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6 ゴートゥ 2

 首都をまたいだところにある空港には、アレックスの予想では4時間ほどで着く予定だった。しかし、この国特有の渋滞で遅れに遅れ、予定の便には間に合わず、1日泊まることになった。麻里は1時間でも早く出国したかったのだが、アレックスがそれをいさめた。焦って逃げる奴はたいていミスをする、と。

 空港近くのホテルに電話で当たりまくり、ツインの部屋をひとつ借りる。逃亡資金はそこそこあった。R.U.Rでのインターンでは、少なくはあったが、麻里に生活費として給料が出ていた。これがR.U.Rの意向だったのか知臣の配慮だったのかは知らない。いずれにしても、ものすごく裏切る形になったが。

 ホテルの借りた部屋に入り、麻里はアレックスの入室を待った。彼はふらふらと歩いてベッドに横になった。それがいかにもエネルギー切れのような、倒れ込むような形だった。

「大丈夫? アレックス」

 アレックスはうつぶせのまま動かない。そのまま自力では動こうとしなかったので、麻里が手を貸して仰向けにし、枕に頭を乗せる。

 アレックスはこちらを見て微笑んだ。麻里は心配と安堵が混じる。

「私たちのこと、いつばれるかな」

「なんだかんだ言って……ナーヴは、R.U.Rに連絡すると思う。連絡するのが仕事だ、とか言って」

 アレックスが薄目になる。今にも眠ってしまいそうな表情。麻里は急に心配になって手を握った。

「アレックス……じいちゃんのとこに行くまで、がんばって」

 ああ、とアレックスが短く答える。彼の呼吸は荒い。普段彼は、呼吸をしているような動きはするが、実際に呼吸はしない。意思表示や感情表現のときに限定されている。つまり今、彼が息をしていることは、ものすごく苦しいということだ。

 そんなにつらかったんだ、と思う。いつかミラが、アレックスが自分の症状を表さないと言っていたのを思い出す。

 アレックスは薄目をあけた。

「マリさ……昔、僕が家に初めて来たときさ」

 まるでしゃべらないと眠ってしまうというように、アレックスがつぶやく。声がやや聞き取りづらい。

「うん」

「あのとき……どう思った?」

 麻里はベッドのそばで首をかしげた。

「はっきりとは覚えてないけど、不思議な人だなって」

 彼のために、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「初めて外国人みて、色々びっくりしたから、でも、最初の印象はそれだけど、そこから良くなったんだよ。普通に優しくしてくれるし、あ、この人も同じ人間なんだって」

 そうか、とアレックスはため息をつく。何回か、そうか、を繰り返し、目が閉じたり開いたりした。アレックスが頬をあげた。

「あとさ……その、ぼくの、どこがいいんだ」

 麻里はきょとんとした。

「どこが好きかってこと?」

「まあ、そういうことだ」

 アレックスがからかって聞くわけがない。ロボットなんだから、おそらく本当に疑問に思っているのだ。ちゃんと正確に答えてあげないといけないのだろう。

「なんか……不思議だったから。アレックスって、何にもしないで、ぼうっとしたりしてるし。あんまりはしゃいだりとか、しないでしょ? ロボットって、みんなそうなのかな。すごいなあって。あこがれじゃないけど。不思議だったから」

 なるだけ本音だった。あとかっこいいからよ、というのを付けたしのように言う。容姿が一番の理由だったら情けないではないか。アレックスは納得したのかそうでないのか、また「そうか」とつぶやいたりしている。表情は相変わらず眠そうだ。

「急に……どうしたの」

 麻里は微笑んだ。わかっている、彼は苦しいのだ。アレックスはかまわず続ける。

「学校で……好きな男の子とか、いないのか?」

「そりゃ、ちょっといいなって思う子は、いるけど」

 麻里は口をとがらせる。さっき思い切り告白した女の子に聞くことではない。アレックスは笑った。

「でも、ロボットのことしか……頭にないもんな。男の子も逃げちまうぞ」

 アレックス! と麻里は彼の頬をつっついた。麻里は勇気を出した。

「だったら、アレックスはどう思ってるの? わたしのこと」

 それを聞いて、アレックスは少し口の端をあげた。こちらとしてはものすごく勇気を出したつもりだが、また彼は笑ってごまかすつもりだ。すごく疑問で不安に思っていることだというのに、わかっているのだろうか。いきなり首を振られたりするよりははるかにマシだったが――自分はこれを聞いていいのだろうか。彼がそうだったように、お互いが相手の気持ちを知りたいのだ。麻里が怒って彼の頬をひっぱろうとしたとき、部屋の内線が鳴った。

 体の動きが止まる。心臓が高鳴る。麻里は手を止めた。定期的にくり替えさえる呼び鈴が不安をあおる。アレックスのほうを見つめたが、彼は静かに頷いた。慎重に固定電話のところへ向かう。

 もしもし、と子機を取る。思わず日本語で聞いてしまう。

『そろそろ終わりにするか』

 一番聞きたくない声だった。それが肉親だというのに、少し時間がかかった。

 このまま電話を切ってしまいたかったが、どうしようもなかった。声を絞り出す。

「どうして」

『ばれないと思っているほうがおかしい。彼を野放しにするわけがない』

 彼の言葉は容赦がない。

『〈Al : ALEX〉がどう言ったかは知らないが、〈Al : ALEX〉は知っていたんじゃないかな。君の計画が無謀すぎるということを。だけど彼は、君を傷つけるのをためらって断れなかった。だから無謀に逃げるという選択を取った』

 うそ、と麻里は否定したが、この逃走がアレックス自身の意思だということは断言できなかった。彼はもともと、すみやかに処理されることを望んでいた。

『少なくとも、昨日の昼あたりから、〈Al : ALEX〉のストレス値がかなり上昇している。ちょうど君と会っているときだが』

 思わずアレックスのほうを振り返る。彼は目を閉じ、小さく肩を上下させている。こちらの会話は聞こえていないようだ。

 まだ彼の頭の中を監視していたのか。吐きそうになる。

『どういう状況か知らないが、だんだんと〈Al : ALEX〉からの応答が途切れがちになっているぞ』

「アレックス!」

 子機を耳に当てたままアレックスの元へ寄る。彼は目を開けない。

『君では何もできまい。ロボットは自己修復をもたない。君が〈Al : ALEX〉を殺したようなものじゃないか』

「黙って」

『君は自己満足ができていいだろうけど、〈Al : ALEX〉は苦しみながら機能停止する』

「アレックスを壊そうとしたのはあなたのほうじゃない。あなたのほうがたくさん苦しめたくせに。さんざん無茶な仕事させておいて、今さら何言ってるの」

『〈Al : ALEX〉は苦しんでなどいなかった。訓練もカウンセリングも、君が来るまでは順調だったんだよ。君が苦しめたのだ』

「うそ言わないで」

 麻里は負けじと言い返す。

『少なくとも、今おまえは何もできない。いま〈Al : ALEX〉がR.U.Rにいれば、少しは延命ができたかもしれない』

「そっちは最初から助ける気なんて、なかったくせに」

『さて、それはどうかな』

 そこまで言って、アレックスが目を開けていることに気がついた。手をこちらに向けている。麻里はアレックスと子機を数回見比べ、アレックスに手渡した。アレックスはそれを耳に当てて薄く笑う。

「親子でけんかするのは……つらいものですよ」

 アレックスが話し、それに知臣が何と答えたのかは、麻里にはわからなかった。アレックスの表情を見つめるしかない。

「僕は、大丈夫です。幸せだったんですから。このまま行けば、大丈夫です」

 アレックスは夢を見ているようだった。

「すみません、さいごによけいなことをして」

 少し間があく。

「みなさんに……お世話になりましたと、お伝えください」

 また少し間があく。

「さいごまで、面倒なロボットで……すみませんでした」

 はい、はい、と何回か返事をして、「すみません」とアレックスは子機を手放した。ころりと子機がベッドに転がる。どうやら通話は切れたようだ。

 アレックス、と麻里がつぶやく。アレックスはやはり微笑む。

「一緒に行くのは、むずかしい、かな」

 麻里は彼の手を両手で包んで、驚いた。アレックスの目じりに涙が溜まっていた。初めて見る表情だった。

「マリ……悲しい顔しないで」

「ごめんね、アレックス。アレックスのしたいように、すればよかったね」

 アレックスはわずかに首をふった。

「いいんだ。うれしかったし。こんな僕でも……好きになってくれて、うれしかった」

 声が震える。それがたとえ機械が造った音声で、喉の奥のスピーカから流れているものでも、苦しいという気持ちが嫌というほど伝わってくる。たとえこれがそう思わせるふりだとしても、アレックスは確実に苦しんでいる。それがわかる。それ以上に何があるというのだろう。

「でも……好きになればなるほど、つらくなって。どうすればいいのか、わからなくなって。

 君と一緒に、いたいと思って、でも、ぼくは死なないといけなくて。どっちもするには、こうするしか、なくて。せめて僕が、ちゃんと仕事できれば、よかったのかな……」

 麻里は唇をかんだ。アレックスに言われたから、あまり苦しい表情をしたくはなかったが、難しかった。やはり自分がすべて悪いのだろうか。アレックスに生きててほしいと思うのは、自分のわがままだったのだろうか。もう一緒にいたいなどと思わなかった。ただ生きていてくれればそれで良かった。

 それすらも、自己満足だったのかもしれない。相手が死にたがる人間だったら、生きてほしいと言えたけれど、ロボットにはそれすらも許されていないのだろうか。死ぬことがロボットの仕事なんて……。

 マリ、とアレックスがつぶやいた。

「今なら……好きって気持ち、わかる気がする」

 麻里はアレックスの目を見つめた。彼がそうしてと頼んでいるように見えた。麻里は目を閉じて、彼の唇に自分のを合わせた。人ともしたことがないから、比べる対象もない。自分は幸せだった。せめてもう少し、穏やかな場所でできていたら。

 麻里は気がついた。今になって初めてアレックスが、何の負い目もなく自分のことを愛してくれた。死ぬ間際になってようやく、ロボットの責務から解放されたようだった。目を開けて、間近で彼の顔を見た瞬間、彼も幸せになってくれていると思った。アレックスは目を閉じて笑っていた。

「マリ……ずっと昔に、会えて、よかった」

 私も、と麻里は答えた。アレックスの目が閉じられる。麻里はベッドに置かれた彼の手を優しく握った。もう腕を上げることもしなかった。ほんの少しだけ、彼の指に力が入ったが、すぐにわからなくなった。最後まで、彼の顔をずっと見ていようと思った。

 アレックスの唇は下がり、全身の筋肉が脱力した。アクチュエータが動きを止める。各機能が次々と停止する。全身に流れていた液体の流れが止まり、電子のやりとりがなくなる。記憶データは解放され、1個の金属の固まりになっていく。

〈Al : ALEX〉の動きは、完全に停止した。


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