2話「帝国」
十年前。まだ、魔法という概念が人々に定着していた時代のある大陸で、戦争が起こった。
後に鉄の戦争と言われる、大陸東部を戦場とした大戦。
犠牲者の殆どは軍関係者であったが、その中の六割近くは攻め入った国の兵士だった。
戦争の原因は定かではないが、公ではとある国の王が乱心したことがきっかけだと伝えられている。
その国の名は――アルゴス王国。
大陸中央部に位置し、そのため東西南北を行き来するための交通要所として利用され、大陸各地の資源が流入する場所となった。
そんな恵まれた貿易国であるアルゴス王国の国王は、まるで何かにそそのかされたかのように、ある日突然大陸東部最大の国家ヴァイス帝国への侵攻を兵士達に命じた。
長らく続いた平和のせいもあって、技術発展にのみ力を注ぎ、余分なコストを削減と称し毎年の軍備縮小を繰り返していた帝国にその侵略を完全に止めるだけの力は残されてはいなかった。
その時帝国が有していた戦力といえば、殆どの部隊が民間の警備会社と同じレベルまで衰退した軍隊と、初代皇帝の時代から伝統として存在する――帝国の聖剣と呼ばれる五人の親衛隊。
当時参戦した二十二代目帝国の聖剣。彼らの活躍でアルゴス軍の侵攻は帝国西側だけに留められていたが、それも数日の間のみ。
帝国の聖剣の内、四人が倒れると同時にアルゴス軍は再び勢いを増し、遂に帝都目前まで戦火が広がってしまう。
もはや誰の目にも、帝国の敗北は見えていた。が、
ここから先に起こる出来事こそ、この大戦が鉄の戦争と言われる由縁である。
豊富な鉱山資源に富む帝国。それにより発展したのが、金属加工による機械技術。戦争が起こると同時に、その技術を反撃の道具として転用できないかと、皇帝の命で帝国内部の技術屋達は総出で意見を出し合った。しかし、元々が生活を支援する為の機械。その技術を武器として利用すること自体が難しく、開発は難航してしまう。
その時間の遅滞が、結果として帝国の聖剣達の命を奪ってしまった西方前線。だが、皮肉にも彼らの防戦が時間稼ぎとなり、アルゴス軍が帝都へと到着するよりも早く武器は完成した。
それは戦争の大局を覆す力を持った――いや、世界のパワーバランスすら変えてしまう鋼鉄の武器。
――銃器が生まれた瞬間。
火薬で作動するそれは、一瞬の内に戦場を銃弾の雨で蹂躙した。
戦闘で使うには、少なくとも一年以上の鍛練が必要な魔法と違い、銃器は手にした瞬間から人を兵士に変える。
帝国内部でも、市民がレジスタンスを立ち上げ、銃を手に戦った。
安易に補充の利かないアルゴスの魔法兵達。レジスタンスと協力しながら増大化する帝国軍。
銃は圧倒的な早さで戦力の差を埋め、誰にも予測できなかった戦争の結末を導き出した。
戦局の転覆から二日。もはや敗戦は確実と悟ったのか、アルゴスの国王は兵を帝国領土から撤退させる。
無論、それだけで罪を清算できるはずもない。二つの国家はある協定を結ぶ。
それは、帝国の技術を全て提供する代わりに、アルゴスはその貿易能力を駆使して技術を大陸全土へ広める事。
それにより、機械技術は瞬く間に大陸中に広まった。
二年が経ち、大陸において機械は生活の必需品となる。
四年が経ち、魔力を有した結晶を原動力とする機械が生まれ、今後の動力源はそれに取って代わる。
七年もすると、もはや魔法という言葉すら知らぬ者すら生まれた。
そうして徐々に人々の生活からは、魔法という認識が薄れていく。
それから十年の時が流れた帝都では――
「さすがに制服着た奴らは俺達だけか」
朝の失態を鼻で笑いつつ、総一は帝都の黒い石畳の歩道を歩む。
後ろでは、鞄の代わりにどこから出したのか両手で抱えるほどの大きな紙袋を持った朱里の姿。確か、玄関を出て行った時は、そんなものを持っていなかったはずだが。
その話は置いておいても、視界すらも塞ぐほどの紙袋を抱えながら傍でふらふら歩かれると、さすがに誰かとぶつからないか心配である。
紙袋の中身は恐らくハンバーガーであろう。衝突してぶちまけないか、と心配していたものの、どこからか見えているのか、朱里は華麗に通行人を避けながら総一と離れずにちゃんと歩いてくれる。
「いやー、この時間は人通り多いね~」
またひょい、と帝都の名物である観光客達の人込みを左右にスライドしながら避けつつ、朱里の笑い声が聞こえる。が、総一からだと朱里の下半身しか見えず、足の生えた紙袋が喋っているような滑稽な姿に映ってしまう。
「お前……紙袋に目でも付いてるのか」
「ノー! ハンバーガーの神様から力を貰えば、世界の真理を見ることも容易いのだよ少年!」
「何を言ってるんだ」
突然興奮する朱里。
それを見つめるように、いつの間にか小学生くらいの少年が立ち塞がっていた。
なんだ、と総一が傍観していると、少年は朱里を指さしながら高らかに声を上げる。
「ふくろのおばけだー! ていっ!」
と、同時に少年の鋭い右ストレートが朱里の下腹部に直撃。
「――ふぐぅッ!?」
およそ女性とは思えないような低い声を上げながら、紙袋だけは丁寧に傍へ置き、朱里はその場で腹を抱えてうずくまる。見れば、微かに体が震えていた。結構効いているのだろう。それでも、ハンバーガーを守るあたりはさすが朱里である。
しかし、どうやらハンバーガーの神様は世界の真理は見せてくれても、小学生の右ストレートは予見できないらしい。
今だうずくまる朱里を見ながら、胸を張って満足そうな顔をする少年――の母親らしき人物が人込みの奥から駆け寄ってくる。まだ二十代くらいの若い女性だ。
彼女は朱里と少年を交互に見て事情を察したのか、
「す、すいません! 家の子がとんだ御無礼を!」
ほぼ90度の角度で腰を折って頭を下げてくる。
「いえ、大丈夫です。悪いのはこいつですから」
「ソー……イチ……君。酷い……」
朱里はうずくまったままくぐもった声をしぼりだす。
その後も、総一の視界から消えるまでずっと頭を下げていた母親と、満面の笑みで勝利を勝ち誇った少年をその場で見送りつつ、朱里へと視線を戻す。
「おい、大丈夫か?」
無言で腹を抱えたまま、朱里は右手を挙げて親指を立てた。大丈夫、ということだろうか。
「参ったね、さすがの私も残機が1くらい減るかとかと思ったよ」
「何あいつみたいなことを……」
本当に効いていたのか怪しくなるほど数分でケロッと立ち上がった朱里と共に、再び学園を目指す。
なんだか今日は、無駄に時間を取られているような気がしてならない。
このままだと、二時限目まで遅刻の可能性も危惧しなければならないか。
しかし、それ以降は特に何も起こらず、総一の心配は徒労に終わった。
「とうちゃ~く。二時間目には間に合いそうだね」
二人の目の前には堅牢な鋼鉄製の門。門の柱にはソルダート学園の校名板。
何とか、目的地に到着できたようである。
「やれやれだ。さて、あいつになんていうか」
「ほえ? カー君に言い訳? そんなの……去勢しちゃうぞ! てな感じで言っとけば問題ないよ」
「カークの扱いだけはひどいよな、お前」