下界で遊戯 5
壊れた腕輪の破片が、スカートの上に散らばる。
部屋の空気が、沈黙が、とてつもなく重い。
「……あー、やっぱり壊れちゃったね」
えへ☆
までは、流石に言わなかったけれど、気持ち的には語尾にそれを付けてやり過ごしたい気分でいっぱいだ。
今なら、羞恥心を捨てて、片手で頭をこつんと叩くまでやってもいい。
むしろ、全力で逃げ出したい気分なんだけど、確実にすぐ捕まる自信がある。
でも、私最初に簡単に壊れそうって指摘したもの。
最終的に、そう開き直った気分で、相手の出方を待つ事に落ち着き、ちらりとヴェールをに指をかけて、隙間からテーブルの向こう側を伺った。
三人の男達が、驚愕を露わにした表情で固まっている、たかがアクセサリー1個が壊れたくらいでとるとは思えない、彼らの尋常ではない態度を見て、虚勢を張った心がみるみるしぼんでいく。
ヴェールにかけていた指をそっと外して、視界を閉ざした。
これ絶対、お高い腕輪だったんだ……!
「……まさか、66大魔マヴェラリラを抑えた隷魔の腕輪が壊れるなんて……」
これはもう土下座を披露して、謝罪すべきかと考えだしたところで、掠れた声で眼鏡男子クーヘンがそう言葉を落とした。
言葉の内容は、また私だけがわからない、皆わかっているファンタジーあるある設定のようだなとあたりをつけた。
そういう内容だったら、日本での知識に適当に当てはめるだけなので簡単だ。
ただ、66たいまとかれいまの腕輪って何。
情報収集を決めた私ではあるけれど、こちらから質問が出来ない状況だ。
そのうちわかるだろうと、今の言葉を記憶の中に留めておく事にした。
「規格外だとは思っていたが、そこまでか」
今度は、ジュレが苦々しく吐き捨てた。
ついでに、こっちをぎろりと睨むのを、ヴェール越しでも感じちゃうから、本当やめてください。
表面には出してないけれど、内心びくびくな私のぼやけた視界で、ラテが立ち上がった。
彼はこちらに歩み寄ると、私の前で片膝をついて屈みこんだ。
「ユーア、手を見せてもらってもよろしいですか?」
自らの手を差し出して、私を伺う。
何? と思いながらも素直にラテの手の平に自分の手を重ねると、彼は私の手を恭しく確認し、ほっと安堵の息を吐いた。
「どこも怪我はされてないようですね。良かった」
ほんわりと心が温かくなるような声音に、罪悪感と虚栄心で一杯だった私の心に、じんわりとした温度が広がる。
ラテってば、本当いい人……!
「被害を被ったのは、こっちだろ」
「……だから、最初に簡単に壊れそうだけど、いいの?って聞いたわ」
売り言葉に買い言葉、ジュレの言い方って本当ムカツク。
つんっとそっぽを向く私の事を、ジュレはきっと物凄い目力で睨んでいる事だろう。
ヴェールがあって本当に良かった。直視しないですむ。
そんな私の膝元に、ラテは苦笑しながら手をかざすと、さっと空中を払うように動かした。
それと同時に、スカートの上に散らばっていた腕輪の欠片が、跡形もなく消える。
こういう生活面的な掃除魔法は便利よね。ドライヤー魔法といい。
「破片はコノーシュの元へ送っておいた。彼の事だから、すぐにでもこちらに駆けつけてきそうだね」
「……それはそうでしょう。腕輪を借りる時でさえ、自分も同行させろと煩かったですし」
はあ、と何かを思い出したように疲れた溜息がクーヘンの口から洩れる。
「もう一つは、銀狼。あなた用に持ってきたのですが……」
「俺はつけない」
「あなたを隷属させようというわけではありません。有事の時にはすぐに外します」
「人間の言葉を信じる気にはなれない」
「待って待って、私で壊れたんだから、ヴィストがつけようとしても壊れるに決まってるじゃない」
私のか弱い腕力でさえ、あっさり壊れた腕輪を、私を簡単に担ぐヴィストが力を込めて腕につけようとするなんて、壊れるに決まっている。
今目の前で見ていたばかりだというのに、こいつらは何を言ってるのかと慌てて、彼らの会話を止めた。
「それ何個も壊してもいい物なの?」
「……いえ、説明が遅れましたが、これは50人の神聖魔士が寝ずに10日かけて作る隷魔の腕輪。素材も稀にしか取れない礁慧石を使っていますので、壊されると……」
ちらりとヴェールの隙間から伺えば、ラテが俯きながら困惑の眼差しで説明してくれた。
簡単に言うと、作るのに物凄い労力がかかる事、素材は硝子だと思っていたけれど違うらしい。
しょうすいせきって聞いたことないけど、石も沢山の種類があるし、たぶんあるんだろう。
とにかく、自分が結構お高い物を壊してしまったんじゃないかという事だけは、理解した。
流石王子様の持ち物。
「それなら諦めたら?ヴィスト絶対壊すわよ」
ここでヴィストに付けさせて、器物破損仲間になってもらうのも有りかなと思ったけれど、貴重な腕輪なら無駄にするような事はせずに、取っておきなさいと説得する方に決めた。
既に自分が壊している罪悪感も手伝っている。
むしろ、このまま私が壊したことをなかった事にしてくれる方がありがたい。
「それにヴィストもそんな物無くったって、人間なんて襲わないわよ。ねえ?」
「探している奴以外は興味が無い、人間に従うつもりも無い」
「ほら、ヴィストもこう言ってるし、大丈夫だって」
「……人間に従うつもりが無いのどこが、大丈夫なんだ」
ぼそりと揚げ足を取るジュレに続いて、クーヘンが口を開く。
「あなたの力で腕輪が壊れた事実は置いておくとして、銀狼にもそれが通じないとはわかりません。過去に銀狼を従えた者がいるのです。私達は彼から、その隷魔の腕輪の作り方を教えてもらったのですから」
「……おい、そいつは今何処にいる」
「残念ながら彼が今何処にいるのかは、分かっていません。彼が何処にも属さないのは、銀狼、お前が一番よく知っているでしょう」
背後でヴィストが舌打ちした。
というか、段々話がそれている気がする。
「ラテ。どうするの?」
基本的に、ジュレもクーヘンも彼の臣下のはずだ。
ここでの決定権は、最終的にラテに有ると思った私は、真っ直ぐにラテを見つめた。
私に問いかけられて、眉を寄せ困惑していたラテの漆黒の瞳が、同じようにこちらを見返した。
じっと見つめられると、つい癖で口元が笑みの形を作ってしまうサービス精神が強い私に、ラテが目を瞬かせてから、微笑んだ。
その瞳に決意の光を宿し、こくりと頷く。
「リィギン、これは必要無い。私はユーアを信じる」
「ラティシェル様。それは軽率な判断ではありませんか」
「元より、ここに彼女を連れてきた時から考えていた。彼女の行動全て、私が責任を持つ」
重いっ!
真っ直ぐに私を見つめたまま、私に対してそう言い切った彼の言葉にまず思ったことがそれだ。
本当にこの人が王子様で大丈夫なの? と不安になったけれど、そういえば第七王子とか言っていたし、継承権的には下の方で、ある程度自由がきくのかもしれない。
いやでも、やっぱり王族っていう時点でダメなんじゃ……?
そう思案する私の前を影が過った。ぎりっと歯軋りが聞こえた気がしたと同時に、ジュレの怒りの声が響く。
「ラテイシェル、お前何を言っているのかわかっているのかっ」
「わかっている。この腕輪がどういう物であるか、説明も無かったというのに、彼女は言葉と共に私に誠意を示した。それに応えるまでの事だ」
「……ラティシェル様。以前から申し上げておりますが、あなたは我らとは違い、王の血を継ぐ者の一人である事を理解して頂きたい」
「理解しているつもりなんだけどな……、王族といっても数居る中の一人に過ぎないし、私自身まだ死ぬつもりは無い。生に執着もある」
「だったら、あの時何を置いても逃げれば良かったんだ」
「だからこそだろう。あの絶望の間で、私は最後まであきらめないで、ユーアに望みを託した。叶えられた代償として、彼女が契約を望まない以上、ここでの彼女の行動の責任は私がとる。ただ、それだけの事だ」
ジュレとクーヘンの顔をそれぞれ真っ直ぐに見つめ、自分の中にある信念と決意の言葉を口にするラテに対して、二人が押し黙る。
凄くいい事を言ってるんだろうけど、当事者である私自身には、王子様を助け出したという気持ちは全くないので、何だか申し訳ない。
そして、いまだに契約が何かわからない。
そのため、真面目な会話に入るわけにもいかず、視界の端で見つけたソファに置かれているヴィストの手に興味を持ち、何気なくそれを掴んで引き寄せた。
銀狼の時より一回りくらい小さいけれど、私よりもずっと大きな男の人の手だ。勿論毛も無い。
長くて力強そうな指は結構好み。
ただ、肌の色が私と同じくらい白いというのが、解せない。
彼の左手に自分の右手を合わせて大きさを確かめてみたり、指を折り曲げてみたりと、ヴィストの手で遊んでいると、こほんとわざとらしい咳払いが聞こえた。
「魔族に人の道徳を説くなど意味は無いとわかっていますが、人前でそのような戯れは謹んで頂けますか」
冷たい空気と共に放たれたクーヘンの言葉に、自分の行動を振り返ってみたけれど、ちょっとヴィストの手を触ってただけなので、意味がさっぱりわからない。
これくらいのスキンシップで文句が出るのならば、クーヘンにとって東京でよく見かけるカップルは破廉恥極まりないレベルかもしれない。
腕組み、手つなぎ、肩抱き……流石に駅の改札の影で抱き合ったり、キスしたりしてるのを見かけるのは、私だって、けっと唾を吐いて石を投げたくなるけれど。
「私の事より、そっちの話は終わったの?」
「ラティシェル様に従います。私はあなたを信じるつもりは皆無であり、監視も付けさせて頂きます」
「そうね。それくらい当然じゃないの? さっきの話、私だって心配になったもの」
私のあっさりとした承諾の返事に、クーヘンは驚いたようだった。
指摘されたラテも、固まっている。
「ラテ、ちょっと甘いと思う」
ラテだけに。
と、飲み物的な意味で心の中に思ったことは内緒にしつつ、言葉を続ける。
「魔族に対して、簡単に答えを出しちゃダメよ」
「私は、簡単になど」
「うん、ラテはラテなりに考えたんだと思うけど、王子様なら一番に考えるのは自分の事でしょ。ラテはいろいろ感じたかもしれないけど、私にとってあそこでの行動は只の暇つぶしのような物だったし」
あのよくわからない芝居だと思っていた時、私が彼らに近づいたのは本気で申し訳ないほどに、レベル高い騎士のコスプレひゃっはーみたいな気持ちだった。
話の流れ的になんとなく、彼らを連れ出し、私だって一息ついていただけ。
「相手が私だったから、結果的に運が良かっただけ。今後は絶対に魔族を信じちゃ駄目よ」
ヴェールを上げて、真面目な顔でラテを睨んだ。
だって、普通に魔族なんて怖いじゃない。
ラテはたぶん、本当にいい人なんだと思う。
そういう人には、危険な目にあってほしくない。今回の事で、魔族にも話せば分かり合える者がいるという思いが残ってしまっては、いつか身を滅ぼしかねない。
今回は別世界の人間な『私』だったから、彼にはそれを理解しておいてもらわなくちゃ。
「魔族を信じない事。約束して」
自分なりに物凄い目力を込めて睨んでいる、私の細まった視界で、ラテは今の真剣な空気にそぐわない、優しげな空気を一瞬でまとい、目を細めてふわりと微笑んだ。
「ええ、私が信じるのはあなただけです。ユーア」
「いや、そうじゃなくて」
「あなたにとって暇つぶしであったとしても、私の命が繋がったという事もまた事実。魔族ではなく、私はあなたに心を捧げます」
……更に、重い。なんでこうなった。