第12話 言えなかった一言
言えなかった言葉は、消えるわけではない。
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ただ、時間の中に沈んでいく。
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あすかは最近、その重さを感じていた。
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三月中旬。
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冬は終わりかけているのに、
空気はまだ少し冷たい。
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それが余計に、曖昧さを強調していた。
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「人生の交差点」
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夜。
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あすかはいつもの席に座っていた。
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カラン。
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扉が開く。
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マスターは軽くうなずく。
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「今日は静かだね」
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あすかは小さくうなずく。
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「静かにしたい日です」
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マスターはそれ以上聞かない。
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グラスが置かれる。
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今日は少しだけ重い味だった。
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飲み込むのに時間がかかる。
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悠真はまだ来ていない。
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遅れる連絡はある。
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でも今日は、その“いつも通り”が少しだけ違って感じる。
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扉が開く。
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カラン。
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悠真だった。
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「遅れた」
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「大丈夫です」
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座る。
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沈黙。
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その沈黙は、もう慣れたものではなかった。
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どこか緊張を含んでいる。
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悠真が言う。
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「今日さ」
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あすかは顔を上げる。
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少し間。
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「ちゃんと話しておきたいことがある」
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その言葉に、あすかは息を止める。
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分かってしまう気がした。
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何を言うのか。
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でも、まだ言わせたくない気持ちもあった。
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あすかは静かに言う。
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「聞きます」
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悠真は視線を落とす。
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少し長い沈黙。
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そして言う。
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「このまま続けるの、違う気がしてる」
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その言葉は、思ったより静かだった。
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あすかはすぐに答えられない。
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否定も肯定もできなかった。
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悠真は続ける。
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「嫌いになったわけじゃない」
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「でも、どこかで止まってる気がする」
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止まっている。
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その言葉が胸に残る。
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あすかは少しだけ目を閉じる。
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そして言う。
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「止まっているんじゃなくて」
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「形が変わっている途中なんだと思っていました」
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悠真は少しだけ笑う。
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でもその笑いは弱い。
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「それでもいいのかもしれないけどな」
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マスターは何も言わない。
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ただ静かにグラスを拭いている。
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帰り道。
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風はもう冬のものではない。
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少しだけ春の匂いが混じっている。
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二人は並んで歩く。
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距離は変わらない。
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でも、その距離が意味を持ち始めている。
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駅が見える。
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別れ際。
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いつもより長い沈黙。
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でも、言葉は出てこない。
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悠真が言う。
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「またな」
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あすかは少しだけ間を置く。
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そして言う。
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「……はい」
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改札を抜ける背中。
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その背中は遠い。
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でも、完全な別れではない。
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あすかは思う。
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言えなかった一言は、
もう戻らない場所にある。
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それでも関係は続いている。
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終わりではないまま、
何かが静かに終わりかけている。
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冬の終わりが近い。
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そして物語は、
次の章へと移ろうとしていた。
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第6章「寂しさを思い出す春」へ続く




