3 ホールト 5
アレックスの本当の仕事を知ったマリ。
彼の疲労の原因を知ろうと、7年前の同居生活を回想する
カミーラ・ソロキナの帰宅は早い。研究や仕事は苦痛ではなく、むしろ好きな部類ではあるが、それだけに気が付くと徹夜をしているときがある。能率も悪くなるし、ちゃんと夕食は自分で作って食べたい主義だ。仕事の都合上、帰宅してから同居人を診るときもあるが。
(あ、それはもうないんだっけ)
帰宅途中、ミラはふと思い出した。ロボットの同居人は先日、出張でR.U.Rから離れた。かれこれ4年ほど一緒に住んでいたが、いなくなるとそれなりに寂しい。恋人との別れというより、独り立ちする子どもを見送ったような感覚だった。
会社の敷地内にあるスーパーで買い物を済ませ、社宅へ帰る。中へ入ると、リビングのソファでは少女が眠っていた。静かにキッチンに移動し、買ってきた食材を冷蔵庫に突っ込んでいると、少女が起きる気配がした。
ミラは遠くから彼女を覗いた。あまり元気があるようには見えない。
「大丈夫?」
尋ねると、麻里は眠そうな目で力なく首を振った。ミラはてきぱきと用事を済ませ、麻里の向かいのソファに座る。
「どうだった? お父さんと会って」
「……最悪でした」
知臣の娘は答えた。これは相当にまいってるなと職業柄、分析をしてしまう。
「何が最悪だったのかは、いろいろ想像できるわね。話してもらえる?」
「いいですけど……だいたい、アレックスのことなので」
寝起きで頭が働かないのか、麻里はソファの上で膝を組む。このあいだ麻里とアレックスが買い物から帰ってきたときは、どうもおかしな雰囲気になっていた。確実に親密にはなっているはずなのに、どこかよそよそしいという、対応に困ってしまう様子だった。彼が出張に行った日も、麻里はやけにあっさりとしていた。
麻里は知臣との面会の様子を話した。知臣が驚くほど機密部分を話しており、ミラは心の中で驚いた。
「なんだか、もう私が入っちゃいけないような話ですね。ロボット開発ってそんなことまでやるんだと思って」
「まあ、アレックスはかなり特殊な例だと思うわ。でも、彼が出来たことによって、他にこんな仕事が増えるかもしれない」
麻里は首を振る。
「アレックスはこの間も、何にも話してくれませんでした。機密だってわかってるけど、何にもわからない。アレックスのちょっとでも、支えになりたいって、思ってたけど」
「たぶん、麻里ちゃんによけいな心配をさせたくないのよ。あの子、自分が苦しいってのなかなか人にみせないから。その割にすぐへばっちゃうけど。別に愚痴を吐くくらい、やってもいいと思うんだけどね」
麻里が顔をあげる。
「ミラさん、アレックスはどういう状態なんですか」
「……あまり良い状態とは、言えないわね。ごまかしながらやってるというか、わりと本人の体調に左右されるというか。ちょっとずつ、前向きになれるようなリハビリはずっとやってたんだけど、あまり効果がなくて」
ミラだって、アレックスがつらくなるような事態にはなるべくなってほしくない。だがロボットに仕事をやめさせるというのは無理な話だ。働くからこそロボットの意義がある。長期的に見て休ませるのが得策と言う場合もあるが、アレックスに後は残っていない。8年稼働すれば、ヒューマノイドとしては結構な年数だ。
ミラはぽんと膝を打った。
「昔、麻里ちゃんはアレックスと一緒に住んでたのよね。そのときのこと、聞かせてくれない?」
これまでずっと聞こうと思っていたことだった。断片的に話は聞いていたが、いまひとつ納得できないことがあった。
麻里は大きく息をついた。「私の、あいまいな記憶でよければ」
長い話になりそうだったので、ミラは何か作ろうと席を立った。
窓の向こうからの小うるさい喧騒を聞きながら、アレックスは車の後部座席で目を閉じていた。ロボットに緊張というものがあるのなら、それは慣れていない環境への適応からだろう。
先日にはすぐ隣にあった、少女の手。色々と後から怒られそうではあるが、自分の中で雑念を振り払うにはこれしかなかった。実際、彼女がR.U.Rに来るまではそこそこ調子が良かったのだ。心配事が余計に増えてしまったのは間違いない。
(『私と仕事、どっちを取るの』ってことか)
どこかで聞いたようなフレーズが頭の中でよぎる。ロボットにその質問は酷だ。仕事優先のロボットなら迷う理由はないだろう。たとえそれが、彼女の幸せを奪ってしまうとしても。
そういえば、昔は彼女の姿を見てやる気になったんだった。今はどうだろう。
(単に、仕事するだけのロボットだったらよかったんだよな)
それだったら故障することもなかったし、麻里と会うこともなかったし、きっと麻里も自分に興味を持たなかった。変に評価関数を持ってしまったからややこしくなるのであって。そうしたらきっと、こんなことを考えることもなかったのだ。今まで何度も思ってきたことだが、考えても仕方がない。自分に稼働する資格がないと判断しても、勝手に機能停止するわけにはいかない。自分は仕事をするために生まれたのだ。女の子ひとりに何を悩んでいるのだろう。そうだ、これでいい。
アレックスは目を閉じて、自嘲気味に笑った。そう思えたらどんなにいいだろう。これも今まで何度も思ったことだった。