわかる。麻里の気持ちを察したのか、ミラがささやく。

――普通は、寝なきゃいけないほど重い機能はつけないんだけどね。まあこいつの場合はちょっと面白くってさ――

 変なこと吹き込まないでくれ、とアレックスは眠りに落ちながら思った。

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