第6話 二人だけの休日
休日の朝。
---
目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。
---
最近、こんな日が増えた。
---
理由は分かっている。
---
今日は悠真と会う日だった。
---
あすかはベッドの上で天井を見つめる。
---
春の頃なら考えられなかった。
---
休日に誰かと会う予定があること。
---
その予定を楽しみにしていること。
---
そして、その相手が悠真であること。
---
窓の外は青空だった。
---
夏らしい強い日差し。
---
蝉の鳴き声。
---
暑くなりそうだ。
---
それなのに気分は軽かった。
---
待ち合わせは午前十一時。
---
今回は悠真が提案した。
---
「水族館行かない?」
---
最初に聞いた時は少し驚いた。
---
もっと大人っぽい場所を想像していたからだ。
---
でも悠真は笑いながら言った。
---
「夏っぽいじゃん」
---
その一言で決まった。
---
待ち合わせ場所に着く。
---
悠真はすでに来ていた。
---
「おはよう」
---
「おはようございます」
---
自然な挨拶。
---
もう緊張は以前ほどではない。
---
でも胸は少しだけ高鳴る。
---
それは変わらない。
---
電車に乗る。
---
並んで座る。
---
車窓の景色が流れていく。
---
二人で話す。
---
他愛もない話。
---
昨日見たテレビ。
---
仕事の愚痴。
---
最近暑いという話。
---
どれも特別ではない。
---
でも不思議と楽しい。
---
水族館へ着く。
---
家族連れが多い。
---
子どもたちの声が響く。
---
少し賑やかだった。
---
館内へ入る。
---
涼しい空気。
---
青い光。
---
大きな水槽。
---
魚たちがゆっくり泳いでいる。
---
「なんか落ち着くな」
---
悠真が言う。
---
「分かります」
---
あすかも笑う。
---
しばらく並んで歩く。
---
言葉がなくても苦しくない。
---
それが心地良かった。
---
大きな回遊水槽の前で立ち止まる。
---
巨大な魚がゆっくり泳いでいる。
---
青い光が二人を照らす。
---
その時だった。
---
近くを通った子どもが走る。
---
ぶつかりそうになる。
---
あすかが少しよろめく。
---
その瞬間。
---
悠真が腕を掴んだ。
---
「大丈夫?」
---
ほんの一瞬。
---
それだけ。
---
でも。
---
心臓が大きく跳ねた。
---
「だ、大丈夫です」
---
声が少し裏返る。
---
悠真はすぐ手を離した。
---
それなのに、
感触だけが残る。
---
自分でも分かる。
---
顔が熱い。
---
幸い館内は少し暗い。
---
気づかれていないと思いたかった。
---
昼食を食べる。
---
館内のレストラン。
---
窓の外には海。
---
夏の日差しが眩しい。
---
「楽しい?」
---
悠真が聞く。
---
あすかは少し驚く。
---
「楽しいですよ」
---
即答だった。
---
悠真は笑う。
---
「よかった」
---
その言葉が嬉しい。
---
自分が楽しいことを、
喜んでくれる人がいる。
---
それだけで幸せだった。
---
午後。
---
海沿いを歩く。
---
風は暑い。
---
でも時折吹く潮風が気持ちいい。
---
空は高い。
---
雲は白い。
---
夏そのものだった。
---
「ねえ」
---
悠真が言う。
---
「去年の今頃って何してた?」
---
突然の質問。
---
あすかは考える。
---
去年の夏。
---
仕事をして。
---
家に帰って。
---
休日は家で過ごして。
---
それだけだった。
---
「特に何も」
---
正直に答える。
---
悠真は笑う。
---
「俺も似たようなもん」
---
少し沈黙。
---
そして続ける。
---
「今年は違うな」
---
その言葉に胸が揺れる。
---
今年は違う。
---
確かにそうだった。
---
去年の自分は、
こんな夏を知らない。
---
誰かと出かけて。
---
笑って。
---
未来を少しだけ期待する。
---
そんな時間を知らなかった。
---
夕方。
---
帰りの電車。
---
窓の外がオレンジ色になる。
---
あすかはぼんやり景色を見ていた。
---
今日一日を思い返す。
---
楽しかった。
---
本当に。
---
だからこそ怖い。
---
失いたくないと思ってしまう。
---
駅へ着く。
---
別れる時間。
---
いつも少し寂しい。
---
でも今日は特にそうだった。
---
悠真が言う。
---
「今日はありがとう」
---
「こちらこそ」
---
少し沈黙。
---
そして悠真が笑う。
---
「また行こう」
---
その言葉に、
あすかは自然にうなずいていた。
---
「はい」
---
もう迷わなかった。
---
行きたいと思ったから。
---
もっと一緒にいたいと思ったから。
---
改札へ向かう悠真の背中を見る。
---
胸の奥が温かい。
---
そして少し苦しい。
---
恋は近づくほど幸せになるわけじゃない。
---
近づくほど不安も増える。
---
それでも。
---
今日の思い出は確かだった。
---
夏の海。
---
青い水槽。
---
一瞬だけ触れた手。
---
その全部が、
あすかの心の中に静かに積み重なっていく。
---
そして彼女はまだ知らない。
---
この夏が最も熱くなるのは、
これからだということを。
---
第3章 第7話「花火の夜に」へ続く




