パーティの奴隷少女を自由にすると言ったら、死ぬほど愛されていたようです
・若干性的な描写があるので苦手な人はブラバ推奨
宝箱を開けた瞬間、バツン、と弦が弾けた。
「ルゥ!」
「うっ……!」
俺が叫ぶのとほぼ同時に、少女が小さく呻き、後ろへよろめいた。
細い矢が左腕に刺さっている。迷宮探索に付き物の罠だ。傷口から血が滴って、みるみるうちにボロボロの袖が赤く染まっていく。
「マリア、治癒を頼む!」
少女の小さな肩を抱き止めて、慌てて後ろを振り返るが神官の反応は冷たかった。
「お断りします。宝箱の罠すら解除出来ない無能に使う奇跡などありません」
「鏃に毒があるかもしれない、頼む」
「でしたらアベル様が吸い出してあげたらどうですか? 仮に死んでも、斥候奴隷なんて代わりはいくらでもいます」
マリアはキッパリと言い切った。
神に仕えているとは到底思えないセリフだ。
「まぁまぁ、死ぬほどの傷じゃないでしょ。アベルさんが優しく包帯でも巻いてあげれば?」
「はぁ……お前も物好きだな」
後ろで魔導士のクロエと、勇者——兄のカインが笑っている。
辺境の街で唯一の勇者パーティ《創世の集い》のリーダーであり、村の聖剣に選ばれた男。
別にそう珍しい事じゃない。これが世間一般における、冒険者奴隷への一般的な認識ってだけだ。
「アベル。兄貴としてはお前の方が心配だよ。こんな貧相な奴隷のどこが良いんだ?」
「……別に。探索に支障を出したくないだけだ」
兄貴はやれやれ、といったように肩をすくめると、神官と魔導士の腰に手を回しながら腰を下ろした。ルゥの生き死ににはまるで興味がないと言う風だった。
俺はもう治癒魔法は諦めて、腰の袋から清潔な布と消毒薬を取り出す。
「悪いな……また跡が残るが我慢しろよ」
壁際にもたれかかるようにして汗を吹き出している少女に声を掛けると、無言で頷いた。
ルゥは小柄な少女で、冒険者奴隷だった。
灰色がかった髪に、痩せた手足。元はどこかの没落貴族の令嬢だったらしい。その名残なのか、今は汚れで煤けているが肌は白く、儚げな蒼い瞳もどこか気品がある。
前の盗賊が死んだ穴を埋めるため、兄貴が二束三文で調達してきた使い捨ての冒険者だ。
大した訓練も受けていない割には勘が良く、斥候として思ったよりも長生きしているが、何故か罠の解除だけはよく失敗した。
その為、白い肌にはかえって生傷が目立ち、過去の矢傷跡なんかも水膨れのように痛々しく残っていた。
無駄に元が整っているせいで、彼女に対してはマリアやクロエは必要以上に冷たかった。
そんな事をしなくても、兄は立場を傘に着て女性を襲うほど腐ってはいないと思うのだが、特にマリアはルゥがどんなに頑張って良い働きをしても、自分の魔法を使って癒そうとはしなかった。
だから勇者パーティの仲間といえば聞こえは良いが、実際には家畜同然。出荷まで大切に扱われる事を考えれば、家畜の方がまだマシにさえ思う。
擦り切れるまで使い潰された果てに、最後は迷宮で打ち捨てられる。これが少女のみならず、冒険者奴隷の運命である。
だからといって、俺にはどうしようもない。
勇者でもない、一介の戦士である俺には。
「痛むぞ。この布を噛んでいろ」
「……はい」
ルゥは差し出した布を噛み締めながら、恐る恐ると左腕を差し出した。
矢を慎重に抜き、傷口を洗い、毒を吸い出す。ペッ、と吐くとルゥの血の味だけが口に残った。
傷口に薬を塗りこんでも、少女は声一つ上げない。激痛なのは出てくる脂汗と顔色で間違いないが、治療の際も、いつもじっと俺の顔を見ている。
「……大丈夫か?」
そう言うと、ルゥは申し訳無さそうに目を伏せた。
「いつもごめんなさい、アベル様」
気にせず包帯を巻くが、いつもより少し顔が赤い。
「傷の熱か? 具合が悪いなら少し休めるぞ。兄貴達もあんな感じだしな」
後ろを振り返ると、カインがマリアの肩を抱きながらクロエの胸を揉みしだいている。
あんな男が聖剣に選ばれたというのだから、世も末……いや、世の中分からないものだ。
まあ、聖剣といっても片田舎の古い伝承で、実際切れ味もその辺の鈍と大して変わらないのだが。
「ううん……大丈夫です。ごめんなさい、私また失敗してしまって……」
少しだけ、声が震えていた。
「失敗くらい誰でもする」
「でも、私は奴隷だから」
当たり前のようにそう言った。まだ大人になりきっていない少女が、すでに自分の人生を諦めているような言い方だった。
やはり彼女の将来を考えれば、このままここに居続けるのは良くない。俺は前々から考えていた事をルゥに告げようと決心した。
「……なあルゥ。明日の探索が終われば、少しはまとまった給金を出せると思うんだ」
少女が顔を上げた。
「俺が今まで少しずつ貯めておいた貯蓄もある。それを使えば、お前が自分で奴隷契約を買い取れるはずだ」
「……え?」
「自分を買って、自由身分になるんだ」
包帯を鋏で切って、布の端を結ぶ。
「勇者パーティといっても所詮はこの有様だ。ここにいたら長くは生きられない。隣街に行け。あそこの方が人も多い。カインの名義でギルドに紹介状を書いてやる。斥候の腕があるから、真面目にやれば食うには困らないはずだ」
最後に、でも罠の解除はもう少し気をつけないとな、と冗談ぽく付け加えたが、ルゥは何故かあまり嬉しそうに見えない。
ただずっと、巻かれた包帯を眺めている。
意外な反応だったので、俺は反応に困った。
もっと喜ぶと思ったのだが。
「ルゥ、聞いてるのか?」
「……うん」
「もしかして、嫌か?」
「ううん……ありがとうございます。アベル様」
そう言って、やっと少しだけルゥは目を細めた。
◇
迷宮から帰った夜。
宿に戻った俺は、鎧を脱いで部屋着に着替えると、そのままベッドに身を預けた。
今日の探索は斥候の動きが悪く、いつもより難儀した。
兄貴達は不満げだったが、元はと言えばルゥが受けた麻痺毒をマリアが治さなかったせいで、完全に解毒しきれなかったからだ。
あの傷で明日も迷宮に潜らせるのは、本来なら避けるべきだ。下手をしたら後遺症が残るかもしれない。
だが、兄貴は聞かないだろう。
勇者様は明日も英雄でいなければならない。
そのためには使い捨ての斥候の体調など、よしんば死んでしまったとしても……カインにとっては大した問題ではないのだ。
「……くそ!」
俺は酒瓶を掴み、杯に注いだ。
その時、隣の部屋から笑い声が聞こえた。
「はははは! ほらもっと飲め! 勇者の酒が飲めないのか?」
「やだー、勇者様そんなとこ触らないでよ〜」
「フフ、相変わらず元気ですわね」
カイン。
それから、マリアとクロエの声。
薄い壁一枚。
何をしているかなど、聞かなくても分かった。
「まったく、良い身分だな」
マリアは昼間、ルゥを治す魔力はないと言った。だが、こうして夜に乱痴気をする元気はあるらしい。
「くそっ、あの売女め」
毒づきながら杯を煽って安い酒で喉を焼く。だが、酒で誤魔化すには、隣の声は少し生々しすぎた。もう一杯酒を飲み干して、耳を塞いで寝ようとする。
その時だった。
扉が小さく叩かれた。
「……誰だ」
「ルゥです」
安宿といっても、通常はモンスターの腑分けや死体の処理を行う、冒険者奴隷を部屋に入れることはできない。馬小屋で寝泊まりさせるのが決まりである。
バレた場合の罰則を考えると、このまま入れるのは少し躊躇われた。
「入れ」
逡巡の末に入室の許可を出すと、そっと扉が開いた。
彼女が入ってきた瞬間、俺は目を丸くした。
ルゥはいつものボロ着ではなく、以前に二人で出かけた際、戯れに買い与えた服を着ていた。
露店で買ったかなりの安物だが、あの時のルゥの笑顔は今でも鮮明に覚えている。
白の無地が少女の白い肌と灰色の髪によく似合っていた。
蝋燭の灯りのせいだろうか。その顔はいつもよりも頬が紅潮して、やけに艶があるように見えた。
思わず生唾を飲んだが、悟られないように平静を装う。
「……どうした? 傷が痛むのか?」
「いえ」
「なら、早く寝ろ。明日も探索だ」
「アベル様」
ルゥは俺の前に立つと、服の紐に触れた。
「どうした」
「今日の手当てのお礼にきました」
布が床に落ち、痩せた肩が露わになる。
俺は思わず目を逸らした。
「こんな体でよければ、好きにお使いください」
声が震えていたが、それはこちらも同じだった。
「いけない、ルゥ」
「私には、これくらいしか返せるものがありません」
「服を着ろ」
「嫌です」
彼女が俺の言う事を断ったのは初めてだった。
「……私がいなくなる前に、アベル様に私を見てほしいんです」
隣の部屋から、また笑い声が聞こえた。
一気に飲みすぎたせいで頭がズキズキと痛む。
目の前には一糸纏わぬ姿の女がいる。
蝋燭の灯に、薄ぼんやりと白く細い体が照らされた。まだ今日の生傷も癒えておらず、栄養不足で骨が浮き出ている。とても健康的とは言えない。
こんな貧相なガキの体が何だというんだ。
だが、そうやっていくら自分に言い訳しても身体は勝手に反応してしまっていた。
手を伸ばせば届く。俺はもう一度唾を飲んだ。
瞳孔も、きっと開いている。
抱けばきっと拒まれない。
むしろ、ルゥ自身がそれを望んでいる。
ならそれを拒むことの方が余程、少女にとっては残酷な事ではないだろうか。
立ち上がって、腕を取ろうと手を伸ばした。
だがその時、昼に処置したルゥの包帯が目に入った。
俺は自分の中の濁った感情を振り切り、ベッドに敷かれた薄い毛布を剥ぎ取ってルゥの肩にかけた。
「子供が馬鹿なことするな」
毛布を掛けられたルゥは一瞬目を丸くした後で、甘えられなかった子供のように、寂しそうに微笑んだ。
「すみません」
むしろ謝りたいのはこちらの方だった。奴隷身分で夜抜け出してここに来た彼女の気持ちを考えると、罪悪感で目を見る事が出来なかった。
「そういうのはいつか、好いた相手にやると良い。……その時はきっと喜ばれる」
「ありがとうございます。じゃあ、戻ります。おやすみなさい」
「待て」
服を着て、馬小屋に戻ろうと把手に手をかけたルゥを思わず呼び留めた。
引き留めるべきではなかった。
ただ、その小さい背中が短くなった蝋燭の火のように、明日になれば煙になって何処かへと消えてしまうような気がした。気づいた時には声をかけていた。
「明日にはお前は自由身分だ。だが、どこに行くにしたって、その汚れじゃ相手にされないぞ。湯桶があるから身体を拭いてやる。」
湯桶は宿屋の女将がサービスで付けてくれる簡素なものだったが、馬小屋には流石にないのだろう。
ルゥの目がパッと明るくなった。思わず俺も笑みが溢れた。
「まあ拭くといっても髪と背中だけな。湯と手拭いは自由に使って良いが、前と手足は自分で拭けよ」
ルゥはこくこくと頷くと、細い背中を俺に差し出した。手拭いを固く絞って、肌を傷つけないように優しく拭いてやる。
背中にも細かい傷や水脹れがあったので、いつぞや神官からもらった軟膏を塗ると、花の甘ったるい香りがした。
「いけません。こんな高価なものを私なんかに使うなど」
小声で囁くように制止したが、本心ではない事は分かっていた。頭を抑えてぐしぐしと雑に撫でる。
「子供が遠慮なぞするな。どうせ俺は使わん」
少女は撫でられた頭を抑えて、小さくはにかんだ。
「あの……アベル様」
「なんだ」
「……もし自由になっても、わたしはアベル様のそばにいてもいいですか?」
少しだけ言葉の意味を考える。だが、仮に自由身分になってもこのパーティでルゥの扱いが変わるとは思えない。
そして俺自身、この少女に対してずっと責任を持てるかと言えばそこまでの覚悟は無い。
「……駄目だ。お前はここにいない方がいい。俺のそばじゃなく、自分の人生を生きろ」
「……分かりました」
暫しの沈黙の後、彼女は振り返らずにそう答えた。そしてそのまま、もう一言も喋らなかった。
身体を拭いた後、最後くらいはベッドで休めと勧めたが、ルゥは一礼して断ると部屋から出ていった。
(自分の人生を生きろ、か……)
幸せな人生をある日突然奪われた挙句、迷宮に連れ回されて畜生同然の生活を強制され、今度はまた一人で突然放り出される。
足音一つ立てずに部屋を出て行った彼女を見送った後、また一人残された俺は目に焼きついた白い肌を振り切るように酒瓶を開けた。
せめて彼女がこれから幸せになれるよう、いるのかすら分からない神に祈って酒を煽り、気づいた時には机に突っ伏したまま朝を迎えていた。
◇
翌朝。
カインは上機嫌だった。
昨日の酒と女の余韻でも残っているのか、朝から妙に調子がいい。
「本当にいいのか? あの奴隷女を自由にしてやるなんて」
「兄貴。前々から話はしてただろう。彼女はよく頑張った。パーティとしてもそろそろ奴隷に頼らず、ちゃんとした盗賊を雇うべきだって」
二日酔いで頭がガンガンするが、この方がいい。
むしろ余計な事を考えずに済む。
「まあ、いいけどな。大して役に立たないし」
カインは笑った。
「ただ、今日までは働いてもらう。探索が終わったら好きにすればいい。お前の言う通り、多少の金も持たせてやるよ。他所様に、あそこの勇者は酷い扱いだった、って言われても嫌だからな」
「流石は勇者様だ」
言いたい事は山ほどあったが、ここで揉めても仕方がない。
今日の探索が終わればルゥは自由。それで十分だ。
迷宮は静かだった。
昨日までより魔物の数が少ない。
ルゥは腕の傷を庇いながらも、先頭で慎重に罠を探っている。
だが痺れが抜け切ってないせいか、どことなく動きが硬い。
「ルゥ」
俺は小声で声をかけた。
「今日が終われば自由だ。カインも金を持たせると言っている。もう少しの辛抱だ。だから頑張れ」
ルゥは振り返ったが、その顔には喜びはなかった。
「……そうですか」
「どうした」
「……いえ」
そのまま迷宮を暫く進む。幸いなことに、今日に限っては魔物も罠も驚くほど順調だった。昨日の神頼みが効いたとも思えないが、このまま何事もなく探索は終わるかに思えた。
そんな時だった。
戻り道の中程でルゥがピタリ、と足を止める。
他のメンバーも彼女に続いて足を止めた。
「ルゥ、どうした」
周囲を警戒しているのか、彼女は振り返らず、何も答えなかった。
ようやく少し間をおいて俺を振り返る。
その顔は、昨日と同じ寂しそうな微笑を浮かべていた。
「アベル様、愛してます」
ルゥは、確かにそう答えた。
その直後だった。
ぐらり、と足元で石畳が沈む気配がした。
「皆、下がれ!」
ハッとして、叫んだ時にはもう遅かった。
踏み出す筈の地面は沈み込み、支えになるものがない。
完全に油断した。
床抜け(ピットフォール)の罠だ。
ガラガラと崩れ去る地面の中、どうにかこうにか大きな岩を避けて受け身を取る。どうやらそのまま、下の階に落ちてきたらしい。針や酸の罠でなかっただけ、まだ幸運といったところだろう。
「くそっ……! 皆、無事か!?」
声を張り上げると、少し離れたところでカインの声がした。
「いてて……なんだよ、くそ!」
「最悪ですわ……服が汚れました」
「杖は無事〜。身体もまあ何とか」
胸を撫で下ろす。一先ずは全員、無事なようだ。
そう思った瞬間、ズン、と床に何かが響いた。
そして暗がりの向こうから、巨大な影が現れた。
血が凝り固まったようなひび割れた赤黒い肌に、丸太のような腕。
心臓に響くような振動。巨大な影の正体が大鬼オーガの足音だと気付くのに、時間は掛からなかった。
ただの大鬼ではない。迷宮の深層にいる大鬼はAランクの正真正銘の怪物。駆け出しの田舎勇者が敵うはずがない。
「逃げるぞ!」
カインの判断は早かった。他のメンバーもサッと体勢を立て直す。生き残るためには腕っぷしよりも撤退の手腕が問われる。勘の鋭い盗賊や斥候がパーティに重宝される所以でもある。
斥候。そうだ。ルゥだ。
ルゥが見当たらない。
「ルゥ! どこだ!」
「何やってんだ、アベル! 死にたいのか!」
「待ってくれ兄貴! 彼女が、ルゥが居ないんだ!」
あ……
居た。
俺と大鬼を挟むようにして少女は横たわっていた。意識はあるようだが足が歪に曲がっている。よほど痛むのか、その場から動こうともしない。
「ルゥ!」
気がつくと俺は全速力で彼女の方に駆け出していた。後ろでカインが叫ぶ声が聞こえたが、最早耳に入らなかった。
ルゥを庇うように割って入り、声にならない叫びを上げながら大鬼目掛けて剣を振りかぶる。
だが、相手が悪すぎた。雑に棍棒を突き出されただけで鋼の胸当てがひしゃげて、左腕と肋骨の辺りから胡桃を踏み割ったような鈍い音が聞こえた。
ものの数秒で、向かって行った距離と同じ分だけ跳ね飛ばされる。
無理だ……こんな奴、絶対に勝てるわけがない。
「ルゥ……逃げるんだ……」
恐怖と痛みで歯をガチガチさせながらも、せめてルゥが逃げる時間を稼ごうと必死に立ち上がる。折れた指で剣を再度握りしめて、震える足に鞭を打つように再度向かっていく。
先程の一撃で相手にする価値もないと判断したのか、怪物は虫でも払うように右手で俺を弾いた。
その体躯以上の膂力になす術もなく、ルゥの直ぐ側に弾き飛ばされた。
両足が折れ、もう立つ事もできなかった。
目の前のバケモノから逃す事も、自由身分を与える事も、気持ちに応えてやる事すら、何一つ出来ないで終わる。
血を吐きながら、涙が込み上げて来るほどの無念の中、今際の際で思い出したのは何故か、昨日の少女との宿での出来事だった。
「ルゥ……」
その時、暖かいものが腕に触れた。
「そんな顔をしないでください。アベル様」
いつの間にか、彼女の指が自分の指に触れていた。
顔を上げて、ルゥの顔を見る。
目を疑った。
ルゥは泣いているでも、怯えているでもなく、恍惚の表情を浮かべてただ笑っていた。
「私、今とっても幸せなんです」
ルゥは逃げる様子もなく触れた指を絡めると、歪に曲がった足を引き摺りながら俺に寄り添った。
「ル……ゥ……」
「これまでも私が罠に掛かったら、アベル様は私の方を見てくれた。だから、今回もきっと来てくれるって信じてました」
「何……言って……」
「えへ、まさかあんなのが居るとは思いませんでした。でもこれでずっとお側において下さいますよね」
「まさ、か……わざと……」
ルゥは答えず、俺の体に被さるようにして肩を抱いた。その体はとても暖かく、軟膏の優しい匂いがした。
大鬼が迫ってくる事など気にも留めず、彼女は蠱惑的な笑みのまま俺を見下ろしている。
「アベル様。私、生きてて何一ついい事なんて無いと思ってました。でも……違いました。あなたに出逢えて……生まれてきて、良かった」
大鬼の棍棒が振り上げられるのが見えたが、不思議と恐怖は無かった。
俺は自然とルゥの体を抱きしめていた。
やってみれば簡単だった。むしろ、とても当たり前の事のように思えた。
今更後悔しても遅いが、もっと早くこうしていれば良かった。
せめて最期の瞬間まで、彼女の顔を目に焼き付けておこう。
「俺も愛してるよ」
棍棒が振り下ろされる。
満面の笑みで笑うルゥ。
良かった。
俺は確かに、この少女の心を救うことが出来たのだ。
そうして二人の意識は迷宮の闇に溶けて行った。
……そう思った時。
眩い光が俺達の意識を迷宮から引き摺り出した。
「何だ……」
光の中で目を開けると、カインが帯びていた筈の聖剣が一人でに抜かれ、大鬼の攻撃を受け止めていた。
それだけでは無い。刀身から放たれる眩いばかりの光が俺とルゥを包み込むと、瀕死だった二人の傷がみるみるうちに癒やされていく。
「これが聖剣の力……」
「アベル! 剣を取れ!」
遠くでカインの叫ぶ声が聞こえた。
「ルゥ、平気か」
「はい。アベル様」
俺はルゥを抱いたまま、光の中に手を伸ばす。
そして聖剣に触れた時、辺り一帯が柔らかい光に包まれていった。
◇
「——って事があって、俺は勇者になり損ねたって訳さ」
酒場でカインが相変わらずの調子で戯けると、周囲の女達がキャッキャッと叫んだ。
まったく、久しぶりに会っても女好きは変わってないらしい。
「やーん、アベル様かっこいい〜」
「勇者様、ずっとこの村にいてよー」
「でもカイン様もお金持ってるから好き〜」
「なはは、そうだろそうだろ! よし、今日は勇者の奢りだ! 好きなだけ飲め!」
「兄貴、またマリアに怒られるぞ」
……あれから数年の時が経った。
結局、勇者パーティはあの探索を最後に解散した。
結論から言うと、最後に聖剣に選ばれた者は俺だった。
聖剣が覚醒した理由はいまだに分からないが、俺はルゥと向き合えた事がきっかけだったと思っている。
「アベルの方こそ、聖女様とはその後どうなんだ?」
「別に。相変わらずの二人旅だ」
「そうか。今は、奴隷解放運動か? なんか難しいことやってるみたいだが、嫁さんは大事にしろよ。うちの女房は『過去の無礼を思い出すと顔向けできない』と会いたがらないが。……たまには顔を出してくれ、って伝えといてくれや」
「ああ。兄貴も飲みすぎるなよ」
酔い潰れた兄の迷惑料も兼ねて、金貨の入った袋をテーブルに置いたあと、俺は村を後にした。
「アベル様」
村外れの街道まで出たところで、フードを被った美女が突然目の前に現れた。瑠璃色の瞳が怪訝そうに俺を覗き込む。
「もう良いんですか? 数年ぶりの里帰りなのに」
「十分だ。近くを通っただけだし、兄貴も相変わらずだった」
「それは何よりです」
女はそう言った後、少し思い直したように声を低くした。微笑んでいるが、目だけが笑っていない。
「酒場では随分とモテていらっしゃいましたね」
「……聖女が気配を消して聞き耳とは感心せんな」
「昔の癖です」
そう言ってフードを取るルゥは少し拗ねたような顔をした。故郷のせいだろうか。昔を懐かしむように、俺は艶のある銀髪を少し乱暴に撫でる。
「も、もう! いつまでも子供扱いしないで下さい!」
「ハハハ、悪い悪い」
頬を赤らめたルゥにポカポカと背中を叩かれるが、全く痛くなかった。むしろ心地良いくらいだ。
「……いつかルゥの家族にもきちんと挨拶したいもんだな」
「この旅を続けていれば、きっとどこかで会えると思いますよ。何となくですが、そんな予感がしてます」
「そうか……じゃあ安心だな。ルゥの勘は当たるからな」
俺たちはフードを被り直してから、次の街に向かって歩き出した。
誰に強いられることもない、俺たちだけの人生を、今は二人で歩いている。




