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1 ハロー、ワールド

南国のロボット研究所に勤務するスパイ型ロボット、アレックス

彼は7年前に一緒に住んでいた少女マリと再会を果たす。


(Hello,World  プログラミング言語を学習する際に使われるフレーズ)

 研究棟から外に出ると、西日が射していた。アレックスは舗装された道をぶらぶらと歩いた。アスファルトからの照り返しが熱い。

 R.U.R(Robotics and Useful Relationship)。アレックスの所属している企業の名だった。かの「ロボット」という言葉を初めて作り出した演劇の表題と同じで、アレックスが立っている本社の所在はインドネシアだ。創設は50年ほど前で、世界の人型ロボット業界をけん引する企業である。

 アレックスはその中でも、特におおっぴらには言えないロボットだった。金髪碧眼、どこにでもいそうな身長と体格。英語のなまりにも特徴はない。つまり目立たない。表向きは、より人間らしいふるまいを求めるヒューマノイドの1つの到達点。もうひとつの顔は、全く人間と見分けられない、世界初の疑似人間、諜報スパイ用ロボット。

 自動車が余裕ですれ違えるほど大きな道路。その両端には緑の街路樹がえんえんと続いている。道路以外の部分は短く刈り込まれた芝生に覆われている。首都の街よりは、R.U.R はロボットにとってすごしやすい。この強烈な陽射しがなければ、だが。

 熱帯にあるR.U.R 内の景色は、温帯の日本と違って年中ほとんど変わらない。雨季と乾季、要するにかんかん照りか、雨で空気が湿っているかのどちらかである。今は乾季の7月。暑さはロボットの天敵だが、泣いてもわめいてもここの天気は変わらない。

 道路を歩いていると、壮年の研究員が遠くで手を上げた。

「おおアレックス、元気か」

 アレックスの開発に関わっていた研究者のひとりで、アレックスの本来の仕事を知っている技術者だ。アレックスは少し安心した。

「おかげさまで。訓練は疲れますが」

「トモオミの訓練か。たぶん嫌な感じのばっかりだろうな」

 男は頭をかいて苦笑する。

「ま、おまえさんは真面目だからな、あんまり気にすんな。別におまえさんが失敗して、ここが終わるわけじゃない」

 ぽんぽんと両肩を叩かれて、アレックスはうなずく。確かにアレックスの肩に、それほど期待はかかっていないかもしれない。しかしアレックス自身が感じている重圧は、それなりに大きなものだった。

 R.U.R で製作された主なヒューマノイドは、エレメンツと呼ばれる。製作順に、元素記号を頭文字にした名前がつけられる。アレックスは13番目の元素、アルミニウムから〈Al : ALEX〉と命名された。製作は8年前、エレメンツの中では若手から中堅と言ったところだ。8年前は最新型としてちやほやされたが、その後は本当に結果を残さなければ、注目はしてもらえない。

 アレックスは起動して間もないころ、訓練中に熱暴走を起こし、一時休暇をもらった。過剰なストレスを受け、処理能力に問題ありと診断されたのだ。休暇中はR.U.R の元研究員である岡田信太郎の家に居候していた。信太郎は齢70になろうとしているが、天才工学者として、日本にいる今でも一目置かれている。信太郎は孫娘と2人暮らしで、精神的にも傷ついたアレックスを優しく迎えてくれた。

 男と別れてから、研究所内の公園へと歩く。郊外の高速道路沿いにへぱりついているR.U.Rは広い。他の半導体工場なども併設され、一大工業地帯となっているのだ。スーパーやレストランなどの福利施設は十分すぎるほど集まっており、わざわざ自家用車で都市部に行く必要はない。もっとも、それは人間にとってはということだが。

 見るだけで暑くなってくる南国の植物と、涼しげな噴水が見えてきたところで、アレックスは眉をあげた。ベンチに人影がある。ショートカットの黒髪の女性、いや少女というべきか。横顔を見るに、研究所では珍しいくらい幼い。白のブラウス、黒のスカート。

 アレックスがさらに近づくと、少女がこちらをちらりと見た。外来の人間なら、アレックスがロボットだとは気がつかないだろう。変な格好の人、ぐらいは思うかもしれない。

 少女が目を丸くした。アレックスの顔をじっと見続けている。

アレックスは目を背けたが、目の端で彼女が注目しているのがわかる。挨拶した方がいいかもしれないと彼女に向き直ると、少女はベンチから立ち上がってこちらに向かってきていた。

「アレックス……?」

 アレックスは面食らった。自分の名前を呼べる人の中で、こんな子はいただろうか。若い子と会う機会なんてそんなに多くない。長期記憶のデータをひっくり返して、次々と少女の顔識別を行う。出てこない。出てこない。

というかこんな子見たことな、

「え……」

 名前が頭に浮かんだのに、呼べなかった。思い浮かんだ事実は確率が低い、というのが理由の1つだった。もう1つは、アレックスにとってあまり好ましくないことだったからだ。

 少女はこちらの返事を待たずに、遠慮がちに胸に飛び込んできた。身長はアレックスの胸元ぐらいしかない。アレックスは彼女の肩に静かに両手を乗せる。たしか7年前は、こちらが膝を折らなければ目線を合わせることもできなかったのに。

「覚えてる? 覚えてるよね?」

「覚えてる。信じられないけど」

 少女――麻里は胸の中でしばらく止まっていた。7年前に日本で一時休暇を取っていたとき、一緒に暮らしていた家族のひとりだった。

「どうしてここにいるんだ。教授と来たのか?」

「ううん、ひとりで。じいちゃんが来てもいいって。ここの見学」

 麻里は岡田信太郎の孫であり、アレックスが居候しているときに一緒に生活をしていた。彼女が小さいこともあり、別れて以来はまったく連絡を取っていなかった。当時彼女は7歳ぐらいだったはずだ。

 麻里が体を離さないままアレックスを見上げると、麻里の瞳は光っていた。アレックスは思わず目を細めた。

「変わんないねアレックス。年とる機能はついてないの?」

「君は変わりすぎだ。全然わからなかった。いくつになった?」

 15、と麻里は答えた。確かに自分は制作されて8年目だが、いつも付き合うのは成人ばかりで、子どもの成長をはっきり見たことはなかった。7歳と15歳は別人だ。

「今日言ってたお客さんって君のことか。しばらくいるのかい?」

「結構いる。たくさんいるよ」

 麻里は小首を傾げる。その言い方がどうにも不自然だったので、アレックスは「たくさん?」と聞き返した。麻里はにやりと笑った。

「一緒に住めるんだって。アレックスと一緒に」


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