5
空が藍色に染まっていく。
花火が始まる時間は時計を確認しなくてもわかった。周囲のざわめきが教えてくれたのだ。
とっくの昔に花火の見えやすい場所は取られていて、ビニールシートが隙間なく並べられていた。
「花火、どこで見るんだ?」
拓海はわたがしを片手に俺に聞く。
「今捜してる」
「……」
拓海は黙ってしまった。俺が悪いのはわかっている。言い訳にしかならないから言わないけど。
小一時間ずっと立ちっぱなしでいるわけにはいかないので、二人で座れそうな場所を探す。しかし思うようにはいかない。手短なベンチはすでに占領されている。拓海は浴衣だから直座りは駄目だ。ビニールシートでも持ってこればよかったな。
「別に浴衣汚れてもいい」
「そんなわけにいかないだろ、おばさんだって困るだろうし」
「土手は空いてるし」
「……」
確かに橋の下の土手は空いている。だけど。
「行こ。あっちだと花火もっと大きく見える」
「まあ拓海がいいって言うんなら」
「うん。花火、一緒に見よう?」
「そうだな」
俺たちは坂になっている土手に下りた。
まもなく、花火が上がる。
喧騒が騒がしくなり、人々は今か今かと待つ。
花火が上がった。大きな歓声が周囲から響いた。
夜空に大輪を咲かせた。赤、黄、緑、と夜空を鮮やかに彩る花火。
「ほぅ……」
俺は感嘆の声を上げた。久しぶりに、生で花火を見た。炸裂音が響き、夜空を輝かせた。
「綺麗だ……」
拓海も呟く。
ふと、俺は彼女の横顔を見つめた。
花火の光に照らされる顔。花火よりこっちのほうが綺麗だ。
「なぁ、拓海」
「ん?」
拓海は花火に目をやったままだ。それでも俺は続けた。花火の音に負けないように。
「今日、俺は……」
緊張で喉が渇く。異様に体が熱い。じめっとした夏の暑さだけじゃない。落ち着けと言い聞かせ、眼鏡を触る。
「俺、拓海が……」
――好きだ。
花火の音と重なった。
赤い花火だった。俺の顔はそれ以上に赤くなっているのだろうか。
「…………え」
拓海が振り返った。漆黒の瞳を大きく開いて、俺を見ている。
視線が交差する。
花火の音は遠く聞こえた。
「今、なんて……?」
拓海はか細い声で聞く。俺はもう一度言った。
「拓海が好きだ」
「……」
張り裂けそうな鼓動。ちょっと黙っていろと左胸を叩く。
「俺は……」
男口調でつんけんしている拓海も。
可愛らしい服を着て、顔を赤くしている拓海も。
拓海の全部が好きで好きでたまらない。
「だから……好きだ……」
「ハルちゃん」
困惑した表情。澄んだ瞳はわずかに揺れている。無理もない。ずっと一緒にいる幼馴染から告白を受けたのだ。
沈黙が続く。また花火が夜空に上がり、低い音が耳に響く。
やっと拓海が口を開いた。
「この前、」
「うん……」
「ハルちゃんにひらひらの服似合ってるって言われて……すごく嬉しかった」
とつとつと拓海は言う。
「浴衣もそうだった」
拓海は浴衣を見下ろす。
「こんなの私は興味ないから。母さんが『ハルちゃんと出かけるなら!』っうるさかった。下駄は歩きにくいし、袖は邪魔だし、嫌だった……けど」
淡く微笑んだ。
「ハルちゃんが似合ってるって。とても嬉しかったんだ」
ゆっくりと、少しずつ、拓海は思いを語る。
「ハルちゃんの前だとドキドキして、胸が苦しくなる。最近そう思うようになった」
「え……」
耳を疑う。これは期待をしていいのだろうか。
花火は上がり続ける。二人の会話など誰も聞いていなかった。
「でも、」
「……」
「私ってこういうの疎いからわからなかった。今でも、ハルちゃんのことどう思ってるかわからない……」
拓海は悲しそうに目を伏せた。
「……別に答えなんていらない」
「え?」
拓海が振り返る。その顔は少し赤かった。俺もしっかりと彼女を見つめ返す。
「俺は、拓海と一緒にいたいだけだから。いつもみたいに、アホなこと言って、笑いたいだけなんだ」
俺は胸の前でぐっと拳を握った。
「けど、これだけは確かだ。――俺は拓海のことが好きなんだ」
茫然としてこちらを見つめる拓海。やがて、その口元が緩んだ。
「……ハルちゃん、さっきからそればかりだな」
くすりと笑う。その微笑みは呆れたような、嬉しいような表情だった。
「これかも一緒に決まってる。私もハルちゃんと一緒にいたいから」
「それって期待していいの?」
「えっ?」
俺は拓海に近づいた。拓海はびっくりしたように後ずさる。
「俺って単純だからさ」
「ハ、ハルちゃん……っ」
目と鼻の先にある拓海の真っ赤な顔。花火の明かりがなくても、はっきりしている。あぁ、もっとその表情を見ていたい。
俺はそっと拓海の頬に手を触れた。
「だっ、駄目だッ!」
「んっ」
徐々に近づいていくと拓海に押し戻された。
俺の肩を掴んだまま、拓海は耳まで真っ赤にする。拓海はすごくしおらしく、今まで以上に女の子みたいで、すごく愛おしかった。
少し潤んだ瞳が俺を捉え、拓海の唇が動く。
「……そ、そういうのはまた……今度にして……」
暑い夏。
花火の音と人々の喧騒。
二人の夏休みは過ぎていった。
Fin.