不思議
ヴェルトの中立地域の一軒家は、戦争の嵐から隔絶された小さな安息地だった。赤い土に囲まれたこの家で、アリシアとケインは穏やかな日々を重ねていた。しかし、その平穏はアリシアの体調不良によって一時的に揺らいだ。
その日の朝、アリシアは激しい腹痛に襲われた。暖炉のそばで膝を抱えていた彼女は、顔をしかめて腹を押さえ、低くうめいた。
「うっ…何だよ、これ…」
ケインが慌てて駆け寄った。
「おい、アリシア!大丈夫か?どうしたんだ?」
「腹が痛くて…下痢も…やばいかも…」 彼女は弱々しく答え、トイレへよろよろと向かった。
数時間、アリシアは腹痛と下痢に苦しみ、トイレとリビングを行き来した。ケインは連邦の物資から古い缶詰が原因かもしれないと考え、彼女に水を飲ませ、濡れタオルで額を拭いた。
「安静にしてろ。俺が何かできることあったら言えよ。」
「……ありがとう、ケイン。」 アリシアは力なく笑い、ソファに横になった。
昼過ぎになると、症状がようやく落ち着き、アリシアの顔に血色が戻ってきた。彼女は深呼吸して体を起こし、ケインに小さく頷いた。
「なんとか…治まったみたいだ。助かったよ。」
「良かった。無理すんなよ。」 ケインは安堵の笑みを浮かべた。
その日の夕方、家の外で重い足音が響いた。窓から覗いたケインが顔をこわばらせた。
「ハーランド少佐だ…また来た。」
ドアが開き、ハーランドが厳つい顔で入ってきた。背後に兵士を二人連れ、冷徹な視線をアリシアに向けた。
「調子はどうだ、アリシア。そろそろ情報を吐いてもらうぞ。」
アリシアはソファに座ったまま、少佐を睨んだ。しかし、腹痛で弱った体と、ケインとの穏やかな時間の中で揺らいだ心が、彼女の抵抗を弱めていた。ハーランドが椅子を引き、目の前に座ると、彼女は小さく息をついて口を開いた。
「……分かったよ。独立軍のこと、話す。」
ケインが驚いて彼女を見たが、アリシアは目を伏せたまま、ハーランド少佐が持ってきた地図に指を差しながら続けた。
「軍は5000人くらい。拠点は、ここの北の峡谷に集中してる。武器は古いライフルと手榴弾が主で、数も少ない。私のAK-47もあれは連邦軍の鹵獲品。兵は…確かに歴戦を傭兵として戦ったような精鋭もいるが、大半は緊急徴用された新兵で、おまけに半分は私みたいな子供や年寄りだ。」
ハーランドは黙って聞き、メモを取る兵士に頷いた。
「ほう、意外と素直だな。協力感謝するよ。」 彼の声には皮肉が混じっていたが、どこか満足げでもあった。
「これで終わりか?もういいだろ。」 アリシアは疲れたように言った。
「ああ、十分だ。戦争の流れが変わるかもしれないな。」 ハーランドは立ち上がり、ケインに軽く肩を叩いた。「お前ら、無事に生き延びろよ。」
少佐と兵士が家を出ると、部屋に重い静けさが戻った。アリシアは暖炉の火を見つめ、ぽつりと呟いた。
「これで…何か変わるのかな。戦争が終わったら、どうするんだろ、私たち。」
ケインは彼女の隣に座り、少し考えてから答えた。
「戦争がいつまで続くか分からないけどさ、とりあえず終わったら…二人でこの家で暮らそう。料理作ったり、穏やかに過ごすのも悪くないだろ。」
アリシアは驚いてケインを見た。彼の真剣な瞳と、優しい声が彼女の胸に響いた。戦争の中で出会った敵だった少年が、今はこんな未来を語っている。その瞬間、アリシアの心に温かい疼きが生まれた。友達を超えた、初めての感情――ケインへの恋心が、静かに芽生えていた。
彼女は目を伏せ、小さく笑って言った。
「そうね…ケインと一緒なら、悪くないかも。」
暖炉の火が小さく揺れ、二人の間に新しい空気が流れた。