◆資料館の主◆失恋と理解者2
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司書室に印が無いのを確かめて、弥也子は扉を叩こうとした。
「弥也子さまあ!」
叩く前に扉は開き、いつもポーカーフェイスに微笑む少女が弥也子に抱き付いた。
「まあ、涼子さま。」
弥也子が何を云うよりも先に、恵美が心配そうな声を上げ、涼子を引き離した。
「どうなさったんですの?」
弥也子は生温い眼差しで恵美を見守った。
――妬くのね。涼子さまにも。
こんな時だけはキチンとした言葉を遣える友人が、弥也子には不思議でならない。
鍵をかけて、何故こんなに立派な応接セットが司書室にあるのか首を傾げるソファーに恵美と涼子が並んで座る。
勝手知ったる司書室の簡易キッチンで、弥也子は紅茶を淹れた。
家事は弥也子が覚えるべき仕事では無いが、ケーキやクッキーなどのお菓子だけは作れる。
同じく、お茶も完璧な美味しさで淹れる。
これは淑女としての趣味に相応しいから、殆ど義務として覚えた事だった。
お茶の葉を蒸らす間にカップを温め、恵美が持参したクッキーも皿に盛った。
ご飯も炊けない娘とは思えない手際である。
料理までは手を出さなかったが、弥也子がその気になれば完璧なディナーさえ作れる様になるだろう。
しかし弥也子はその必要を認めず、簡単な朝食すら作った事は無い。
お菓子作りもある程度のレパートリーを身に付けた後は、気紛れに復習を思い立った時以外で、キッチンに立つことは無かった。
必要になれば作れない事も無いだろうが、そんな必要があるとも思わないから、興味すら抱かない弥也子である。
美味しいお茶を淹れるのは嗜みと考える故に、完璧に熟す弥也子であるから、女性らしい趣味に「必要」以外で興味を持つ事は無かった。
お茶を飲んで、落ち着いた涼子は語った。
曰く、恋をしている。
曰く、年上の男性で。
曰く、彼には恋人が居る。
「つまり失恋なさったのね?」
弥也子はあっさりと告げ、涼子はまた泣いた。
恵美が涼子の肩を抱いて慰めた。
「もう良い。誰でも良い。今日迎えに来た人とホテルでも何でも行ってやる!」
「何故いきなりホテル?その前に婚約じゃないの?」
恵美が微妙な常識発言をした。
弥也子も一応は同意見だった。しかし恵美の奔放さを、処女なら許されると云うものでは無いと思う弥也子は、その彼女と意見を同じくする事に抵抗を感じた。
「………。」
故に弥也子は、無言でカップを傾けた。
「何を云うの!?試さないと怖いじゃない!!」
「………試すって。」
「変態だったらどうするのよ!?」
恵美と弥也子は顔を見合わせた。
そう云えば、涼子の元に相談に来る女性達の配偶者は、特殊な性癖持ちが多い。
年齢的な問題で、滅多に社交の場に身を置く事は無いが、少ない機会でも逃さず観察していた二人である。
恵美はその本能で、弥也子は努力と才能で、その性癖を見抜いた相手は少なくない。
「そもそも処女の癖に、何でそんな恋愛相談受けてるの?」
「恵美さま………。同感ではございますけど。」
もはや言葉を取り繕わない恵美に、弥也子はため息を零した。
「恵美さま!」
「うん?」
「弥也子さま!」
「はい。」
感極まった様子で、涼子は叫んだ。
「嬉しい!!!」
失恋を忘れ、涼子はサメザメと嬉し泣きした。
恋愛相談室と呼ばれ、様々なセックス相談を持ち込まれ、経験豊富と云われ続けた涼子は嬉しかった。
「私が処女だって信じて下さるのね!?」
信じた訳ではない。
二人の少女は、ただ知っているだけだった。
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涼子は別に、いつも「あんな」に愉快な人間では無い。
今後、更に親しくなってからも、あそこまで壊れた涼子を二人が観る事は二度と無かった。
翌日、涼子は珍しく授業に出て来た。
が、弥也子と恵美を呼びに来ただけらしく、二人が揃えばすぐに教室を後にした。
「誰かに言付けて下されば宜しかったのに。」
三時限目に登校した弥也子が恐縮して見せれば、涼子はとんでもないと首を振った。
「私の都合でお呼び立てするのですもの。そんな無礼な事は出来ませんわ。」
後にその無礼な事をする涼子も、この時は殊勝だった。
そして、後にも先にも無い程の、己が無様な真似を涼子は詫びた。
「みっともない姿をお見せしまして。」
羞恥に俯き、涼子は云った。
「忘れて下されば倖いなのですけど。」
弥也子は微笑した。
潔く謝罪出来る人間を弥也子は好ましいと思う。
恵美は恵美で涼子が大好きだから、と深く考えずに頷いた。
「涼子さまが云うなら。」
「私は誰にも申しませんし、恵美さまはすぐに忘れてしまわれますわ。」
弥也子の言葉に引っ掛かりつつも、恵美は頷いた。
「うん?」
「………。有難うございます。」
まさか本当に忘れるとは思わず、涼子は頭を下げたものだった。
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