地を這う獣は不安を覚える
おかしいな?
そうふと思っても、元々自分がいた場所が普段と180度違う場所で、普段の自分と全く違う装いをして参加する会場だったら、多少の違和感を感じても、人って何がおかしいのかすぐに判断出来ないと思うんだよね。
元から周囲の皆は知らない人達ばかりで、会場の雰囲気にのまれていたなら、尚更だ。
だから私は、目の前に広がるコスプレ衣装を身に纏った風変わりな人達と、いつの間に用意されたのか祭壇のような床よりも高い位置にある場所へと階段を上る、赤いドレス姿の女性をただただ見つめるのだった。
それにしても、さっき何で睨まれたんだろ。
・・・運営さんに睨まれるような事、何もしてないよね?
少しだけドキドキしながら見つめる先の祭壇の下では、いろんな色にその肌を染めた燕尾服姿の男の人達が、そこを取り囲むように立ち並んでいる。
周囲の興奮して声を上げる人達を制する姿も見えて、スタッフも大変だなと思う頃には、その不安からくるドキドキも消えた。
「皆様、お静かに願います」
ツェーザレの言葉に、会場がしんとする。
「此度の餌には地上で名高い南の大国、自らを神聖王国などと呼称するシーレヌ・トゥワスよりお越しいただきました」
彼の言葉に、周囲から嘲笑ともとれる笑い声がさざなみの様に起こる。
私はというといきなり始まったこの芝居がかった見世物に、半ば呆れ気味だ。
流石にここまでくると、ただ二次元の可愛い服を着てみたいだけの理由でコスプレを始めた私としては、ついていけないというのが本音だったりする。
ある程度は許容できる。でもここまで大仰となると、話は別。
むくむくと素の自分が出てきてしまうのだ。
なんか飽きてきちゃった・・・
周りの視線は祭壇のように飾られた舞台上へと注がれている中、私はきょろきょろと辺りを見回した。
そこでふと先程も見かけた縛られた騎士の人達の姿を発見する。
そういえば今、ツェーザレが仰々しく話しているのは彼らの事ではないだろうか。
話の流れから推測するに、彼らはこの後舞台上へとあげられるのだろう。
何をするのか全くわからないし、ご飯はどうなったんだと思う空腹の私としては、気を紛らわす何かがほしくて仕方が無かった。
少しくらい話しかけてもいいかな?
コスプレ会場で見かける一片の汚れもない姿と違い、元は銀色なのだろうが薄汚れた甲冑や半ばまで引き裂かれたマントを背にかける騎士姿の人たちに興味を持ち、私は人並みをぬって彼らへと近付いた。
ちなみにジーヴィストがついてくると目立つので、彼にはそこで待っているように言ってある。
彼らは一様に縄らしきもので体と口を縛られている。
青ざめて俯く者もいれば、血走った目で近付いてきた私を睨んでくる者もいる。
コスプレしてるからにはコスプレ仲間と思って間違いないはずなんだけど、彼らの殺気立った雰囲気はただのコスプレ仲間というよりも、本物の・・・そう、役に入りきった役者のようだ。
体を震わせ、縛られていなければこちらに飛び掛らんばかりの勢いで、縛られた口で何かを訴えかけてくる彼らの姿にちょっといやかなり、びくついてしまった。
大舞台前なんだから、こっち来るなとかそんな事言われてるのかな?
興味本位で近付いてきてはダメだったかと、諦めてジーヴィストの元へと踵を返そうとした。
その時。
『待って下さい』
そう、声をかけられた気がして、私は彼らを振り返った。
俯いたり血走った目をした人達の中で、一人だけ正常な意識といえばいいだろうか? 真っ直ぐにこちらを見つめる整った顔立ちの青年と目があった。
声をかけられたというよりも、頭の中に直接響いてきたような、どこか虫の知らせにも似たような感覚を感じた私は、きょとんとして彼を見つめ返す。
彼もまた口元を結ばれているため、声は出せないはずだ。
気のせいかな?
不思議に思いぱちぱちと二度瞬きした私は、それでも何気なく彼の方へと一歩近付いた。
彼もまた周りの仲間を肩で押しのけてこちらへと這うように進み出てくる。
途中、彼の肩を押し戻そうと顎鬚を生やし眉間に皺をよせた男の人がいた。けれど、私と視線を合わせていた彼は男の人にこくりと頷く事によって、それを止める。
そうして、私のすぐ目の前までやって来た青年に、私は膝をついて改めて視線を合わせた。
理知的な光を宿した黒い目に見つめられ――それも、かなりの美青年となると、私の胸は少なからずドキっとしてしまう。
「あの、それ外してもいい?」
話してみたくて、口元を結ぶ布を指差して問いかける。
ここが只のコスプレ会場というよりも、舞台っぽいものが始まったせいで、何も知らない私と違い何か役が与えられているっぽい彼らの衣装を勝手に外していいのか、判断に困ったからだ。
私の問いかけに、彼は一度頷くと私の方へと更に身を乗り出し、軽く俯くと彼の所々汚れがついた黒髪だったが、前髪はさらりと揺れてその頬に濃い影を落とした。
きつく結ばれているように見えた口元を覆うそれは、思っていたよりも簡単に外れたため、やはり芝居用のためかと思っていると、彼は掠れた声で囁くように言葉を紡いだ。
「あなたは他の者達と違うように見えたので、失礼を承知と声をかけさせて頂きました」
あれ、やっぱりさっき声かけられたんだ。
縛られた口でどうやって?
そう思ったけれど、彼のどこか切羽詰った様子に頷きしか返せない。
「どうかこの中の一人だけでも、逃がして頂けませんか。契約が必要というのなら、私の何と引き換えにして頂いても構いません」
彼の言葉に、先程の顎鬚を生やした男の人が目をむき、焦ったように青年へと肩をこすり付ける。
「解っている。だがこのままでは、皆の安否もユサイヌの地が魔族に支配されている事も国に伝える事が出来ず、同じ事が繰り返されるのだ」
そこで青年は一旦言葉を区切ると、顎鬚の男性へと向けていた視線を上げて、私を見つめた。
「力を示せというのなら、この場を切り抜けた後に、必ずこの身をもってあなたへ契約の証として示しましょう。どうか」
真摯な黒い瞳で見つめられ、掠れた声で囁くように切に願うような言葉は、普通の人だったら何とかしてあげたいと思うだろう。
けれど当の私はというと本気で今焦っていた。
何これ、私もいつのまにか役者の一人になってたの?
全員参加型だったの?
コスプレイベントに参加するにあたっての注意事項やイベント概要がこと細かく書かれた書類は一通り目を通したつもりだったけど、そんな事書いてなかった気がする。
それとも分厚いパンフレットの方に何か書いてあったのだろうか?
それだったら、友達が一言教えてくれてもいいはずだけれど、いや彼女のことだから何も知らずに焦る私を笑ってやろうと隠していてもおかしくはない。
なんて素敵な友達をもったのだろう。
少しずつ確かな違和感を感じ始めている私の脳内は、それでもそう納得する事にした。
「・・・私に出来る事があるのなら」
差しさわりの無い答えを返すと、青年の目が一条の光を見つけたかのように揺れた。
全く意味がわからないけれど、闇系コスプレ会場で始まった演劇のような催し物の中、私は騎士を救い出すサキュバスキャラという事でこの場を乗り切るべきみたいだ。
だって無視出来ないほど、目の前の彼は真剣な目をしてこちらを見つめている。
後で友達に良かったよと屈辱的に笑われようが、やってやろうじゃないか。
「あの、名前聞いてもいい? 私のことはユーアって呼んで」
「ユーア・・・私はラテイシェルといいます」
「へえ・・・なんか美味しそうな名前だね」
最初のラテの部分だけでそう思った私の呟きに、顎鬚の男性が目を剥いた。
慌てたように、んーんーっと出ない声で懸命に何かをラテイシェルに訴えかけている。
「ユーア、時間がありません。我らの胸元には」
「おや、つまみ食いですか? ユーア」
いきなり聞こえた声に顔を上げれば、肌を青色に染めたツェーザレが、いつの間にやってきたのかすぐ傍で立っていた。
口元は笑っているのに、その金色の目は細く弧を描いているだけで、何の感情も読み取れない。
これが演技なのか、いや演技だからこそ出来る表情なのかわからなかったけれど、体に嫌な緊張が走る。
運営スタッフ兼、たぶんメイン役者キターッ!
そう、心の中でギャグにでも持っていかなければやっていられない緊張感に満ちた場の空気に耐えられず、自分を落ち着かせるように大きく息を吐く。
「好みな人がいたからちょっと気になって。食事がまだ始まらないなら、摘み食いくらいいいでしょ?」
「そうですね・・・今日は人数もいますし、摘み食い程度なら見なかった事にしてあげますけど・・・あちらで、ジーヴィストが面白い顔でこちらを伺っていますよ? そちらはいいのですか?」
くくっと喉を鳴らし肩越しに後方を振り返るツェーザレの視線を追って、私も顔を向けると、薄暗い会場でも目立つ銀色の毛を持つ大きな体格のジーヴィストが腕組して、こちらを伺っているのが見えた。
目立つからこっちに来るなという私の言葉を忠実に守っているようだけれど、彼が見ているというだけで、周りの人たちも何事だとこちらを伺っている。
思い切り注目集めてるじゃないかっ!
急に恥ずかしくなり、熱くなる頬に片手をあてて隠した。
とにかく今、素の自分が出てくると、一言もしゃべれなくなることはわかっている。
サキュバスキャラなら、自信満々に男を誘惑するような感じでなくちゃいけないのに、赤い顔でそんなこと言うなんて、ここまできたら私のレイヤー魂がすたるってものですよ。
「・・・今は目の前のこの人が気になるから、あれは放っておいていいの」
「おやおや、流石といいますか、あなた方の種は目移りばかりだ。今度是非私の事も味見して頂きたいですね。あなたの爪が私の色に染まるのを見るのは、至福の時となるでしょう。あなたがお相手して下さるというのなら、いつでも時間を空けますからね」
ツェーザレの言ってる事は半分も理解出来なかったが、そのうちねと笑っておいた。
とにかく台本をくれ、と切実に思いもするけれど、周りも私の適当な言い回しに何も言ってこないし、なりきっていればそれで良さそうな感じなのが、本当に助かる。
「ところで私大勢に見られながら食事をする趣味は無いんだけど、個室とかないの?」
一旦この人目に晒された状況から逃れたいと、そう訊ねると、ツェーザレは顎のあたりを人差し指でとんとんっと叩いてから口を開いた。
「あちらに並ぶ扉の奥にはベッドルームもご用意してありますよ。このような場には不似合いな方々も多く休んでいらっしゃいますので、扉を開ける際は鉢合わせしないよう、お気をつけ下さい」
そう言って、ツェーザレが指し示した扉の数は、ゆうに十数を越えている。
その中の何処かは既に誰かがつかっているとか、そんな開けてびっくり的なことは勘弁して欲しい。
いわゆる中が見えづらいカラオケボックスのような場所で、中で気の知れた仲間同士で騒いだり休んだりしているところを、知らない人に扉を開けられるなんて、あれほど気まずいものはない。
そう思って軽くツェーザレを睨むと、彼は楽しそうに微笑んだ。
「冗談ですよ。左から三番目の扉は誰も使用しておりません」
「最初からそう言ってほしかったわ」
「私はユーアの表情豊かなところが気に入ってしまったので、申し訳ありません。本当、あなたの種では珍しい」
確かに、サキュバスってこう自信に満ちた妖艶な微笑みを浮かべているイメージがあるよね。
うふふ、おほほみたいな。
「私は私だからいいの」
そう言って立ち上がりかけ、目の前の青年の足も縛られていることに気付いた。
それに手をかけ、やはりするりと簡単に解けた結び目を解くと、ツェーザレが先程までの感情のない笑みと違い、心から楽しそうに笑みを浮かべえながらこちらを見ている事に気付く。
「何?」
「いえいえ、あなたは本当に面白いと思いまして」
彼の言葉は本当に意味がわからないと首をかしげながら、目に付いた顎鬚の男の人の足の縄も解く。
青年にはこの中の誰でもいいと言われていたから、何となくさっきから私たちの様子を一番に気にかけていた男性も一緒にと思ったのだ。
「おや、二人も連れて行かれるのですか?」
体の拘束はそのままな彼らが立ち上がるのに手を添えながら、私は悠然と微笑んでツェーザレを振り返った。
「私、最低二人はいないとダメなの」
・・・何がとか、お願い、今は何もつっこまないで!!
ツェーザレが行ってらっしゃいませと恭しく礼を取るのを横目に、私は痛い痛過ぎると羞恥に悶えそうになりながら、彼らと共にざわめく会場を横切り、足早に扉の中へと入っていった。
ジーヴィストはユーアが何をしているのか、そわそわしながら見守ってます(笑)
タイトルは彼メインのため、何してるんだ?と不安に思っているということでつけてみました。
最初は『地を這う獣は出番を待つ』にしようとしましたが・・・!(笑)