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「8年前」

 とある少年が、十歳の誕生日を明日に控えた満月の晩。


 少年は震えながら、村の角にある樹木の根元で膝を抱えて座り込み、視界に映る(あか)を見ていた。


 それは、燃え盛る家屋の色。


 それは、逃げ惑う人々の体中から噴き出す体液の色。


 それは、少年の命を刈り取ろうと振り上げられた刃の色。


 まるで血塗られたかのような(あか)(やいば)は、空を裂く音と共に少年の頭部へと振り下ろされた。

 その瞬間、少年と刃の間に一つの影が割って入る。


 それは人間。月光に照らされたその容貌は、女性のもの。

 女は少年を守るように刃の前へと立ち塞がり――


 振り下ろされた刃は、容赦なく女を袈裟に斬り裂いた。それで力を失ったのか、女は重力に従い、それでも少年を庇うように倒れ込む。

 力なく少年の体に寄りかかる女。それに向かって――


「おかあ……さん」


 少年は知らずに呟いていた。

 女の正体は、少年の母親。

 この狂気に蹂躙された空間で、ただ一人の我が子を守るためだけにその命を投げ打った。しかし、それは一度きりの守護の楯。

 そう、少年の前で再度振り上げられる深紅の刃を止めるの者は、もういない。

 再び少年へ迫りくる刃。だが、

「もういい、終わりだ」


 どこかで、無機質な生気を感じさせない声が響いた。それが合図のように、少年の数センチ手前で深紅の刃は止められる。


「おい、まだ一人残ってんぜ?」


 またどこかで、嘲るような別の声。


「マスターは終わりと言った。……逆らう気か?」


 今度の声は、少年の目の前から発せられた。

 視界を遮る深紅の刃が鞘に納められ、その外観がはっきりと少年の双眸に映り込む。


 それは、闇色のマントに全身を包み込んだ男。

 少年が見渡すと、周りにいる死体以外の全員が男と同じ黒装束の格好をしていた。

 一瞬、男と少年の視線が交差する。


「……ぁ」

 少年は声にならない悲鳴をあげた。

 まるで、黒いシルエットのような男。その男の顔に浮かぶ、人には有り得ぬ金の瞳だけが、星のない夜空に輝く満月のように、圧倒的な存在感を放っていた。

 金色の(まなこ)を持ち、夜暗よりも深い闇を纏ったソレは、まるで人の形をしただけの――幽鬼。


 その姿が、少年の心を恐怖で染め上げた。

 母の亡骸すら払い除け、ひたすら黒の恐怖から逃れるために走り出す。

 が、すくんだ足は体を支えることを拒絶し、すぐに使い物にならなくなった。

 倒れ込んだ地面は血で湿っていて、少年の体を赤く濡らす。


 もはや足は役に立たない。それでも、

 立てないのならば這ってでも、

 這うこともできないなら転がってでも、

 少年は、辺りに散乱する血肉で体が汚れることすら忘れ、

 ただ目の前の恐怖から逃げたい。それだけに支配された思考の赴くまま、満月の光だけを頼りにその場から逃げだした。





 あれからどれくらい経っただろうか。少なくとも昇る朝日が見える以上、数時間は経過しているはずだ。

 だとしても、それであの黒い男達がいなくなっているかなど分かりもしないのに――


 少年は何かに招かれるよう、再び戻ってきてしまった。自分の村、そして母の元へ。

 幸い、黒衣の男達の姿はない。家屋を灰に変えていた炎も、もはや燃やし尽くすものがなくなり鎮火している。


 残っているのは、まだ乾ききっていない生々しさが残る地面の血や肉塊と、立ち込めるタンパク質の焼ける臭い。そして、母だったもの。

 ふと、少年は時が経ち冷静になった頭で思い出す。もう一人の家族、父はどこだ、と。少なくとも、少年が騒ぎで家を飛び出すときにはまだ母と一緒にいたはずだ。


 辺りを見渡しながら、目的の人物を探していると――いた。あの村一番の屈強さを自慢していた父の姿を、少年が見間違えるはずもない。

 声をかけようと、地面に座り込み背を向けている父の肩を少年が叩く。

 しかし、反応はない。

 怪訝に思いながらも、少年は父の正面に回り込み――


 それを見てしまった。

 胸から腹までがパックリと裂け、臓器を一つ残らず取り出されたその姿を。


「あ……ぁ…………」

 少年の頬には、涙が伝っていた。

 が、それは直ぐに拭い、少年は父をか細い手で地面に引きずりながらも母の隣へ移動させる。


 二人を並べて仰向けに寝かせた後、無残に切り裂かれた父には、なるべく綺麗な衣服を死体から剥ぎ取り被せてやる。

 そうして二人を見つめる少年の中。恐怖から覚めた心中で、新たに芽生えた感情があった。


 それは、耐えがたい怒りと憎悪。

 あの男達を殺したい。今すぐこの手で。

 幼いながらも、その力が彼らに及ばぬことは分かっていた。それでも、憎い。ただただ憎かった。殺したいほどに。そんな少年が望んだのは――力。

 無意識に少年が握った拳に爪が食い込み、滲んだ血の滴が滴り落ち地面を濡らすのと、その声が聞こえたのはほぼ同時だった。


「憎いの? こんなことをした人が」


 調べのように美しく、透き通った声音が、空気を伝って少年の耳へと届いた。


 振り向けば、そこには一人の少女。腰まで流れる、雪のように白い髪。それと同じ色をした肌は、一切の不純物を含まない白磁のようで、美しい。

 何より少年の目を奪ったのは、左右で色の違う(あか)(みどり)の双眸。


 その白く鮮麗された姿は、まるで少年が母親に読んでもらっていた絵本に登場する女神のようだった。


「少し……いいかな?」

 柔和に彼女は微笑むと、少年に歩み寄ってしゃがみ込み、宝石のように輝く瞳で見つめてくる。

 こうして手で触れられる距離まで近づかれると、この女神にも劣らぬ美貌の少女が現実にいるのだと再認識し、少年は本当に絵本から出てきたのではないかと錯覚まで覚える。


「君は、これからどうしたいの?」

「あいつらを……殺したい」

「それは、とても恐ろしいことなんだよ?」

「それでも…………僕はあいつらを殺す。そのための力が……ほしい」


 少女は一度顔を伏せ、何かを逡巡するような間を作る。が、それも数秒程度。再び顔を上げると、そのルビーとエメラルドの瞳を少年に向けた。


「君が望むのは、戦うための力?」

 少年は、無言で頷く。


「私なら、君の願いを叶えてあげられるかもしれないね」


 そうして、彼女の手が少年へと差し伸べられる。


 これが、分岐点。

 しかし、少年には選択肢など無意味だ。

 彼はもう――歩む道を決めてしまったのだから。



 ゆっくりと、それでも決意を込めて。少年は、差し伸べられた白い女神の手を取った。

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