彩也子と許婚
日出国に六の花を冠する家ありけり。すなわちこれを六花と呼ぶ。
近衛家を筆頭に、早乙女家、枢木家、右楯家、左楯家、鷹司家。
薔薇の近衛家は国主である天皇の公的補佐を。
百合の早乙女家は天皇の私的補佐を。
葵の鷹司家は儀礼を。
鈴蘭の枢木家は記録を。
朝顔の右楯家は軍事を。
夕顔の左楯家も同じく軍事を。
これら6つの家を人々は六花家と人々は呼ぶ。現代では6つの家全てが公爵家となっている。
花小路彩也子は花小路伯爵家の長女だ。花小路伯爵家は伝統はあるがぱっとしない家柄。彩也子自身は母譲りの美貌はあるが、別に特に聡明でもなければ特技はない。だから疑問なのだ。目の前にいるこの許婚がどうして彩也子を選んだのか。
「どうかした?彩也子さん。」
彩也子は許婚の枢木紡に声をかけられて、はっとして我に戻る。紡は鈴蘭の枢木家嫡男だ。見目は麗しい。まあ六花の血筋で見目麗しくない人物など彩也子は見たことないが。頭は聡明で記憶力が特に良い。彩也子はこの許婚が好きだ。本人に言ったことはないが。
「いえ。紡様こそどうかなさったのですか?」
彩也子が声をかけられると、紡はふ、と微笑む。紡は彩也子に近づき、髪に手を触れる。
「髪に葉っぱがついていたよ。」
紡は彩也子の髪についていた葉っぱをひらひらしながら言う。
「さすが彩也子さんだ。葉っぱにまで好かれてるんだね。」
紡がからかうように言うので、彩也子は顔を真っ赤にする。熱をさまそうと、両頬に手を当てる。
「もう、紡様ったら。」
「はは。ごめんね。」
彩也子はじっと紡を見つめる。父の話では紡からこの婚約話を持ちかけて来たらしいが、どこで彩也子を知ったのだろう。彩也子はその頃は滅多に社交界に出なかったし、学校なんてほとんど会わない。謎だ。でも紡は話上手で一緒にいて楽しい。彼とだったら穏やかな家庭が築けるだろう。彩也子は穏やかに紡に恋してる。
「ごめんね、疲れちゃったかな。そこのベンチで休もうか。」
紡はそう言って彩也子をベンチに連れて行く。彩也子は自分を責めた。気を使わせてしまった。
「彩也子さん。来週の話は聞いてくれた?」
紡が聞くと彩也子は頷く。
「兄から聞きました。来週の御影侯爵家の夜会ですよね?」
兄の一也は紡と来週行われる御影侯爵主催の夜会に行くようにと言われたのだ。正直、彩也子は社交界は大がつくほど苦手だがこれも許嫁の務めだ。社交界というと、最初の時を思い出す。初めて紡と社交界に行った時のことを。慣れない社交界に彩也子は少し辟易していた。
『彩也子さん。疲れちゃったね。』
そう言って紡は苦笑いをして、彩也子を誰もいないバルコニーに連れ出す。
『僕は社交界は正直苦手なんだよね。』
『ええと、私も正直得意ではありませんわ。』
彩也子は紡の正直な意見に驚きながら受け答えする。紡は笑う。
『貴女とは気が合いそうだ。彩也子さん。...っと。そろそろ踊りにでもいきますか。』
そうやって紡は彩也子の片手を掴んで口づける。彩也子は顔を赤くする。
『踊っていただけますか?お嬢さん。』
『はい。』
彩也子ははにかみながら言う。
『先ほどの台詞って何かの引用ですか?』
彩也子が聞くと、紡を目を輝かせる。
『わかってくれましたか?こないだ読んだ恋愛小説の引用だよ。』
紡はよく恋愛小説などの歯の浮くような台詞を引用する。どうやら初めて彩也子に言った時の反応がツボに入ってしまったらしい。しかし、彩也子はこんな明るい紡を知って行くうちに惹かれて行ったのだ。
「随分と幸せそうな笑みだね。何か面白いものでもあった?」
「え。そんな顔をしてましたか?」
彩也子は紡の指摘に恥じらいを見せる。紡はうん、と頷く。
「してたよ。」
「初めて紡様に社交界を連れていったもらった時のことを思い出していたんです。」
「ああ。あの時のこと?彩也子さんは可愛かったなあ。」
「え。」
彩也子は思ってもいなかった言葉が返ってきて固まる。紡はにっこり、笑みを浮かべると、彩也子の耳元に顔を寄せる。
「今ももちろん可愛いけどね?」
「もう!紡様なんて知りませんわ。いつもからかってばかりなんだから。」
彩也子は顔を真っ赤にして立ち上がる。そして歩いていく。紡はそれを追いかける。
彩也子は幸せだ。たとえ、この幸せな時が紡が作ってくれたまやかしの物語だとしても。