8.傘があるのに
土砂降りの荒天に早々に部活を辞めて帰宅するように、と校内放送が流れた。
バド部の面々はいそいそと帰り支度を始めて、我先にと昇降口へ急ぐ。
僕はそんな仲間から1人外れてゆっくりと歩を進めた。僕は周と一緒に帰っていたこともあって、一人遅れている事に注意を払われる事はなかった。
土砂降りの雨の中、学校の置き傘を利用する生徒や、準備良く折り畳み傘を取り出す者でごった返す。ワイワイ賑わっていた昇降口はそれでもしばらくすると徐々に人が減っていった。
僕は迷っていた。
鞄の中にはいつものように入れてある折り畳み傘。
このまま僕一人で帰るのが当然の事なのに、そうしてしまったらもう、僕と周の関係も本当に終わってしまうような気がしたから。
それでもどうすればいいのか、決定的な判断が出来なくて僕は下駄箱の前をウロウロと歩き回った。
その内、遠くの方からバタバタと大人数の足音が聞こえて、聞こえてくる話し声からバレー部の面々だと分かった。
僕は咄嗟に物陰に隠れてしまった。僕の姿を誰にも見られたくなかったからだ。
「うわっ、すっげー雨。」
「あ、俺傘持ってる。」
「置き傘ゲット!まだあと2本あるぜ。」
「俺にも貸して。」
どうやらみんな傘を持ってないらしい。普段なら雨の中飛び出していく人間が何人かいるのに、流石の大雨で無謀に出ていくやつはいなかった。
そんな中、周の名前を呼ぶ声がする。
「周はどうする?傘はもうないから、俺のに入っていくか?」
「ばっか、周はいいんだよ聞かなくて。」
「え、何で?あ、ああ~そっか。周にはあの子がいるんだった。」
「そうそう。じゃ、またな。」
「いいなぁ、周。」
「仲良くなぁ。」
あっという間に去っていったバレー部員の言葉に僕は動きが止まる。
きっと彼女がここにやって来るんだ。
待ち合わせをして、2人で並んで一緒に帰るんだ。
分かっていたじゃないか。周はもう僕と一緒の傘には入らないって事を。
グッと唇を噛みしめた。
そうしないと泣いてしまいそうだった。
パタパタと軽い足音がして、彼女が来たのが分かった。
あ、本当に待ち合わせしてたんだ、と思ったら胸が苦しくなった。
僕は一刻も早くこの場を去りたくてしょうがなかったけれど僕が帰るには周の目の前を通らなければならない。
そんな勇気が持てなくて2人が出て行くまで息を潜めて隠れているしかない。
「あ、いたいた。周、今日こそ一緒に帰ろうよ。雨も酷いし、ね、入っていくでしょ?」
彼女の声は静かになった昇降口では割と響いて、僕の下にも届いた。
その反面、答えた周の声は低すぎて聞き取れなかった。
「え、だって凄い雨だよ。もう校舎に残っているのウチらぐらいだし。一緒に帰ろうよ。傘、私持ってるし。」
何だかもうダメだった。
これ以上聞いていられない。
僕は今まで必死に見つからないように隠れていた事も忘れてわざと大きな音を立てて周たちの前を横切った。
「大礼っ!!」
背後で周の声がして、僕は一目散に走った。
傘を差す余裕なんてなくて、大きな雨粒はみるみる僕の全身を濡らした。
「待て!待てよっ、大礼っ。」
ストライドの違いなのか、僕は正門をくぐる前に周に捕まった。
腕を取られ、向き直される。
はぁはぁ、と息を吐いている周もまた全身ずぶ濡れだ。
「は、離してよっ。雨降ってるんだから、早く帰らないと。」
「離さないっ。離したら、大礼、また逃げるだろう。」
「に、逃げないっ、逃げないよ。」
そう言い募っても周の手の力は弱まる事はなかった。
「周っ。」
後ろから遅れて彼女がやってくる。
彼女はちゃんと傘を差していて、周の姿に驚いていた。
僕は周と彼女の姿を見るのが嫌で、顔を伏せたままでいた。
「周、彼女、傘持ってるよ。これ以上濡れない内に一緒に帰りなよ。」
僕の声にピクリと反応した周は、ますますギュっと手に力を込めて僕の腕を掴んだ。
「マネージャー。俺、あなたとは一緒に帰りません。これからも一緒の傘に入る事はありません。何か期待させたのなら謝ります。でも、俺が一緒の傘で帰りたいのはあなたじゃない。すみません。」
驚いて周を見つめる。
雨の中、周は真っ直ぐ彼女を見つめていた。
傘の柄をギュッと握りしめていた彼女は暫くして目元を赤くしながら走り去っていった。
残されたのは濡れねずみな僕たち2人。
全く力の弱まらない周に僕はそっと話し掛ける。
「周、腕、痛い…。」
ハッとしたように力が弱まった。
もう周から逃げる気なんて全く起きなくて、僕は今更だけど鞄から傘を出して開いた。
少し逡巡して、
「ははっ、今更だね。……周、入っていく?」
胸はドキドキとして、果たして僕のこの言葉は正解なのか分からなかった。
それでも、さっき聞いた周の言葉が僕のなけなしの勇気を後押しした。
周は、ほんの少し周に向けて差し出した傘をジッと見ていたけれど、微かに「ん」と頷いて僕の隣に入ってきた。
僕はソッと息を吐き出して、肩の力を抜く。
そうして、隣に入ってきた周の姿を見つめた。
久しぶりに間近で見る周の横顔。
腕が触れて感じる体温。
柑橘類のような爽やかな周の匂い。
全部が懐かしくて、それでいて僕の心を騒がせる。前以上に周の存在を意識した。
「傘持ってたのにね。2人ともずぶ濡れだ。」
「本当だな。」
傘があるのにびしょ濡れなことが凄く可笑しくて、2人で久しぶりに声を出して笑い合った。
周の頭の向こう。
空は少しずつ明るくなっているのが見えた―――。




