5 デッドロック 2
社員にそれとなく尋ねてみたものの、ほとんど最近はアレックスを見ていないという返事しかなかった。もともと機密が多い機体のため、出張先すら教えてもらえない。
社宅で唸っていた麻里はPCに向かった。あまり期待はせずに、同世代の李に連絡をとる。こういうのはどこかで噂になってたりするものだ。たぶん。
〈リーくん、アレックスのこと何か知らないかなあ?〉
あまり李の前でアレックスの話をすると、またすねてしまいそうだが仕方がない。
2時間ほどたってから、返事がくる。
〈うーん、あれのことかな、やっぱり〉
〈何か知ってるの?〉
キーを叩く手が早まる。鼓動がどんどんと体に響く。
〈というか、マリ知らないんだ。そっか〉
その言葉が送られてきたあと、続いて次のメールが返ってきた。その文面には、4つの数字とアルファベットが並んでいるだけだった。〈これ何?〉と麻里が再度メールを送っても、李から返事が来ることはなかった。
李が送ってきた文字の羅列は、どこかで見たことあった。麻里のかんちがいでなければ、これは研究所の部屋番号を示すものだ。1文字目のアルファベットが建物名、2文字目が階数、3、4文字目が通し番号。この部屋に何かあるのだろうか。部屋の場所はだいたいわかるが、確かこの棟はほとんど研究室で、社員以上のカードキーが必要だったはずだ。麻里の権限では入ることはできない。
誰かに連れてってもらうってのもなあ……。
李以外だと誰がいるだろう。ジーノ、ミラ、ナーヴ、その他の上司。というか連れて行ってもらえるなら、とっくの昔にアレックスのことを聞いている。それができないから困っているのだ。何を自分は恐がっているのだろう? どうも彼が出張に行ってから、外で彼の話をするのをためらってしまう。自分は何かを恐れているのだろうか。
そんなときに、社宅にきっちりと、郵送で李のカードキーが送られた時は、さすがに麻里も驚いた。大きめの封筒の中に、インドネシアのパンフレットが入っていて、その間にはさまれていたのだ。手のひらに収まるほどのただの板切れだが、今の麻里にとっては恐ろしく価値の高いものだ。なんだかんだ言って助けてくれる李に、麻里は感謝した。メールの最後の返事はこれだったのか。カードキーを他人に貸してしまうことは、社内規則から言ってもかなり危険な行為だ。それだけ大きな信頼を寄せてくれている。今度、本当にデートに行ってあげてもいいかもしれない。
昼休みにデスクを抜けて、目的の研究棟に行く。ランチの時間は研究棟が無人になるのではと思ったが、むしろ出入りする社員が多く、廊下は比較的にぎやかだった。知り合いにでくわすことがないとは言えない。なんでもない顔をしているのは難しい。
目的の部屋に着く。せめて部屋の中には誰もいませんように。ランチの時間は人によってバラバラなので、そこは祈るしかなかった。
カードを通し、高いブザー音が鳴ってドアが開くと、病院の診療室のような光景が見えた。計算機と計器類が堤防のようにならび、パーテーションで仕切りがされてある。
麻里は、コンピュータとにらめっこしていた壮年の男性と目があった。
「わっ、マリちゃんなんでいるの!」
ジーノが飛び上がり、眺めていたディスプレイの電源を落とす。ごめんなさい、とつぶやいて扉を閉める。追い出されるのを覚悟で、早めにできるだけ情報を得たい。一番欲しい情報は。もちろん彼の安否だ。麻里は奥のガラス窓に気づき、駆け寄った。
透明なガラスの向こうに、診察台に横たわっている人影がある。どこにでもいそうな特徴のない顔立ち。濃い茶の混じった短いブロンド。髭は見えないけれど、人間らしく頬には染みやしわが浮かんでいる。見間違えるはずはない。
やっぱり、と麻里はつぶやいた。アレックスの上半身は裸で、真っ白の寝巻きのようなものを履いている。全身につけられたコネクタが痛々しい。髪の上からシールのようなものがべたべたと貼られている。見たところ、大きな外傷はなさそうだった。
「どう、したんですか」
麻里はこわごわ口を開いた。聞きたくないという感情を抑え、ここまで来たからには、得られる情報は獲得しておきたい。ジーノは顔中にしわをつくる。
「……訓練中にね。また無理しちゃったみたいだ」
麻里は歯を食いしばる。彼自身が無理をしたのか、それとも他人が無理をさせたのか。後者だったとしたら、自分はまともな精神でいられるだろうか。
「それで、状態は」
「まだはっきりとわからないんだ。彼の場合、外傷はほとんどないからね。いまチェックプログラムを走らせてるけど、慎重にやってるもんだから、けっこうかかりそうなんだ。ハードの怪我ならすぐにわかるんだけど、心の問題だからね……」
ジーノは目を細めた。
「まさか、マリちゃんは何も知らされてないの?」
麻里は小さくうなずく。
「そうか、そうだよな……そりゃ、悲しいね。すまない。きっとマリちゃんに心配させたくなかったんだ。確かに機密が多い機体なんだけど」
ジーノがため息をつく。
「ごめんね。虫が良すぎるかもしれないけど、今は結果を待ってくれとしか言いようがない。でも、これから彼に何か変化があったらちゃんと言うよ。約束する」
麻里は沈黙のあと、うなずくしかなかった。ジーノの言葉は優しいが、これ以上の質問を拒否していることに等しかった。いま麻里ができることは待つことしかない。
麻里は唇をかみしめる。彼の容態を聞いても、どうしてこうなったかまでは教えてくれない。どうしたかったのかはわからない。自分はここに来て、なにをするつもりだったのだろう。
その日の夕方、社宅に戻りたくなかった麻里は、R.U.R内の広場でベンチに座っていた。遠くで夕陽が傾く。
隣に人の気配がする。
こんにちは、金髪の女性が微笑む。麻里は返事をする気力もなく、力無く笑った。
「お疲れね、マリちゃん」
「ちょっと、嫌なこと、聞いちゃって」
その瞬間、ミラは悟ったらしい。もともと今から話すつもりだったのかもしれない。視線を落とす。
「マリちゃん、ごめんね。ちゃんと容態がはっきりしてから伝えようと思ったのだけど」
「いいんです。覚悟してましたから」
自分は声色をちゃんとコントロールできているだろうか。自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、わからない。
「本当はね……怖かったのよ。マリちゃんになんて言われるか。応援するなんて言っておいて、アレックスがああなって帰って来るなんて、思ってもみなかった。精神的なことが原因だから、私のせいなのよ。本当は」
ミラの顔はまともに見られない。彼女の言葉を聞いて、はっきりとわかった。自分は怒っている。彼にこんなに無理をさせている工学者たちに。なにもできない自分自身に。自分に何かを変える力があればいいのに。
「ごめんなさいね。マリちゃん」
ミラが顔を両手で覆っている麻里は首を振った。
「ミラ、謝らないで」
努めて冷静に、穏やかに、
「謝るなら、アレックスに謝って」
とつぶやいた。ミラが目を閉じて、ゆっくりと頷く。
ものすごく自分勝手なことを言っているのはわかっていた。ミラは自分のことを心配してくれている。そうしなきゃいけない義理なんて本当はないはずなのに、気にかけてくれている。仕事に集中しなきゃいけないときに、自分のこともちゃんと考えてくれているのだ。
あとで謝らないといけない、と頭の片隅で考える。けれど今は無理だ。今の麻里は、全ての人間に対して冷たくなっていた。




