3 ホールト 2
7年ぶりに再会して以来、ぎくしゃくした関係のマリとアレックス。
ふたりは休暇の日、一緒にショッピングに行くことに
カミーラ・ソロキナ(ミラ)の朝は早い。研究者となれば徹夜、研究室泊まり込みは当たり前だが、彼女はそれを拒否し続けている。仕事が終わってから連絡してくる上司には真っ向から抗議した。健康にも良くないし、何より肌が荒れるのが嫌いだった。
早朝。キッチンに立って朝食を作る。会社の食堂でも朝食はとれるが、頭を動かすためにも自分で作る方がいい。先日から、一緒に朝食を食べてくれる人がひとり増えた。元からいる同居人は、働きはするが食事はとらない。
「ねむい」
同居人のロボットが、自分よりも眠そうな顔でダイニングに現れる。大人モードの彼は朝、顔を洗う必要もなく、歯を磨くこともない。たまに汚れた人工皮膚をタオルで拭くくらいだ。ロボットと同居していると、生活のリズムが狂うとよく言われる。何せ相手は普通、どんなに夜中になっても眠らないし、どんなに動いても何も食べやしないのだ。アレックスに睡眠機能がついたことは、ある意味ミラにとってはありがたいことだった。
「アレックス。今日あなたさ、買い物行ってきてよ」
「買い物?」
「そう、あなた午後は休みでしょ。外出手続きは取ったから」
なんで僕が、という顔でアレックスがソファに座る。コンピュータがまだはっきりと起動しきれてないようだ。
「マリちゃんと一緒にね。こっちの生活だってまだ慣れてないんだし」
「……僕、もうすぐ大事な出張があるんだけど」
アレックスがぼそりとつぶやく。つまりそんな大事な時期に、面倒なことを持ってこないでほしいということだ。ミラはそのことを重々承知していた。キッチンを離れてアレックスに近寄る。声を細めて、
「だから、余計によ。あなただってこのままで行きたくないでしょ。仕事をうまく進めたいなら、プライベートもちゃんとするのね」
アレックスは両手で顔を覆った。恐らく今、彼のストレス値はどんどん上昇しているのだろう。機能が複雑になればなるほど、ロボットにとってストレスは天敵だ。温度の上昇は不安定な稼働を意味する。しかしこれは彼にとって、必要な負荷だった。
アレックスは顔を上げる。
「なんで僕がそんなこと。あいつは勝手にここに来て勝手にいるだけだろ。どうして僕が色々考えなくちゃいけないんだ?」
「あなたが考えてないから」
ミラの言葉は容赦ない。ミラはアレックスに対して、なるべく人間と変わらない対応を務めていた。ロボットだからと言って、人間側が何でもしてあげては意味がない。ましてやアレックスはちゃんと仕事をしなければいけない。下手に甘やかして問題から逃げさえていてはいけないのだ。
「ぼくが何か悪いことしたのか」
「それはあなたが一番知ってるでしょ」
しばらく睨んでやる。争いごとが苦手な彼には珍しく、にらみ合いが続いた。
そのとき、ダイニングの扉が開いた。そこに眠そうな顔の少女が立っていたものだから、ミラは無理やり笑顔をつくった。アレックスの方もひきつりながら頬を上にひっぱる。
「おはよう、マリちゃん」
麻里は開きにくい目をこすりながら、アレックスとミラを見つめていた。
「ハイ、マリ」
昼、麻里が社内食堂で列に並び、バイキング形式の社食を選んでいると、声をかけられた。振り向くと、李がこちらに向かって手を振っている。
R.U.Rの食堂はシンプルで、ずらりと並んだ長いテーブルと、窓際に置かれた丸テーブルで構成されている。全体的に白っぽい空間は研究室と変わらない。利用している人種も様々だから、ここが赤道近くの国であるということをしばしば忘れてしまう。
トレーに昼食を載せ、長テーブルの端に青年と向かい合って座る。R.U.Rに来て二週間。だいぶここの生活にも慣れてきた。食べすぎると眠くなるからという理由で、彼は栄養ゼリーとコーヒーをちびちび飲んでいる。寝不足なのか、目が眠そうだ。
「李くん、お疲れっぽいね」
麻里がつぶやくと、李はくわえているストローを離した。
「だから李じゃなくてマイクって呼んでくれって」
「リーの方がかっこいいよ」
中国人は、自分の名前に西洋風のニックネームをつける。李はそれで呼んで欲しいようなのだが、漢字に親しみがある麻里にとっては李でいいと思う。その李が眉を口の端を上げる。
「僕の方はいいけど、マリの方が元気なさそうだよ」
麻里が動かしていた箸を止める。意識していなかったが、そんな風に見えていただろうか。
ロボット博物館の見学から、何回か李と話すことで、彼が恐ろしく柔和な人間であることがわかった。技術的な話になると少し熱くなるきらいがあるが、基本的にはおとなしい人間のようだ。たまに不意打ちでよくわからないジョークが入ってくるので対応に困る。アレックスとは違う優しさだ。
自分が岡田家の人間であること、社宅で〈Al : ALEX〉とともに住んでいることは既に話していた。麻里が岡田信太郎の孫と聞いたときは、さすがに李も興奮していた。それでも今は普通に接してくれている。
麻里は今朝のやりとりを李に話した。今朝のミラとアレックスの会話は、麻里はほとんど聞こえていなかった。ただ声色から何となく良くない雰囲気だったというのはわかるし、こちらを見て会話を辞めたのはいいが、ひょっとすると自分について話していたのではないか。自意識過剰かなと思いながら、そんな不安がもたげてくる。
「緊張してるのかなあ」
「うーん、まあわからなくもないけどね」
李が腕を組む。
「だって、〈Al : ALEX〉と会うのって数年ぶりなんだろ? 向こうは向こうで仕事も大変だし、君は君で成長したし」
「でも、アレックスはロボットなのに。ロボットとこんなにコミュニケーションがとれないって初めてだわ。私も遠慮してるのかな」
麻里はぶうたれる。李はストローを噛み始めた。
「ロボットも、初めての環境には慣れと学習が必要だし、環境が人であってもね。たぶん〈Al : ALEX〉は、人間の成長を間近で見たことがないんじゃないかな。なんだかんだ言って彼はまだ起動して数年だろ。きっと赤ん坊にだって会ったこともないし、子どもの扱いなんか知らないんじゃないかな。あ、いやマリが子どもってことじゃなくて」
あわてて李は笑ってごまかす。
「そうかなあ」
「成長だよ、成長。あと十数年も経ったら、マリがアレックスの年齢を超えちゃうかもしれないんだぜ。ロボットは、少なくとも見た目に歳は取らないからね。経験は積むけど」
麻里は目を見開いた。ずっとアレックスは年上だと思っていたのに、そんなことは想像もつかない。まるで小さい頃に読んでいた本の、登場人物の年齢を自分が超えてしまうような。だがそれと同時に、アレックスが歳をとる様子も想像できなかった。何十年経ってもアレックスはアレックスのままだろう。
李は目を細める。「マリは〈Al : ALEX〉のことばっかりだな。相手はロボットなのに」
麻里はどきりとしたものの、否定する気にはなれなかった。図星ではあった。単純にロボットと一緒に暮らしていれば、機能の面で興味が出てくるものもある。それ以外の理由もあるだろうけど。
「うん……ロボットなんだけどね。私にとっては兄さんみたいなものだから」
「すげえ環境。さすがオカダ先生の家だな。ロボットが家族か」
そう言って李は立ち上がり、微笑む。
「〈Al : ALEX〉が終わったら、次はぼくとデートしてね。いいとこ連れてってあげるから」
たぶん、彼なりに元気づけてくれているのだろう。麻里は手を振って答えた。