地を這う獣は暇を持て余す
大きな扉の中に三人で入り込み、後ろ手に縛られている男達の代わりに、扉を閉めようとした時、ふとこちらを伺うジーヴィストと目があった。
遠く離れ、薄暗い会場の中でも光り輝く銀色の毛に覆われた彼の大きな体躯は目立つ。
こちらをじっと見つめる狼の相貌が何を考えているのかわからず戸惑ったけれど、周囲の人達からの視線から逃れるように慌てて扉を閉めた。
「はあーっ・・・なんか、疲れた」
閉めた扉の前で、がくりと項垂れて思わず呟いていた。
コスプレしてる時はある程度、人の視線に晒されるものではあるけれど、なんだか今回は本当いろいろ勝手が違い過ぎて、精神的疲労がかなりきてる。
こきこきと首が鳴る事はなかったけれど、気持ち的に少しでも疲労を回復させようと首を回していると、ユーア・・・と戸惑うような声音で名前を呼ばれた。
そうだまだ終わってないんだと少なからずげんなりしながら顔を上げ振り返ると、案の定ラテイシェルが困惑顔でこちらを伺っていた。
彼に愛想笑いを返しながら、私はあたりを見回した。
部屋の中は結構な広さで、簡易なソファとテーブルが真ん中に置かれている。
テーブルの上には果物籠が置いてあり、飲み物まで丁寧に用意されていた。
ツェーザレに言われるままに入ってきたけど、もう一つある扉がベッドルームになっているという事は、イベントで気分が悪くなった人用に貸し出している休憩室兼救護室というところなのだろうか。
でもそういう場所ならそれ専門のスタッフがいてもおかしくないと思うのだけれど、扉の向こうでは大事な舞台っぽいものも始まったようだし、そっちにいってるのかもしれない。
救護室とかにお世話になった事がない私としては、少なからず戸惑いながら、彼らに視線を戻した。
彼らというか、ラテイシェルの前に立ちはだかる大きな壁。
私を射殺さんばかりの目つきで威圧感と存在感たっぷりな、顎鬚の男性にというか。
この人、さっきから役に入りすぎっていうか、一体何なの・・・
気後れしつつも数歩彼らに近付き、顎鬚の男性の視線を避けながら、彼の背後にいるラテイシェルを覗き込むように口を開いた。
「えーと、とりあえず、ラテイシェルって長いから、ラテって呼んでもいい?」
「どうぞ、お好きにお呼びいただいて構いません」
「うん。じゃあまずはラテの腕解こうか?」
「・・・良いのですか?」
「いいも何も縛られてるのって大変そうだと思ったんだけど、平気なの?」
私だったら後ろ手に縛られるとか御免こうむる。
「解いて頂けるのは助かりますが、その・・・」
「ん?」
「・・・いえ、お願いします」
ラテは戸惑いを含んだ思案顔で私の前に歩み出ると、ゆっくりと背中を向けた。
彼の態度に対してもやはり不思議に思いながら、先程と同じ様にあっさりと縄のようなそれを解く。
するとラテは不自由だった腕を軽くさすり、ぐっぐっと手の感触を確かめるように動かした。
後ろ手に縛られるなんて、やはり無理な体勢だったのだろう、その腕の感覚を確かめるようなラテの動きを見つめていると、私の視線に気付いた彼が軽く会釈した。
「有難うございます。契約もまだ交わしていないというのに、戒めを全て解いて頂けると思わず、戸惑ってしまいました」
「え? ああ・・・うん」
そういえば最初から契約がどうのってラテが言ってたっけ。
台本が無く、ある程度はキャラになりきっていればまかり通るとはいえ、この会場で会う人会う人、物凄い自分設定がある人ばかりだと改めて思った。
こっちはそんな事に慣れていないし、ある程度の知識は持ってコスプレに参戦してはいるけれど、そうぽんぽん次から次へと会話を要求されると少し、いやもう本気で困ってきた。
だからといって今更、もうやめようよ~などと言える空気でもないので、契約とやらをキャラ上の設定的に考えてみる事にした。
まあ、あっさりと思い浮かんだけどね。
囚われの騎士をサキュバスが助けるための契約なんて、あは~んうふ~んな事しかありえない。
自分でした想像に、ちょっとだけ口元が引きつりそうになった。
「そんな大した事したわけじゃないし気にしないで。契約とか、私あまり気にしない性格なの」
軽く手を振って笑うと、まだ戸惑いが少し残ってはいたけれど、ラテも納得したように微笑む。
しかし、隣で威圧感たっぷりにこちらを見ていた顎鬚の男性は、眉間の皺を更に深くしただけだった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
思わず、顎鬚の男性と無言で見詰め合ってしまった。
私たちの雰囲気を察して、ラテが慌てて私たちの間に立つ。
「ジュレイ、ユーアにそのような目を向けるな」
ラテの嗜めるような言葉に、ジュレイと呼ばれた顎鬚の男性は、怪訝そうな目を今度はラテにぶつける。
「・・・お前の言いたい事は解る。魔族が契約も無しに力を貸すなどありえない、そう言いたいのだろう?」
ラテの言葉に、ジュレイは軽く目を伏せて頷いた。
何処まで細かい設定が、この大雑把ななりきりキャラ演技に組み込まれてるのかわからないので、私は黙っている事に決めた。
「だがここで問答している時間は無い」
ラテの一言に、ジュレイは軽く首を振り、何かを訴えかけるような目で彼を見つめた。
そんな彼の態度にラテは眉を寄せながら小さく嘆息し、彼の口元を覆う布に手をかけた。
外そうとするけれど、なかなか外れない様子に、首を傾げているとラテが呟いた。
「やはり私の力ではこの封呪は解けないか」
何のことだろうと思っていると、ラテと目が合った。
流れ的に外して欲しいのだろうと思った私は、ジュレイに近付き彼の口元に手を伸ばした。
男のラテが外そうとして外れないのなら、女の私ではダメなんじゃないだろうか、今までのは軽く縛ってあったけれど彼のだけキツく結んであるのではないのだろうかと勿論思ったけれど、ラテのよくわからない呟きを聞いていたから、これもまた何かの演技だろうと結論付けたのだ。
「えーっと・・・」
彼もまたジーヴィストまでとはいかなくても、大柄な長身のため、両手を思い切り伸ばさないと彼の口元には手が届かない。
私の行動にジュレイは何故か目を見開いてこちらを見下ろし、私の腕から逃れるように上体を軽くそらした。
外さなくていいって事かしら?
伸ばしていた腕を引っ込めようとしたところで、ラテがジュレイと嗜めるように彼の名を呼んだ。
ラテをちらりと見てから、ジュレイが肩を落とすように大人しくなった。
「・・・外していいのよね?」
「・・・して頂けるのならば」
戸惑いながらラテに問いかけると、彼は神妙に頷いた。
ラテは何処か私の行動を図りかねるような、やはり戸惑いを捨てきれない顔をしている。
そういう顔をずっと続けられると、こちらも段々不安になってくるから止めて欲しい。
推測するに騎士のキャラ設定で考えると、魔族設定である私の無償の行動が信じられないという心境なのだと思う。
そうなるといっそ、先に契約しちゃいましょうとか言った方が、彼らは納得するのだろうか。
どうする? 思い切って言ってみる?
彼らの言葉に疑問を浮かべながらも動くより、たまには私から仕掛けてみる?
不安を何とかしようと考えた結果、むくむくと好奇心が湧いてきた。
どうしようかわくわくしながら顔を上げると、私を見下ろすジュレイの冷めた目と目が合い、その好奇心は一気に萎んだけれど。
「・・・それじゃあ、外すね」
とりあえずと腕を伸ばすと、彼はゆっくりと腰を屈めた。
彼の口元を縛る布らしきものの結び目に手をかけると、あっさりと解けたのでやはりラテのは演技だったのかと思いながら、ジュレイがほっと息をつくさまを見つめた。
間近でみる顎鬚を生やした仏頂面は、野性的で男らしい。
睨まれなければ結構いい男かもねと思っていたら、早速睨まれた。
白目の部分が多い三白眼の彼に睨まれると怖いから、本気で止めて欲しいんですけど。
「ラテイシェル、何をしている。さっさと逃げろ」
彼は体を起こすなり、唸るようにそう言った。
間近で思い切り睨み上げた私の事なんて、無かった事のようだ。
まあ、彼からお礼言われるなんて思ってなかったから、別にいいけどね。
「いやまずはお前からだ。ユーア、彼の腕は解いて頂けますか?」
「さっきから何を馬鹿な事を言ってやがる! お前が生きて帰ればそれで済む話じゃねえかっ魔族の気まぐれに縋るのは止めろっ」
「それとも彼の全ての戒めを解くには、流石に契約を先になさいますか?」
ジュレイの苛立ちに満ちた声にびびっているのは私ばかりで、ラテは覚悟を決めた者のみが持つ強い意志を秘めた真剣な表情で私に問いかけてくる。
それは何処かあっさりとした態度にも感じられて、私は目を瞬かせた。
ジュレイのキャラなりきり度というか迫真の演技は、口元を縛られている前から凄いと思ってはいたけれど、外した途端に更に熱がこもっているし、はっきり言ってついていけないというのに、それを無視して私に話をふるラテも本気で止めて欲しい。
「えーと、ほらさっきも言ったけど私は契約とか別に・・・」
「はっ魔族風情が奇麗事を・・・とにかくラテイシェル、てめえが逃げろ」
「黙れ。お前を逃がすのが先だ」
「お前を残しておめおめと一人生きて帰れるわけがねえだろうが!」
「ユーア、こうしていられる時間があとどれくらいあるのかわかりません。契約を」
「ラテイシェルッ」
声を荒げるジュレイに対して、あくまでも冷静に答えるラテの姿を見つめながら、私は小さく溜息をついた。
お腹が減ってジーヴィストと二人この会場に戻ってきたというのに、自らのせいではあるけれど変な事に巻き込まれたうえに、目の前で会話している二人はそんな私の事そっちのけときている。
また、話してる内容が内容なだけにさっぱりわからなくて口出しも出来ない。
でもあえて会話にのるなら、私が一番ここから逃げ出したい。
囚われの騎士設定の彼らが逃げる逃げないの話し合いをしてるところ申し訳ないけれど、私が今あなた達二人から逃げ出したいです。マジで。
何度もいうけど、本気でキャラになりきられると、段々こっちは素が出てくるっていうか・・・
「もうさ、二人で逃げればいいじゃない」
言うなり、ジュレイの傍に寄ると彼の腕を縛り付けている縄らしきものを解いた。
唖然としている彼らには悪いけど、会話の内容もよくわからないし、何よりなんか疲れた。
ここは気分的に思い切りソファにどっかりと腰を落ち着けたいところだけれど、腰についてる飾り羽根が壊れたら困るので、私はソファ近くまでずかずかと大股で近付くと、テーブルの上に置かれた葡萄を手に取り、行儀が悪くなってしまうけれど、膝立ちのような格好でソファの上に乗り上げた。
そして、ソファの背もたれに腕をついて、そこに顎を乗せて、呆然とこちらを見ている彼らに小首をかしげて微笑んで見せた。
「譲り合う精神もいいと思うけど、客観的に言わせてもらうなら時間の無駄ってものでしょう?」
言いながら手に持った葡萄の美味しそうな一粒を房からちぎり、口に入れた。
種のないタイプのそれは瑞々しくて美味しい。
「悩んでる暇があるなら、さっと二人で、ね?」
そして、仲良くまた新たなコスプレ仲間を見つけて下さい。
私はここで一休みしたら、また会場に戻ってジーヴィストと更に親睦を深め、新しくレベルの高いコスプレ衣装を手に入れるのだ。
もう知らないと投げやりな気分の私の前で、ラテが自分の胸元の辺りを握り締めながら、ためらいがちに口を開いた。
「・・・我らが二人いなくなる事で、ユーアにお咎めは無いのですか?」
「んー、それはわかんないけど・・・」
この小芝居がどんな話しになってるのかさっぱりわからないけど、まあ何とかなるだろうと笑ってみせた。
だって実際、ここまで何とかなってるんだもの。
これからも何とかなるだろうと安易に思ってしまうのは、仕方ない事だ。
「本当に契約はいらねえって言うのか? 魔族が無償で俺たちを助けたうえに、見逃すって?」
ジュレイが初めて私を見て、ちゃんと話しかけてきた事に、おっと少なからず感動した。
内容はまあ、置いとくとしてだが。
「最初から契約なんて別にどうでもいいって言ったでしょう? 元々ただ暇つぶしにあなた達に話しかけただけだし、それに、ここにもちょっと疲れたから隠れるつもりで入ったようなものよ。でもまあお腹が空いてるのは確かだから、契約とかよりも何か食べ物くれた方が良かったわ」
私の言葉に、ジュレイは眉間に皺を寄せてぐっと口元を引き締めた。
何か考えているようだったけれど、疲れた私はこれ以上彼らをフォローする気にはなれなくて、手元の葡萄をいくつか口に運ぶ。
葡萄の汁で濡れた指先を、ぺろりと舌先で舐めてからふと顔を上げると、何故か目尻のあたりを赤く染めぼんやりとした表情のラテと目があった。
いきなりどうしたと思ったけれど、なんだかその顔が可愛く見えて、もうすぐお別れになるだろう彼らとの演技に最後くらい付き合ってあげてもいいかという気分になり、目を細めてふふっと笑ってみせた。
「そうね、ラテとジュレの食べ物コンビで、私を楽しませてくれた方がずっと嬉しいかも」
ジーヴィストは無言で会場の柱に寄りかかって、ユーアがいる部屋の扉を
見ていると思われます。ごめん、ごめんよ・・・!