◆資料館の主◆失恋と理解者1
☆☆☆
特に約束がある訳ではない。
しかし彼女は常にそこに居るから、気紛れに訪ねても問題は無かった。
問題が有るとするなら、ある種の来客がある時だが、その時には司書室を訪ねない分別が弥也子にはある。
――お客様がいらっしゃるようなら読書でもしようかしら。
そんな事を思いつつ、少女は資料館に足を向けた。
天気が良いからと丘を登る事が許されるのは、弥也子の成績と素行に問題が無いからだ。
授業をサボるのは素行に問題が無いのかと、ヶ峰に馴染まない者は不思議に感じるだろう。問題は無い。怠業では無く、単なる選択でしか無いからだ。
ヶ峰では成績が学年で30位内ならば出欠が自由になる。素行に問題が有れば取り消される事もあると話だが、そんな問題を起こした生徒は未だ曾て居ない。
その点では、兄弟校の春ヶ峰に共通し、風ヶ泉とは一線を画する。名門と呼ばれ乍ら、三校の内では風泉のみが奔放な校風で唯一の共学でもある。良家の子女を通わせるには躊躇する学園だった。
弥也子はこの学園では紛う方なき優等生で、常にトップの成績を保った。中等部からは風紀的にヶ峰を選択し進学したが、此処でも当然の如く優等生でトップを保ち続けた。
海島省悟などのライバルが不在なだけ、此方の学園でトップを取る方が楽でもあった。
弥也子自身は、当たり前にノンビリと過ごしている積もりでさえある。
時に自宅で自己学習をし、時に所属するクラスの授業に出席し、時に資料館の主と呼ばれる少女に会いに行く。
そこに同行者があるのも、珍しい事では無かった。ただ、一人の友人に限って……ではあったが。
「弥也子さま。」
声で誰かは知れる。呼び掛ける声に弥也子が振り返れば、幼馴染みの少女だった。
弥也子を見つければ、いつも嬉しそうに笑う少女である。
そんな相手は珍しくも無いが、彼女は弥也子が珍しく自分から構う少女でもあった。
それはこれから向かう資料館に居る少女にも云える事だった。
「ご機嫌よう、恵美さま。」
「ご機嫌よう、弥也子さま。」
二人はニッコリと笑みを交わした。すぐに恵美が頬を染める。
恵美は別に女性を恋愛対象にする少女では無いが、弥也子に対しては一方ならぬ傾倒を示した。
「資料館に行くのですか?ご一緒しても良いですか?」
「ええ。お誘いしようかと思ってましたの。」
恵美の話し方は敬語が苦手な彼女らしい丁寧語だ。それでも弥也子に対しては懸命に敬語を交えようとする。
弥也子は微笑ましく恵美を見つめた。
「この前、弥也子さまに教えて戴いたクッキーを焼いてみたんです。召し上がってくれますか?」
「あら、楽しみですわね。今度は消し炭にせずに済みまして?」
「まあ非道い。そんなの一回だけですもの。」
揶揄する眸が悪戯っぽく煌めけば、それにさえ見惚れて恵美の反論には力が篭らない。
頬を染めて弥也子を見つめる様は羞恥を含み、可憐な少女でしか無かった。
「では例の方も、今度は消し炭を口に詰め込まれずに済んで倖いでしたわね。」
「いやだ。弥也子さまったら。」
いや、倖いと思う普通の感性の持ち主ならば、恵美を主とは仰ぐまい。
弥也子は思い至り、訂正した。
「いえ、寧ろそれが不幸でいらっしゃるのかしら?」
「………弥也子さま。」
呟いた弥也子に、恵美は複雑そうに呼び掛けた。
「奴隷に敬語など不要です。弥也子さま。あの方なんて呼ぶ必要も無いですよ。」
「他家の使用人には、ある程度の敬意を示すものでしてよ?恵美さま。」
それはその家への敬意となる。
恵美は笑った。
「アレは奴隷ですもの。」
13才の少女の云う台詞では無かった。
何故か同類と見做されているが、断じてその嗜好を持たない弥也子は、そっと嘆息した。
「奴隷の存在など認めませんわ。」
恵美は可愛い友人だが、その趣味嗜好に共感する事は一生無いと弥也子は思っている。
☆☆☆