『Hell side 8-1 月の器』
『Hell side 8-1 月の器』
「三弥栄しか乗れないじゃん」
と言う久慈の声にH2Bと虎太郎と龍美が振り返っている最中、最前線の三弥栄は、気付かず気合いを入れてエスカレーターへ乗り込む。エスカレーターが速い。最初は自転車くらいの速度、車の速度、飛行機の速度、さらに加速して離れていく。
三弥栄は一人、登っていく。
天国への階段の加速が指数関数的に増していく。見たことのない歪みを空間に生じさせながら登る。
気がつけば、前も後ろもなく、手すりも消え、エスカレーターのステップが一段、三弥栄の足元にあるだけとなった。
足元のステップも消える。
天国への階段はすべて消え、三弥栄は月と呼ばれる集合無意識のコアの上に立っていた。
部隊は続いてこない。
恐らく、自分だけしかここへ来れないのだろうと三弥栄は考える。
ホテル三弥栄二号館での出発前会議では、月での対応が確認されていた。月にて構造意識やCTが発生している場合、そこで行う目的、本に集合無意識のコアを読み込みさせることを最優先として、それぞれが三弥栄を守る。そう戦略を立てていたが、肝心の「三弥栄専用天国への階段」と書かれた注意事項に気付かずいた。
月の上は静寂。
三弥栄の目的にノイズはかからない。
逆に、三弥栄が月から覗くゼロ界は、アイテムを持った死節者がいないことを知ってかしらずか、大量のCTが既に発生して淀み、ゼロ界を大きく歪ませている。言葉の暴走によってボロボロに崩れて、今にも壊れそうだ。傷だらけである。
この場所は自分だけで終わらせられる。
皆が来る必要はない。
すべきことは一つ。
三弥栄は、跪いて手に持った本を月に寄せた。
本が月に沈む。
三弥栄は本を離さず、共にコアに溶け込む。
月の内側で、本が集合無意識の読み込みを開始した。
無が重なる一つの意識、集合無意識。
あらゆる可能性が、自由に生じて終わる。三弥栄は溶け込んだ月の内側で、その一つ一つの輝きを見つめる。キラキラしているのは、生まれては死んでゆく意識。意味を持って生まれ、意味もなく消えてしまう。生命が儚い夢と輝いている。
一つの無を、三弥栄を器として、すべて本が受け入れて受け止める。赦しによって言葉の暴走を鎮める。
本が集合無意識を内在して、ゼロ界の移行が完了した。
三弥栄が境界世界を本の中に構造した。
三弥栄は月の内側にいて、裏返った月の表面に立つ。
三弥栄の手に持った本の中に、三弥栄がいる。
「他の死節者は?」
三弥栄をここまで連れてきてくれた久慈、ナイスガイ、H2B、龍美、ハリー、虎太郎。
彼らは三弥栄の帰りを待っている。野垂れ死にさせるわけにはいかない。
「うんこを踏ませてはならない」
人様が気づかないうちに酷い目に遭うことがないようにしなければ。それが自分の仕事。
三弥栄の倫理と哲学が働く。
境界世界と自分の世界、OSの世界——それぞれの世界を繋いで、部隊を戻さなければならない。
本のページはめくられ、三弥栄の思考が文字を起こす。
エキナとメリアのエレベーターのゼロ階設定の構造を変え、それぞれをホテル三弥栄二号館のエレベーターに繋げて起動した。
二号館に三弥栄の声で館内放送が鳴り響く。
「ピンポンパンポーン⤴︎︎︎」
「こちらは三弥栄文楽です。ただいま月で諸々終了しました。二号館のエレベーターは、それぞれの世界に繋がります。部隊の皆さまは、お気をつけてお帰りください。(二回繰り返す)」
「ピンポンパンポーン⤵︎︎︎」
館内放送がもう帰っていいよと告げる。
ゼロ界という境界世界の在り方を、三弥栄とその本が司っていた。
あとは三弥栄が月から二号館へ戻れば、エレベーターで元の世界へ戻れる。
「これ、俺はどうやって戻るんだろうな……」
三弥栄は考える。
~完~




