許婚の特別
私は穏やかに紡様に恋をしてる。でもきっと紡様は私に恋をしていない。だって私が初めて紡様を見た時、まだあの方が紡様と知らない頃の話だが、紡様は女の人と口づけを交わしていた。
「彩也子。ここにいたのか。今度の母上のお墓参りの話だが。」
兄の一也は彩也子に声をかけて目を丸くする。何故なら妹が編んでいたレース編みの何か(もはや何を編もうとしていたのかすらわからない)がとんでもない長さになっていたからだ。一也はため息をつく。
「彩也子。」
「うわあっ。お兄様?...ご機嫌よう。」
彩也子は驚いて持っていた編み針を離す。
「彩也子。お前ももう17だろう。しかも婚約者までいる。なのにそんなにそそっかしいことでどうする。」
一也は頭に手を当てながら説教する。彩也子はしゅんとする。
「はい。申し訳ありません。お兄様。」
「お前の悪い癖だぞ。考え事にふけってその他が疎かになるのは。いい加減直す努力をしなさい。」
「はい。直せるように努力します。」
彩也子は項垂れて言う。一也はふと妹のレース編みの何かを見る。昔に比べたら妹のレース編みの腕も随分上達したものだ。
「でもまあ、レース編みに励むのは悪いことじゃない。貴婦人の嗜みだからな。これからも頑張りなさい。随分上達したようだしな。」
一也の言葉に彩也子は顔を輝かせる。彩也子は一也を慕っている。一也にとって彩也子は大切な大切な妹だ。母が亡くなった今この妹を守ってやれるのは自分しかいないのだから。
「それで母上の命日のお墓参りだけど......父上は仕事があるから私達二人だけで行こう。」
一也の言葉に彩也子は頷く。亡くなった彩也子達の母彩由子と父花小路伯爵はあまり仲の良い夫婦ではなかった。父には愛人もいてその愛人との間には子どもも一人いた。だから父はあまり家庭というものに関心がない。昔は彩也子もそんな父を寂しいと感じていたが、今ではなんとも思わないようになってしまった。彩也子がそう思えたのも兄のおかげだが。兄は父代わりに母代わりに彩也子を育ててくれた。真面目で無愛想な兄だが彩也子は大好きだ。
「彩也子さん。お待たせ。」
「いえ。そんなに待ってません。」
紡の謝罪に彩也子は微笑んで返す。彩也子は宮廷にいた。天皇に呼ばれたのだ。母の彩由子は今上天皇の叔母であった。なので、時々彩由子は今上天皇に呼ばれることがある。紡はそういう時大抵ついてきてくれる。
「天皇陛下はまだ謁見が終わられないらしいから、先に藤壺に行って、藤壺の中宮様に挨拶を済ませてこようか。」
紡はそう言って彩也子を藤壺に連れて行く。藤壺の中宮は素晴らしい皇后と名高い。早乙女公爵家令嬢であった方で明るく朗らかな方だ。未だに天皇からの寵愛が衰えないのもわかる。
「中宮様。花小路伯爵家令嬢をお連れいたしました。」
「まあ。お久しぶりですね。彩也子さん。紡さんも連れてきて下さってありがとう。」
中宮はそう言って彩也子に微笑みかける。相変わらず美しい方だ。美しい十二単を着ていて、とても似合っている。
「お久しぶりにございます。」
「主上も早く貴女に会いたがっていたのだけれど。どうやら近衛公爵の報告が終わらないようなの。わざわざ主上のわがままで来てもらったのにごめんなさいね。」
中宮はそう言って申し訳なさそうに謝る。彩也子は慌てる。
「いえ。陛下はお忙しい方ですもの。わざわざ私の謁見のために時間を割いていただくことすら申し訳ないですわ。」
「まあ!貴女に会えるのを主上は楽しみにしているのよ。だから、そんなことをおっしゃってはだめですよ。」
「その通りだ。君は彩由子様の娘なのだからね。彩由子様は素晴らしい方だった。賢くて優しく、美しい。あのような方をあんなに早くに亡くしたことは本当に惜しいことだ。君は本当にそっくりだよ。彩也子嬢。」
天皇は懐かしそうに彩也子を見つめる。紡は天皇の後ろにいる少女に気づく。少女は紡に微笑みかける。
「本当に天皇陛下は彩由子様を慕ってらっしゃる。でも、本当に彩由子様は素晴らしい方でしたわ。私もよく助けていただきましたもの。」
中宮は微笑む。天皇も頷く。
「紡。すまないが、真桜とちょっとだけ面倒事をかたづけてきてくれないか?」
「面倒事ですか?」
天皇の言葉に紡が聞き返す。するとすっ、と天皇の後ろにいた少女、早乙女真桜が出てくる。
「ええ。貴方の力が必要なの。ごめんなさい。彩也子様。少しだけ婚約者殿をお借りしますね。」
天皇の後ろにいた少女、早乙女真桜がそう言って紡を連れて行く。その様子に中宮はため息をつく。
「陛下。何故真桜を連れて来たのですか。」
「え?いや、だって枢木家の力が必要だったし。」
「もう!相変わらず女心がわからないんだから。」
天皇と中宮はこそこそと話している。彩也子は誰にもばれないようにため息をつく。
やはり紡にとって、従妹の真桜は特別なのだろうか。だって紡と口づけを交わしていたのは早乙女真桜なのだから。




