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下界で遊戯 4

 ぐったり伸びているヴィストの首筋の、銀の毛を撫でると、狼の目がちらりとこちらに向けられた。

 それに笑いかけてから、跨いでいた狼の上から立ち上がる。

 扉を開けると、顔を赤くしたラテと苦虫を噛み潰したようなジュレ、そして、その後ろには、藍鼠色の髪を持つ、一目見て神経質そうと思った細い銀の鎖付きの眼鏡をかけた青年がいた。

 一瞬、へえ、綺麗に染めた髪の色と思ってしまったけれど、たぶん地毛なのだろう。


「……ユーア、その、不躾に部屋を覗いてしまい」

「……ラテが考えているような事一切してないからね。今すぐ妄想止めないと、ラテの事むっつりって呼ぶ」

「おいっ」


 ぎらりとこちらを睨んでくる三白眼に、びびりそうになったけれど、むっつりの言葉に唖然としているラテを見たら、妙に落ち着いた。

 彼の人生、もしかしたら初めて投げつけられる言葉なのかもしれない。


 でも、私が獣姦するような女だと思ったんだったら、許さない。絶対にだ。


 なんて思ったところで、サキュバスってそういうのもアリっぽいよね。はあ……


「部屋に入っても宜しいですか?」


 こほんっと咳払いを一つして、むっつり発言から立ち直ったらしいラテがそう問うた。

 私が頷くよりも早くに、開いていた扉からジュレが中を覗き込む。

 たぶん、ヴィストがどんな姿をしているのか、確認のためだろうと気付いた。


 あー、知らない人もいるし、ヴィスト人型か……


 さて、ヴィストを見ないようにするには、どうしたものかと示唆する私の前に、ラテが歩み寄る。

 何? と視線で問えば、彼はそっと微笑んで、後方に控えていた眼鏡さんを促し、布を受け取ると私の前で広げて見せた。

 朱華色の生地に、白の糸で縁に大きな花の刺繍が施されたそれが、ふわりと空に舞ったかと思うと、私の頭の上からすっぽりと包んだ。

 重さを感じさせない薄く軽やかなそれは、花嫁のヴェールのようだけれど、チュール素材ほど透けて見えず、布を通して前を見ると、ぼんやりとそこにラテがいるんだなぁと見える程度。

 顔の造形までは、しっかりと見えない。

 そして、それを縁取る華の刺繍が大きく、そこは視界を通さないため、視野が狭い。

 ラテの指が、長さを調節して顔の横に襞を作り、ピンで留めた。

 見下ろせば、今の服装がお嬢様風の白で清楚なワンピースというな事もあり、花の刺繍が施されたヴェールで顔を隠す私は、更にお嬢様度が増しているような気がする。

 是非、姿見で確認させてほしい。


「こちらへ伺う前に、彼の姿を見る事が不安だと仰っていられたのを思い出したので」


 私だけに聞こえる声音で、ラテがヴェール越しの耳元でそう教えてくれた。

 眼前にかかったヴェールをそっと捲ると、すぐ傍にあったラテの理知的な漆黒の瞳と目があった。

 思いのほか近くにあり、彼もまたその近さに改めて気付いたと、目を瞬かせた。


「ありがとう」

「いえ……」


 何だか慌てるラテが可笑しくて、くすりと笑いながらお礼を言ったら、ラテは目をそらして小さく頷いた。

 そんな彼の目元がほんのりと朱が差している。


「……今度は、それに合った髪飾りも用意してきます」


 そろりと視線を戻してきたかと思うと、まだ目元に朱が残っているというのに、綺麗に微笑まれた。

 その笑みに、今度は私が、うぐっと胸から何かが顔に向かって上がってくるのを感じた。

 さっきまでの、妖艶なサキュバスキャラを意識しないでいい、今の姿を思い出し、私も慌ててヴェールから手を離して、熱が集まる顔を隠した。

 頬にかかるヴェールが、周囲の状況と共に、本当の私を隠してくれる事がありがたい。

 ラテって無自覚の行動だと、女のツボをついてくる天才かもしれない。


 どっかの誰かとは違いそう……


 なんて思ったとたん、後ろからぐいっと強い力で腕を引っ張られた。

 急な事に、後ろに倒れそうになる身体が更に引き寄せられて、つんのめるように室内を横切る羽目になった。ヴェールのせいで、よく見えないから、危ないんだってば!


「きゃっ!?」


 最後は、放り投げるように手を離され、大きなソファの上に尻もちをつくように座っていた。

 こんなふうに、力で何とかしてくるのは、たった一人。ヴィストだ。

 ふわりと広がったヴェールが落ちる寸前、むっすりと引き締まった口元が見えた。

 彼は私が座ったのを確認すると、私の後方に歩を進めた。

 ちらりと確認すると、そのまま壁に背をもたれかけさせて、腕組し、顔を横向かせた動作がぼんやりとした視界で確認できたので、窓の外へでも視線を投げているのだろう。

 そんな態度に、絶対いつか女の扱い方調教してやるんだから!と、強く思ったのは言うまでもない。


「ユーア、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。とりあえず、ラテの話を聞くわ…って、こうじゃなかった」

「?」


 立ち上がり、放り投げられていたままの座り方ではなく、スカートとヴェールの裾を直し、背筋を伸ばしてソファに浅めに腰かけた。

 膝を付けたまま、そろえた足先を少し斜めに流し、綺麗な座り方を意識する。

 お嬢様風な衣装なんだから、これくらいはやっておかないとね。


「失礼致しました。ラテイシェル様。お話、聞かせて頂けますか?」


 言って、くすりと微笑む。

 間を置いてから、ラテが私の前に置かれたソファに腰かけた。

 私の仕草と言葉使いに、たぶん茫然とでもしているのか、一拍遅れて彼は言葉を紡ぐ。


「ユーア、あなたは礼儀作法も身に着けておられるのですか」

「先程、ジュレイ様に少し怒られてしまって……」


 見えづらいけど、ちらりとラテが後方に控えるジュレへと視線を投げた。

 ジュレはきっと、むっとした顔をしているに違いない。


「私の事より、ラテイシェル様のお話を聞かせてもらってもよろしいですか? そうですね、例えば、どうして、私をここに連れて来られたのか」


 個人的には魔界なんて場所よりは、私の世界とは違うけど、人が暮らしているこちらの方がずっといいし、ご飯にもありつけたし、ラッキーではあるけれど、ラテの考えはわからない。

 彼からしたら、たとえ、成行き上彼らの逃亡に力を添える事となったとはいえ、私は危険な魔族だ。

 そして、少しでもこの場所の情報収集が必要。

 ここでそつなつ生活しながら、日本へ帰る方法を探すために、自分で出来る事出来ない事を見極めるには、何より情報が必要だ。自分からいろいろ聞く事は、たぶんやめておいた方がいい気がするし。

 ヴェール越しに、じっとラテを見つめると、彼は一つ頷いてから口を開いた。


「その前に、まずは私の事から。私はこの国の第七王子の身分を持ちます」


 ラテの自己紹介は、すとんと納得出来た。

 何故なら、いきなりこんな豪華な部屋を、見ず知らずの女に与えられるだけの権限を持っているなんて、どれくらいのお貴族様だとは思っていたからだ。王子様、納得。

 ある意味、魔族二人をいきなりここでいいのかって、王子様が心配にもなるけど。


 そりゃ、ジュレ怒るわよね。

 私だってラテ付の侍従とかだったら、たぶん怒ってるわ。


「ジュレイは、私の側近の一人。近衛騎士の位になります」


 ああ、それも納得。

 確かに捕まった場所で、ラテだけでも帰還させなきゃって怒ってたのも頷ける。

 あの場所から、ジュレだけ帰ったとしても、ラテが帰らない失態に、私が王様だったら、ジュレイ打ち首にするし。


「彼は、リィギンクーヘン。私の補佐役です」


 少しだけヴェールを持ち上げて、改めて眼鏡の彼を見つめる。

 視線の先で、彼が目を伏せて軽く会釈をしてきたので、私も同じように返した。


 それにしても、ラテ、ジュレと続いて、次はバームクーヘンか……

 そのまま食べるのも好きだけど、誰もいない所では、一枚一枚はがして食べるのも、結構好きなのよね。


 思わず、そんな事を考えながら、じっと彼を見つめていたら、ジュレの咳払いが聞こえた。

 解りやすく怒りが含まれたそれに、慌ててヴェールを戻す。


 別に、彼の事取って食おうってわけじゃないのに!

 あああ、サキュバスって思われてる自分が憎い…!


 こちらを探るように見つめ返してくる、クーヘンの視線も居たたまれないし、なんだかもう、泣きたい。

 でも、表面上は落ち着いた態度を崩さないように気を付けなくっちゃ。

 一番動揺が出やすい目が隠されている事が、本当助かる。


「リィギン。彼女がユーア、奥にいるのは……ジーヴィストです」

「改めまして、リィギンクーヘンと申します。今後あなた方との接点も増えると思いますので、お見知りおきを。そして、ここからは私が話をさせて頂きます」


 クーヘンはそう言うと、私達の間にあるテーブルの上に、二つの腕輪を置いた。

 細身で硝子で出来ている透明な石づくりのそれは、一見、簡単に壊れそうに見える。

 よく見ると、硝子の中には金色の文字が薄っすらと浮いていた。


「あなた方の事は既にジュレイから聞いています。変異とはいえ、魔は魔。いつあなた方の気が変わるとも知れません」


 なんだ、ジュレってば話してたのね。

 そう言っておいてくれたら、こんな堅苦しい姿勢取らなかったのに。

 いや、でも折角の服装で、足組んで座るのも、自分的に許せないから、まあいいか。


「あなたがラテイシェルを、人を、襲わないと約束出来るのならば、この腕輪をまずは証として、身に着けてもらえますか」


 襲うも何も、私も人間なんだけどな。


 なんて言えるわけないので、返事の代わりにテーブルの上に置かれた腕輪を手に取った。

 クーヘンはそんな私のあっさりとした態度を見極めようとするかのように、こちらを見詰めている気配がする。

 目の前のヴェールを少し持ち上げて、近くで見ると、透明な硝子の中で薄っすらと浮いている金色の文字が、揺れている。

 硝子の中に水が入っているのか、どういう作りになってるんだろうと、思わずぷらぷらと目の前で腕輪を振ってみたけれど、遠心力で文字が揺れているわけではないみたい。

 異世界ファンタジーすごいな。

 只のアクセサリーひとつでも、凝ってるものなのね。


「綺麗ね」

 

 くすりと微笑みながらラテを見ると、少し複雑そうな顔をしていた。

 簡単に壊れそうな物を、乱雑に扱った事を怒っているんだろうか。

 そんな大事な物、私に渡されても、困るんだけど……


「ただ、これ凄く簡単に壊れそうに見えるのだけど」

「簡単に壊れるような物ではありません」


 眼鏡の奥で神経質そうな目を細めて、クーヘンがきっぱりと言い切った。

 そう言われたって、すっごく簡単に壊れそうに見えるんだからしょうがないじゃない。

 私はちゃんと確認したからねと思いながら、腕輪に手を通そうとした、その時。

 後方から、ぐいっと力強く肩を引かれた。

 何? と顔を上げると、顔がよく見えないけど、長身の男性が私の肩に手をかけ、見下ろしている。

 後ろには確かヴィストしかいなかったはずだから、顔が見えないけどたぶんヴィストなんだろう。


「それをつけるのか」


 思った通り、声はヴィストの低くて耳に心地よい声だった。

 ただ、何かを警戒しているように感じる。


「そのつもりだけど。私、別に人間襲わなくても平気だし」


 サキュバスが人間襲うって、つまりあれでしょ?

 快楽漬けにして、堕落させて、サキュバスはその精を吸うだっけ。

 そんな恥ずかしい生活、私に出来るわけないし、むしろ、精吸うとかつまりそれって……いかんいかん、物凄いえろい事考えちゃったわ。

 赤くなりそうになった頬の熱を、手に持った腕輪を再度ぷらぷら振る事で意識を紛らわせた。

 テーブルの向う側の空気が重くなった気がするけど、今は無視しておこう。


「……平気なのか?」

「うん」


 怪訝な声音のヴィストに答えてから、ふと私が最初にいた魔界の、あの変な集まりの事を思い出した。

 ヴィストにあの場所から連れ出された後、確かお腹空いたという会話を彼にした時に、あの場所の力を借りないといけないのかと、言っていた気がする。

 その時は適当に、普通あっち(会場に食べ物屋がある)でしょー。と、会話を流していたけれど。

 ヴィストもまたその時のやりとりを思い出して、私の事を気にしているのかもしれない。

 というか、あの場所の事、深く考えると本気で怖い所なんじゃないだろうか。

 あの、捕まった騎士さん達、あの後どうなったんだろう…と、考えて背筋にひやりと冷たい空気が流れた気がした。

 それを誤魔化すために、肩に置かれたままのヴィストの手を引き寄せる。

 必然的に、彼の顔が傍に寄ったのを確認し、彼の腕から肩に手を這わせて、彼の首元を確認すると、今度は私が背を伸ばして顔を寄せた。


「欲しくなったら、ヴィストがくれるでしょう?」


 色を含んだ声音を意識して、囁けば、ヴィストの肩が私の手の平の下で、ぴくりと上がった。


「あ、ああ…」


 少し上ずった返事が返ってくる。

 あえて主語を抜かしたので、これで後でどうとでも言い逃れが出来るだろうという、私の姑息な考えは気付かれなかったらしい。よし。


 でも、本当こんなふざけたやりとりまでしておいて、ヴィスト人型バージョンが生理的に無理とかだったらどうしよ……

 

 その時は、その時に考えればいいかと、姿勢を戻し、改めて腕輪を手に持ち直した。

 皆の視線が自分の手元に集中しているのを、肌で感じながら、留め具の無いそれを、左手にくぐらせようと、ぐっと力を込める。


 中の金色の文字の揺れが、激しくなった?


 と思った時には、カシャンと小気味良い音をたてて……


「あ……」


 腕輪は、思っていた通り、あっさりと壊れたのだった。








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