5 デッドロック 6
そのあと、アレックスは睡魔に襲われた。睡魔、というよりは、目まいや吐き気に近かった。だんだんと変身後の症状がひどくなっている気がする。自分の処理能力が格段に落ちているのがよくわかる。
ソファにそのまま寝かせてもらい、ほとんどの機能を停止した睡眠のあと、目覚める。体内時計を確認して驚く。昨日眠りについたのが真夜中で、今は夕方。ほぼ半日眠っていたことになる。カーテンの隙間から日差しが降り注いでいる。
顔を横に向けると、テーブルを挟んだもう一方のソファで、少女が眠っていた。毛布を肩までかけて横向きに眠っている。一緒に半日眠ったのだろうか。自室のベッドのほうがはるかに寝心地はいいと思うが、気持ちがわからないわけでもない。
アレックスが身を起こして全身の損傷チェックをしていると、少女が目を覚ました。意識がはっきりしていないのか、ぼんやりと空中を眺める。アレックスが声をかける。
「おはよう」
麻里はこちらに顔を向けると、すぐに毛布をはねのけて上体を起こした。なんとなく、あまり寝ていないような印象を受ける。何かしていたのだろうか。
麻里はすぐにこちらのソファに移り、体をすり寄せてきた。寝起きなのに元気なことだ。アレックスは肩を抱いた。
「小さくならなかったね」
麻里に言われて初めて気がつく。確かにあんなに疲れていたのに、省電力モードになっていなかった。原因はなんだろう、と思考を巡らせて、ひとつの答えにたどり着いた。おそらく。いま省電力モードになれば、二度と元に戻れなくなるんじゃないかと思う。それほど頭が痛かったし、疲れていた。「そうだな。朝飯でも作るか」とつぶやいてみたものの、とてもではないがそんな体力は残っていない。
アレックス、と麻里がつぶやく。
「動かなくなるのって、こわい?」
アレックスは首を振った。
「怖くはないよ。使えなくなったらそんなものだから」
アレックスは麻里の髪をなでる。
「まあ、悲しくはないけど、マリが悲しむのを見るのは悲しいな」
嘘ではなかった。本当は、ロボットとしてほとんど役に立てなかったことが一番悲しいことなのだが、今それを言っても仕方がない。余計に麻里を悲しませそうだったので、やめておく。
麻里はソファから降り、アレックスの目の前にしゃがんだ。両手を握り、目を覗きこんでくる。アレックスは注視した。
「アレックス。一緒にどっかに行こ」
「どっかって、どこだ?」
わざとらしく笑ってみせたが、麻里は視線を外さなかった。
「どこか。誰も来られないどこか」
彼女のまっすぐな視線から、それが何を意味しているのかはなんとなくわかった。ただ認めたくなかっただけだ。
「どこかって……」
麻里は頷く。
「アレックス、逃げよう」
「だめだ」
すぐに首を横に振る。麻里の手に力がこもるのが伝わってくる。
「どうして? このままだとアレックス、動けなくなっちゃうよ。死んじゃうんだよ」
どうも寝起きから様子がおかしかったのはそのせいか。アレックスは麻里の手を握り返した。
「最後にちゃんと処理されるのも、ロボットの仕事のうちだから。いくら便利でも、捨てると危ない道具なんてだめだろ? だからきちんと捨てられるのも仕事なんだ」
「確かにそうかもしれないけど、できれば生きてたほうがいいでしょ。アレックスだってまだまだできることあるんだよ。そうじゃなくても、生きてるだけでダメなんて、そんなわけない。別にアレックスが毒をまき散らしてるわけじゃない」
ずきずきとアレックスの頭が痛みだす。目を閉じる。
「できることなんて、ないさ。メンテの苦労がかかるだけで」
人間は多少けがや病気をしても、自己治癒能力が働いて健康にもどる。しかしロボットはそうはいかない。腕を怪我すれば修理するまでそのままだし、知能の面で不具合が起きればずっと直らない。そうでなくても、放っておくだけで機械は徐々に壊れていく。定期的なメンテは絶対に必要だ。
「私がメンテできるようになるから。それか、私が働いて、メンテできる人を雇うから。私が生きててほしいの。私の幸せのために動いて」
これほどロボットに懇願する人間は見たことがなかった。おそらくエレメンツの誰もこんな場面に遭遇したことはないだろう。
「でも、だめだ。マリが一生お尋ね者になっちゃうぞ。信太郎教授にだって、一生会えないかもしれないんだよ」
「それならそれでいい。それでアレックスを助けられるなら、それでいい」
即答だった。麻里の目は、すでに覚悟を決めてしまっている目だった。昨日はこんな表情ではなかったはずだ。自分が寝ている間に何かあったのだろうか。
アレックスは負けじと首を振った。
「だめだ。教授やリーブラがどう思うか、考えるんだ。教授なんて悲しむに決まってる、自分を責めるに決まってる」
これには麻里も少しひるんだようだった。うつむき、考え込んでいる。アレックスの手を自分の頬に押し当てる。汗ばんだ額から焦燥が伝わってくる。
「でも……このままはやだよ。私は絶対に後悔する。アレックスが動かなくなったら、絶対後悔する。何のためにここにいるんだって。こんなの正しいわけない。こんなの……」
正直なところ、アレックスの元々の使命は、命令通り、速やかに廃棄されることだった。このことについて異論を挟むつもりはない。野放しにされて面倒であることは自覚している。
しかしこのまま断り続ければ、麻里は自分の身を危険にさらしてでも機能停止を止めようとするだろう。彼女が危険になるだけでなく、R.U.Rの職員から彼女の親族まで危うくなる。恐ろしく突拍子もないことを、現実にしてしまう若さがあった。
麻里がアレックスを連れ去ってしまえば、確実に窃盗罪、下手をすれば横領罪。しかもアレックスは、国家機密級の情報を保持している。この国の法律を詳しくは知らないが、国家反逆の罪を課せられてもおかしくない。彼女の身が非常に危うくなる。
こんな計算をしているうちに、どんどん体力が削られていく。さすがにアレックスは言えなかった。この思考こそがアレックス自身の寿命を縮めていることを。麻里自身がアレックスの寿命を縮めていた。そう気づいていても言えなかった。
アレックスは怒るべきだった。昔、8歳の麻里が家出をしたときのように、叱り飛ばすべきだった。そうでなくても、せめて優しく諭す努力は必要だった。しかしその力がほとんど残っていない。今のアレックスに、ヒトからの直々の頼みを断るエネルギーが残っていなかった。たとえ自分の一番の使命が、死ぬことであっても。
R.U.R所属の、研究員たちの顔が脳裏に浮かぶ。今までずっと、自分のために働いてくれた人たちがいる。彼らを裏切ることにはならないだろうか。一番の裏切りは、自分がちゃんと仕事ができなかったことだが、もうそれは済んでしまった。いま自分がしないといけない仕事は、速やかに破壊されることではないか。
そんなことはあっても、単純に生きたかったのかもしれない。単純に、麻里と一緒に。
アレックスは麻里の肩を抱いた。
「1つだけ、条件がある。ちゃんと聞いてくれ」
***
「アレックスって飛行機のれるの?」
「うーん、難しいな。金属探知機に引っかかるし。仕事の時は特別にチェックを受けないようにしてる。というか僕、パスポートもないんだった」
「うそ」
「いつも特別に発行してもらうからな……飛行機どころか船もむずかしい」
「じゃ、荷物として送るってのは?」
「本気かよ。いや、でもまあ一番現実的ではあるかな」
「子どもモードにすればトランクに入るんじゃない?」
「……トランクの中も見られると思うけど。人形ってことにしておくか」
「あ、それよりどこに行こうか。わたしはどこでもいいと思う。アフリカでもヨーロッパでも」
「……」
「アレックス?」
「……僕、信太郎教授のところに行きたい」
「え、うち?」
「ああ、なんとなく」
「私もそれ考えたけど、ウチは、いちばんまずいところでしょ。日本だけでもまずいと思うし……1番捕まっちゃいそうなところだよ」
「ああ、でも、一目だけでいいんだ。もう何年も見てないし……どうせ死ぬなら、1度あの家を見てから死にたい」
「うーん……」
「頼むよ、マリ」
「ちょっと不安だなあ」
「家に追っ手がいれば、引き返せばいい。リーブラとも連絡とれるんだろ?」
「まあそうだけど」
「僕はその点プロだぞ。潜入訓練なんて腐るほどやったんだ」
「ヘロヘロのくせに」
「それを言うな。空港まではタクシーで行こう。さすがに昼は目立つかな……」