地を這う獣の戦闘
いきなりの大音量に、びっくりしてぎゅっと目を閉じ、咄嗟に両手で耳を塞いだ。
びりびりと肌まで震わせるそれに、勝手に体も縮こまって思わずうずくまった。
そんな私の肩を誰かが掴んだけれど、今は構っていられなかった。
っていうか、地面揺れてないっ!?
恐る恐る目を開けると、まず目に飛び込んできたのは汚れた衣服。
開いた襟に流れる黒髪で、それがラテなのだと気付いた。
蹲っている私の肩を引き寄せて、なんかこう守ってくれてる感じ?
この至近距離具合って、周囲の状況も忘れて胸が高鳴っちゃうから、良くないと思う…!
「流石、魔でありながら聖なる銀をまとう銀狼か。桁が違うな」
「ああ、彼が今はこちらの味方のようで助かった」
なんかジュレとラテが話してるけど、私はそれどころじゃない。
どうしても、つい見ちゃう。
というか目が離せないんだよね……!
目の前にある、ラテの少し汗をかいた首筋とか、喉仏の動きとか。
男の人のこういうところって、彼氏がいない私としては滅多に見れる機会がないというか、自分は腕フェチだと思ってたけど、首筋から続く鎖骨、先程破いて露わになっている引き締まった胸元とか……
これ本当、誰得っていうか私得です。本当にありがとうございます。
なんて事を考えているから、周囲の状況が物凄い事になっているなんて全く気付いてなかった。
「何とかして今のうちに、せめて外に出たい所だが」
「結界が揺れているのはわかるが、まだ破られていない」
ちっとジュレが舌打ちしたと同時に、私の真横を何かが通り過ぎた。
その時、一瞬体が何かに引っ張られるような感じがして、後ろに傾きかけたのを感じたラテの腕が、私の体を引き寄せて抱きしめる。
そのため、後ろに倒れる事はなかったのだけど、嫌な予感がして私は恐る恐る視線を腰にやった。
「あああああああっ!!」
もう素で叫んだ。
ぶわっと涙だって出てくる。
だって、だって……そこにはあるべきはずの、私の最高傑作。羽がなかった。
手で腰を確認しても、根本でぽっきり折れている。
涙で歪んだ視界の中、床を探せばバラバラになった羽の残骸。
ああああああ……
手を伸ばして、その欠片を手に茫然とする。
これ作ってもらうの本当に本当に大変だったのに……!
いくら趣味だと言っても、その材料費って馬鹿にならないし、一緒に買い物付き合った時は心から驚いた。それに、友達の時間をがっつり取るから、ご機嫌を損ねないように払った食費代。
一瞬で消えた……私の○万円ーっ!!
今日だけじゃなく、冬までの簡単なイベントはこれ着て過ごそうって思ってたのに……!
ぎゅっと欠片を握りしめたところで、ぐいっと顔を引き上げられた。
こんな時に誰だと思ったら、精巧な作りをこれでもかと披露する狼の顔がすぐそばにあった。
れろっと私の涙をその舌が舐め上げる。
「ユーア、必ずオレが戻してやる。泣くな」
「ヴィスト……」
すんっと鼻をすする私の頬を、もう一度舐めて、彼は脱ぎ捨てていたマントをばさりと上からかぶせた。
上質なマントの滑らかさに、本当高そうって思ったら流石に涙も引っ込んだ。
っていうか、今ヴィスト言ったよね。
戻してやるって……
それはつまり、彼が作ってくれるという事だよね!
よっし、言質取ったー!!
なんとも現金な私は、マントの下で今泣いた事も忘れて、にやりと微笑んだ。
たぶん今私悪い顔してる。マントで隠れていて良かった。
ヴィストの人狼の出来を考えると、これ以上の物が出来る事は確実だ。
ふふふ、と笑ってしまって肩が震えた。
それをどう取られたのか、ヴィストに引き上げられた時に腰のあたりに軽く添えられていただけのラテの手が動き、先ほどと同じように肩を抱きしめられた。
近い近いって普通だったら焦る距離感なのに、今の私はそれすらも気にならない。
ヴィストと出会ってから、ずっと考えていた私の野望が叶いそうだと思うと、もう笑いが止まらない。
手の中の欠片に、少しの間だったけど、本当ありがとう……なんて思っていたら、今度はすぐ横でどーんと大きな音が鳴った。
「っ!?」
マントのせいで周りが見えないから、驚いて体をびくりと揺らしたら、肩にあったラテの腕に更に力がこもった。
ぐっと引き寄せられて、咄嗟に手を上げたら、第二の揺れにその手はラテの裸の胸元に滑り込んでしまった。
あって思ったんだけど、ラテは全く気にしてないというか、逆に私の体を更に守るように引き寄せるものだから、胸板に触れている手は外せないし、視界は完全彼の体のみになってしまった。
ちょ、流石にこれはやばい、これはやばい!
「ああ、本当に好きにしてくれますね、ジーヴィスト。私の服に埃がついてしまった」
「はっ!こんな時でもすましたその顔が、オレは昔から気に食わないんだ」
「奇遇ですね。私も昔から貴方の顔が大嫌いですよ」
何やらヴィストとツェーザレが言い合いしているのが聞こえる。
さっきよりも、どかんどかん音が凄いけど、私の胸の音だってやばい。
というか、手からダイレクトに伝わるラテの鼓動もやばい。
少し汗ばんだ男の人の胸板……!
意識すると、もうどうしていいかわからなくて、なんとか動かそうとした手は逆にラテの胸板をなでるように動いてしまって、指先が触れてはいけない所に触れてしまった。
ぴくりとラテの体が揺れる。
「……ユーア」
耳元で名前を呼ばれて、ぎゃっと素の声を出しそうになった。
マントが邪魔でラテの形のいい薄い唇しか見えなかったけど、その近さに改めて驚き、なんとか手を離そうと身じろぐと、逆に更にその胸板の形を確かめるように動いてしまって、彼の唇が、んっと何かに耐えるように引き締まる。
不可抗力っ不可抗力ー!
「てめえっそこで何してやがるっ」
ジュレの怒鳴り声に、更に私は泣きそうになった。
もう周りの状況なんて構ってられない。
というか、自分の事しか考えられなかった。
き、消えたい…!
ここから今すぐ逃げ出したいっ!
そう、思った時だった。
外すに外せなかった手の平にある、ラテの胸板がほわっと熱くなったように感じた。
近過ぎて見えないけれど、そういえば私の手が触れている場所って、あの変な魔方陣のようなシールが貼ってあった気がする。
薄いタトゥーシールなだけあって、肌との境がわかんないとか考えてる余裕はなかった。
その熱はラテ自身も感じたようで、彼は慌ててジュレイの名前を呼ぶと、その腕を引き寄せたようだった。
ぐっと私の肩を抱きしめるラテの腕の力が増したと思った時、なんだかぐにゃりと体が歪むような、急な立ちくらみを起こした時のような体の揺れを感じ、うあっと私は声を漏らした。
「ふふ、この結界すら彼女の前では無いに等しかったですか」
「ユーアッ!!」
ツェーザレの笑い声と、ヴィストの叫ぶように私を呼ぶ声が聞こえたような気がしたけれど、閉じた瞼さえも突き刺す光の渦と体の揺れに、私は答える事も出来ずにぎゅっとラテの体にしがみついていた。
どさっと地面に落ちるような衝撃で、私の体はまた揺れた。
さっきまで座り込んでいた体勢だったはずなのに、今は横になっている。
というか、誰かの上に乗っているような不安定さで、押さえるように抱かれている肩が痛い。
そっと目を開けると、やっぱり最初に目が入ったのは汚れた衣服と、そこから覗く胸板だった。
「あ……」
慌てて身を起こそうとしたとたん、肩に回された腕に力がこもり、またぺしゃりとそこに顔をぶつけてしまった。
その振動で、ラテの口から、んっと小さな声がもれる。
なんだか泣きたい。
どういう状況でこうなったのか、完全に自分の体がラテに乗り上げている事実に、わけもわからずうめき声を上げそうになったところで、頭の上で声がした。
「……ユーア、大丈夫ですか?」
肩に回っていた腕から力が抜けた事で、私はほっとしながら顔を上げた。
こちらを気遣わしそうに見る、彼の黒い瞳にこくりと頷きを返す。
そのまま腕に力を込めて、体を起こすと私を包んでいたマントも滑り落ちた。
ふと自分が手をついている所が、まだ彼の胸板だった事に気づき、慌ててその手をひっこめた。
その時に、指先がまた彼の触っちゃいけない所に触れた気がしたけれど、もう目を逸らすしかない。
ほんっとうに、完全不可抗力なんです……!
「おい、さっさとラテイシェルの上からどけ」
上体を起こしたところで固まっていた私に、イライラ最高値のジュレの低い怒声が飛ぶ。
そこでさっさと動けばいいんだけど、どうにもこう怒り口調と上から目線で物を言われることに、反抗したくなってしまった私は、ちらっとジュレを見てから、ふんっと顔をそらした。
ジュレの凶悪な顔には真っ向勝負で挑めない小心者なのは、変わらずなんだけどね。
「てめぇ……」
「何よ、今どこうとしたのにそっちがそんな言い方する、から……」
私の言葉はそれ以上、続けられなかった。
目の前に広がる場所に、瞬きすら忘れてしまう。
雲があるわけでもないのに、灰色の空。
離れた場所にある建物は洋館造りで、物凄く大きい。
そこから響いてくる音は、先ほど自分のそば近くで聞いていた建物が壊れるような、そんな音だ。
そこを取り囲むように、鬱蒼とした木々が生えている。
というか、自分達の周りも完全森だ。
「てめぇ、本当にいい度胸してるじゃねぇか」
「どこ……」
絞り出すように紡いだ言葉は、答えを求めたわけじゃなかった。
建物の中の一室にいたはずなのにとか、コスプレ会場の外と行ったら物凄い人いるはずなのにとか。
駅へと続くはずのコンクリートで整えられた広い道とか、離れた場所は森じゃなくて海だとか。
そんな考えも浮かばないまま、ただ口から出てしまった言葉に、律儀に答えたのは私の下で上半身を起こしたラテだった。
「魔界の何処かまでは、判断出来ないですね」
「……え?」
ラテの言葉に、瞬きして彼を見詰めた。
彼は茫然とする私の表情が読めないというように、不思議な物をみるような目をして首をかしげた。
「我々より貴女の方が、ここは詳しいのではありませんか?」
「ごめん、あの、もう一回言ってもらえる?」
「? 私達より」
「その前っ」
無意識に震えだそうとする体を認めたくなくて、縋るように目の前のラテの服を握りしめた。
何度も気づきそうになった違和感に、ずっと蓋をしていたのは自分自身だ。
答えを突きつけられる事は怖かったけれど、目の前に広がる景色からはもう逃れられないと思った。
「魔界の何処かまでは……の事ですか?」
「ま、かい」
私の様子がおかしい事に気付いたラテが、自分の服を握りしめる私の手にそっと触れた。
「まかいって、魔界?はは、嘘だぁ」
先程までの、自分はサキュバス設定の、少し余裕ある笑みをこぼす私じゃなくて、完全素の自分がそこにいた。
ひきつった笑いしか作れない私の前で、ラテの片目が何かを感じたように歪む。
「お前が信じようが信じまいが」
ジュレも鋭さを増した目つきで私を見下ろしている。
今は本当その目やめてほしい。対抗出来ない。
「我々は確かに魔界にいます」
……そんな真実、知りたくもなかった。
ヴィストのかっこいい戦闘姿全く見てませんね!(吐血




