兄の覚悟
彩也子はどうするべきなのかわからなかった。このままではいけないのはわかっていたが、どうすることもできなかったのだ。最後に紡が言っていた言葉が気になり、とりあえず紡が持ってきてくれた本を読んだ。残るはあと一冊だ。
「彩也子。入るぞ。」
部屋に一也が入ってきた。一也はため息をつく。
「お兄様。お久しぶりです。」
彩也子は無理矢理微笑む。最近多忙な兄とは全然会えていなかったのだ。
「久しぶりだな。それより彩也子。最近ろくに部屋から出ずに、ご飯もろくに食べていないと聞いたのだが。」
一也は呆れたように言う。部屋にこもっていたのは本をずっと読んでいたからだ。ご飯を食べなかったのは食欲がわかなかったからなのだ。
「ごめんなさい。」
「彩也子。紡と喧嘩したそうだな。紡から聞いたよ。紡はあれで悪い奴ではない。ちゃんと話し合ってみなさい。」
「はい。そうします。いつかは。でも今はまだ無理です。どうしてなのか私にもわからないから。」
彩也子は俯いて言う。一也は再びため息をつく。
「枢木家は記録だ。宮廷や社交界のあらゆることを後世に伝えるために記録しているんだ。そのために枢木家当主にはプライベートがない。それは辛いことだ。仕事のために自分を押し殺すのはとても辛いことなんだ。彼らは人の秘密を抱える。それはとても大変なことだ。でも、お前なら彼を支えられると思うよ。」
一也がそう言うと、彩也子は一也をじっと見つめて苦笑いを浮かべる。一也は真っ直ぐだ。それにくらべて自分はなんて歪んでるんだろう。一也は彩也子の頬をつねる。
「彩也子。お前の頭は難しく考えるのには向いていない。いつも言っているだろう?お前は前向きに生きていなさい。私はお前を不幸にはしない。それだけは約束する。」
一也は彩也子を安心させるように言う。彩也子はぎこちなく微笑む。彩也子をいつも一也は大事にしてくれている。それが彩也子にはたまらなく嬉しかった。母の代わりに無償の愛をくれたのはいつだって兄だったのだから。
「お兄様。ありがとうございます。お兄様のおかげでなんだか安心しました。あと、安心したらお腹が空いたのでご飯ちゃんと食べますね。」
彩也子はそう言って立ち上がった。一也はそんな彩也子を微笑ましく見つめる。明るくて真っ直ぐな妹。時々、何かに悩むこともあるが、それだってきちんと言い聞かせれば立ち直ってくれる。一也は家族の中で一番彩也子が大事だった。彩也子を守りたいのだ。そうあの人にだって誓った。あの人は最後まで彩也子と自分を子供として愛してくれたのだから。
一也はいつもの酒屋で紡と会っていた。紡は苦笑いを浮かべており、一也は紡を睨みつけていた。
「やあ。」
「ああ。久しぶりだな。」
一也はとても不機嫌そうだった。当たり前だ。一也の大切な大切な妹を傷つけたのだから。紡はため息をつく。
「それで、話したいことってなんなんだ。」
「不機嫌な君に言うのは心苦しいんだけど、君たちが彩也子さんにひた隠しにしているあの秘密を明かそうと思う。」
紡が言った言葉に一也は目を見開く。
「お前は何を言っているのかわかっているのか?」
「ああ。」
一也は怒りを鎮めるように拳を握りしめながら言う。紡は頷く。一也は紡の襟元に掴みかかった。
「ふざけるな!お前に何の権利があるんだ。」
「強いて言うなら枢木家としての権利かな。これは仕事だ。それに彼女に黙ったままだと、不幸せなのは彼女だよ。わかるだろう。彼女は両親の結婚が不幸せなものだと思い込んでるんだ。そう思い込ませたのは誰かは今は問わない。でも、それだと後々六花に不都合が生じる。彼女は僕の婚約者なんだ。六花に加わる者に不安要素があっては困る。それにもう彼女には鍵を渡した。」
紡は真っ直ぐに述べる。一也はぱっと手を離す。
「こんなことならお前と婚約なんてさせるんじゃなかった。...俺の罪をあの子に知られたくないのは俺の考えか。仕方ないのか。」
一也は茫然自失とした様子で言う。
「これだけは約束するよ。一也。君の何よりも大切な妹は僕が守ってみせる。彼女を幸せにしたいと考えてる。だから僕を信じてくれないか。この件は任せてくれ。」
紡はいつになく真摯な様子だった。一也は一瞬考え込み、頷いた。覚悟を決めたのだ。