下界で遊戯 2
ぎらりと怒りを宿した三白眼に射抜かれるのは、今日これで何度目だろう。
思わず、目が合った瞬間にそらしていた。
あれ、直視しちゃだめなやつ。絶対。
「……さっさと起きろ」
「あ、ああ」
下敷きになっていた騎士様が突然のジュレの来訪に驚きながらも、流石にこの状態は自分でもよろしくないと思ったらしく、片腕をついて体を起こすと、ついでに私の手を取って立たせてくれた。
でもジュレの前に堂々と立つ気になれず、さりげなく騎士様の後ろに移動する。
私のせいで少し乱れたマントの襟を正す騎士様が口を開くよりも先に、腕を組んだジュレが口を開く。
「部屋の前で待機のはずが、何故ここにいる」
「彼女が髪を乾かせないようだったから、手伝っていた。私が椅子に躓いて、倒れた所にお前が来ただけだ」
自分には後ろめたい所など何もないと、きっぱりと言い切る騎士様。
それに対してジュレは訝しむような視線で彼を見た後、ちらと私へと視線を下げる。
「そいつは誰だ」
……は?
私も驚いたけど、騎士様も驚いたようにジュレを見る。
こいつ何言ってるの?
怖々と騎士様の後ろに隠れていたのだけど、思わずちらりと騎士様の後ろから顔を覗かせると、不機嫌の塊にしか見えないジュレと目が合った。
「この部屋に通した奴らはどうした。何故見知らぬ女がいる」
え、思い切り目があってるこの状況でも言うの?
思わず騎士様を見上げると、彼もどうしたものかと困ったような顔でこちらの様子を伺っていた。
いや、確かにコスプレ用のメイクは本当にがっつりで、かなり濃かったけれども!
でも、この騎士様だって最初は驚いてたくらいで、ちゃんと私だってわかったのに!
「ジュレイ、その、君は本気で言っているのか?」
「……ああん?」
どうしよう、驚きを通り越して可笑しくなってきた。
こいつはあれだ。
女が髪型変えても気づかないで怒られ、更に相手が何を怒ってるのかさっぱりわからないタイプだ。
デートで気合入れても、何も言わない、むしろ何が違うのかわからないとか服着てるくらいしか、意識がいかなそうな、そんな奴。
笑いそうになっちゃう口元を、慌てて手で隠す。
でも、込み上げてきた笑いをこらえるために、力をこめた唇からはぶふっと息がもれてしまった。
ああもうだめだ。
一度口からもれてしまった笑いはもう止められず、見上げたジュレの顔がわけがわからず驚いてる事が拍車をかけて、更に吹き出してしまった。
「ジュレ、あなたって女にモテないでしょ」
その言葉で気付いたのか、それとも、私の笑みで気付いたのか、はっとしてジュレが顔をしかめた。
「…てめぇか」
「服を着替えて、メイクを直しただけよ。こっちの騎士様は普通にわかってくれてたのに」
「うるせぇ。おい、お前は外に出てろ」
物凄く怒ってるジュレの態度に思う所があったのか、たぶん基本女性に対して弱そうな騎士様が、気遣う視線でこちらを見る。
私としては勿論傍にいてほしいところだけど、ジュレは許さないだろうなって思ってたら、案の定、騎士様の腕に手をかけ、顎を使って扉を促した。
「極力、接触は避けるようにと言われたはずだ。すぐに戻れ」
何その、人を病原菌みたいな発言。言ったのがラテだったら、後でいじめてやる。
むっとする私の態度を確認し、ジュレを見てから、騎士様が部屋を出ていく。
部屋の扉が閉められる音がこちらの耳にも届く頃、ジュレは改めて私に向き直った。
「…食事を求めたと聞いて見に来たら、早速か」
「ん?」
何の事?と首を傾げたら、かっとしたジュレにいきなり襟首を掴まれた。
暴力反対ー!
「ここでは大人しくしていろと言ったはずだ」
「そんな事言われた覚えないんだけど」
「それなら今言ってやる。お前がここにいる事を俺は認めていない。人前に姿を見せず、大人しくしてろ。人間を襲うな」
「別に誰の事も襲ってないけど」
「今、ここで奴の事を押し倒していたばかりのくせに、何言ってやがる」
「それは彼も言ってたように、不可抗力よ。ジュレが考えるようないかがわしい事は何もしてないわ」
心臓がやたらドキドキ音を立てているのを、彼に聞かれたらびびりだとバレる。
それでも、この手を離してやたら近くでガン飛ばすのは止めろと、負けじと彼を睨み上げた。
たぶん、数秒、私の真意を計ろうとこちらを見詰めていたジュレが、舌うちして手を離した。
折角のお嬢様風を装ったワンピースを選んだというのに、服に皺が寄っちゃうじゃないかと、捕まれていた襟元を払う。
「……ここでは、人間の振りをしていろ」
「私も別にそれで構わないけど」
むしろ、普通の人間なんで。
ただそれに、異世界のってついちゃうから、ここの普通の人間とはもしかしたら違うのかもだけど。
「折角、お嬢様風に着替えてみたんだし、人間の振りついでに、お嬢様みたいに振舞おうか?」
サキュバスの余裕ある女の態度をジュレにするよりは、ここではお嬢様っぽく普通の娘らしく、彼に接する方がいいんじゃないかと提案してみる。
いきなりボロボロの二人が連れ帰った、私達二人の事を説明するにしろ、設定は重要だしね。
私の考えるお嬢様というと、敬語、控えめ、甘えっ子、笑い方はうふふってところかな……なんてところまで、話したところで、ジュレが呆れたように大きく溜息をついて、自分の顔を片手で覆った。
「何なんだ、お前は…」
「何って……この方がいいかと思って提案しましたのに」
右手をぐーにして顎にあて、わざとらしく上目づかい。
私の中のお嬢様というと、こんな物かとやってみたんだけど、ジュレはぐっと喉に何か詰まらせたようなうめき声を上げた。
「やめろ、気持ち悪い」
「きもっ!? ひどいですわ、ジュレ様っ」
そそと泣き真似までサービスしたら、がっと頭を鷲掴みにされた。痛い痛いっ!
「折角髪もいじったんだからやめてよね」
慌ててジュレの手から逃れ、鏡で自分の髪型の乱れをささっと直す。
そんな私の後ろでは、心底疲れたと疲労感たっぷりのジュレが、やっぱり大きなため息を落としていた。
「幸せ~~っ」
やっと、本当にやっとありつけたまともな食事に、頬をほころばせる。
大皿のラザニアにスープ、生ハムのそえられられたサラダとバスケットには焼きたてのパン。
部屋が部屋だけに、フランス料理みたいなものが並べられていたらどうしようとか、逆に見たこともない珍食が置かれていたらどうしようと思ったけれど、見慣れた食事に安堵した。
というか、本当に美味しい。
朝からろくなものを食べていなかった私のお腹には、最上級のご馳走だ。
目の前に、仏頂面をした男がいなかったら、更に楽しめていただろうけど。
「……本当に、ただの飯が食いたかったのか」
「そうよ。ずっとお腹が空いたって言ってたと思うけど」
「お前たち魔族は……お前の種は確か、人間の精力を食すはずだが」
やっぱりサキュバスってそういうものだよね。
今の話でわかったけど、ずっと気になってた『しゅ』って種族の意味かも。
「そっちより、私はこっちの普通の食事にはまってるだけよ」
「喰い飽きたと言うんじゃないだろうな」
うぐっと喉にパンを詰まらせるところだった。
私どんだけそういう目で見られてるの。
サキュバスになりきって、ちょっと遊んだだけなのに…!
いや、この世界の元からいるサキュバス達がそれ程凄い男漁りをしてるっていう事なのかな?
「違うわよ。私そっちの食事は、相当気に入った相手以外ダメなだけ」
食事をしながら何て会話をさせるんだと、改めて思ったらなんだか恥ずかしくなってきた。
顔に熱が集まるのを、冷たいお水を飲んで誤魔化す。
ジュレの三白眼が、じっとこちらに向けられているのを、気付かない振りするのがやっとだった。
「……何なんだお前は本当に……ある意味、銀狼と同じ変種と思えばいいのか」
「もうそういう事でいいわ」
なんせ、本家サキュバスなんて見た事ないし、今後も出会うことがない事を祈るばかりだ。
「ところで、銀狼の奴は何処にいる」
「そういえば、そこから出て行ってから、まだ戻ってないかも」
言いながら、ベランダの窓を指さす。
ジュレの顔がやっぱりというか、驚愕と怒りに顰められる。
「なっんだと…、何故止めなかった!」
「そんな事言われたって、一瞬でいなくなったんだもの」
「今すぐ呼び戻せ」
「ええー、そのうち戻ってくるんじゃない?」
何より、私が大声で呼んで戻ってくると思えないし、何より私はまだやっとありつけた食事の途中だ。
ヴィストにも聞こえる犬笛でもあるのなら、吹いてあげるくらいはしてもいいけど。
犬笛で戻ってくる人狼とかちょっと面白い。
「魔族が街に降りて、ただで済むとは思えん。くそっ!」
居ても立っても居られないというジュレを見て、この世界の魔族事情を考えると、ちょっと可哀想かなと思うけど、こればっかりはどうしようも出来ない。
窓から見える風景は、ここが高い位置にある部屋のせいか、空と遠くの方に山が見えるくらい。
ヴィスト、なるべく早く戻ってあげて。
そんな事を思いながら、食事を再開させる私の前で、ジュレが立ち上がった。
一度ラテの所に戻ると告げて、大股で部屋の扉へと歩き、その扉に手をかけた時だった。
ベランダの窓が外から開いて、部屋に風が吹き込んでくる。
「呼んだか?」
そこには銀の豊かな毛を風になびかせる、銀狼、ヴィストが立っていた。
タイミング良く帰ってきたなと思いながら、おかえりと笑うと傍に寄ってくる。
手に持っていたパンをヴィストに向けて差し出した。
「ヴィストも食べる?」
そう言ったら、手に持っていたパンにそのまま食いついてきたので、ちょっとびっくり。
そして、狼に餌付けが成功したみたいに、ちょっと喜んでしまった。
「銀狼、お前は何処で何をしていた」
扉にかけていた手をはずし、ジュレがヴィストを睨む。
「何処に来たのか軽く見てきた。ついでに、探してる奴がいる。それだけだ」
横柄なジュレの質問に律儀に答えながら、ヴィストが次を要求してくる。
もう一個パンかな?と、丸いパンに手を伸ばしたら、ラザニアを大きな指先で示された。
大きな口に合うように、フォークよりはここはスプーンでいこうと、大き目に切り分けたラザニアをすくい、あーんと口元に持っていく。
口に入る時、牙に当たったソースが下に添えていた私の手にぽたりと落ちた。
何か拭くものと布巾を探した私の視界の端で、狼の顔が少し動いたと気付いた時には、手の平をぺろりと舐められていた。
間近にある狼の顔が、ん?私の顔を覗きこんでくる。
あまり機会のない手の平を舐められる行為なんだけど、相手が狼のおかげで全く気にならない。
いや、もしかしたら、この考えってヴィストに対して失礼なのかもだけど。
笑って、次は何を食べさせようかなとテーブルに視線を戻したら、ジュレが怒ったような声を上げた。
「人間の食事ならいくらでも用意させる。いいか、絶対にこの部屋から出るな」
言って、部屋を出て行った。
乱暴に閉められた扉の音がやたら大きくて、肩をびくつかせてしまい、ヴィストを見上げると「煩いやつだな」と目を細めていた。
その顔も恰好いいなぁとほわんとしながら、ジュレの事を思い出す。
うん、あいつ本当女にモテないタイプだわ。
お気づきの人もいると思いますが、サブタイ考えるの力尽きています……
そして、ジュレは私の中でお笑い担当です……
更に、ヴィストとユーアは二人にしておくと、ずっといちゃついてます(@´ω`):;*.’:;ブッ