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あすかの幸せについて  作者: こうた
第5章 まだどこにも行けなかった冬

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第12話 言えなかった一言

言えなかった言葉は、消えるわけではない。



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ただ、時間の中に沈んでいく。



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あすかは最近、その重さを感じていた。



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三月中旬。



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冬は終わりかけているのに、


空気はまだ少し冷たい。



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それが余計に、曖昧さを強調していた。



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「人生の交差点」



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夜。



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あすかはいつもの席に座っていた。



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カラン。



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扉が開く。



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マスターは軽くうなずく。



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「今日は静かだね」



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あすかは小さくうなずく。



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「静かにしたい日です」



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マスターはそれ以上聞かない。



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グラスが置かれる。



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今日は少しだけ重い味だった。



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飲み込むのに時間がかかる。



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悠真はまだ来ていない。



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遅れる連絡はある。



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でも今日は、その“いつも通り”が少しだけ違って感じる。



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扉が開く。



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カラン。



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悠真だった。



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「遅れた」



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「大丈夫です」



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座る。



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沈黙。



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その沈黙は、もう慣れたものではなかった。



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どこか緊張を含んでいる。



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悠真が言う。



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「今日さ」



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あすかは顔を上げる。



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少し間。



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「ちゃんと話しておきたいことがある」



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その言葉に、あすかは息を止める。



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分かってしまう気がした。



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何を言うのか。



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でも、まだ言わせたくない気持ちもあった。



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あすかは静かに言う。



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「聞きます」



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悠真は視線を落とす。



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少し長い沈黙。



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そして言う。



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「このまま続けるの、違う気がしてる」



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その言葉は、思ったより静かだった。



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あすかはすぐに答えられない。



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否定も肯定もできなかった。



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悠真は続ける。



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「嫌いになったわけじゃない」



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「でも、どこかで止まってる気がする」



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止まっている。



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その言葉が胸に残る。



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あすかは少しだけ目を閉じる。



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そして言う。



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「止まっているんじゃなくて」



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「形が変わっている途中なんだと思っていました」



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悠真は少しだけ笑う。



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でもその笑いは弱い。



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「それでもいいのかもしれないけどな」



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マスターは何も言わない。



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ただ静かにグラスを拭いている。



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帰り道。



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風はもう冬のものではない。



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少しだけ春の匂いが混じっている。



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二人は並んで歩く。



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距離は変わらない。



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でも、その距離が意味を持ち始めている。



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駅が見える。



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別れ際。



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いつもより長い沈黙。



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でも、言葉は出てこない。



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悠真が言う。



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「またな」



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あすかは少しだけ間を置く。



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そして言う。



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「……はい」



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改札を抜ける背中。



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その背中は遠い。



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でも、完全な別れではない。



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あすかは思う。



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言えなかった一言は、


もう戻らない場所にある。



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それでも関係は続いている。



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終わりではないまま、


何かが静かに終わりかけている。



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冬の終わりが近い。



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そして物語は、


次の章へと移ろうとしていた。



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第6章「寂しさを思い出す春」へ続く

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