軋み
ヴェルトの地球連邦軍前線基地は、鉄とコンクリートで固められた無機質な要塞だった。赤い土に埋もれそうな建物の中で、ケインは司令室の前に立っていた。アリシアは彼の後ろで両手を拘束され、煤に汚れた顔を無表情に保っていた。彼女の携帯していたAK-47はすでに没収され、足元には何も残っていなかった。
司令室の扉が開き、中から厳つい顔の上官、ハーランド少佐が出てきた。数々の惑星の戦場を駆け抜けてきた40代後半の彼は、戦争で鍛えられた冷徹な視線をケインに向けた。
「報告を聞かせろ、ケイン。お前が反乱軍のおチビちゃんを捕えたと?」
「はい。建物の陰で発見し、抵抗される前に拘束しました。」 ケインは背筋を伸ばし、緊張した声で答えた。
ハーランドはアリシアに目を移し、彼女を一瞥した後、再びケインを見た。
「随分とまあ若い。お前ほどだな。年齢は?」
興味津々でハーランドはケインに迫る。
「……13との事です。」
「ほう、13歳の小娘一人か。だが、反乱兵の捕虜は貴重だ。情報次第では戦況が変わる。お前、よくやった。」 少佐の口元に薄い笑みが浮かんだ。「昇進の推薦を検討してやる。続けていればそのうち英雄になれるぞ。」
ケインの胸は一瞬たりとも喜ばなかった。しかし、アリシアの鋭い視線を感じ、喜びはすぐに冷めた。彼女を捕えた手柄が、なぜか重荷に思えた。
「ありがとうございます、少佐。」 彼は小さく頭を下げた。
ハーランドがアリシアに近づき、彼女の顎を掴んで顔を上げさせた。
「お前、名前は?何のために戦ってる?」
アリシアは無言で彼を睨みつけた。顎を掴む手を振り払うように首を振ると、冷たく吐き捨てた。
「アリシア。家族を殺した連邦を故郷から追い払うためよ。」
ハーランドは鼻で笑い、ケインに命じた。
「こいつを尋問室へ連れて行け。使える情報は全て片っ端から吐かせる。」
だが、その時、アリシアが突然口を開いた。
「待って。私を尋問するなら、こいつ…ケインと一緒にして。」
部屋に沈黙が落ちた。ケインは目を丸くし、ハーランドは眉を寄せた。
「は?」 少佐が低く問い返す。それもその筈、つい数時間前に自らを殺そうとした者と一緒にいたいと漏らしたのである。
「こいつ…ケインと一緒にいたい。尋問でも何でもいい。他の奴らには何も話さない。」
アリシアの声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。ケインを指す彼女の視線には、敵意と何か別の感情が混じっていた。
ケインは混乱した。なぜ自分が? 彼女を捕えた敵なのに? ハーランドはしばらくアリシアを睨みつけ、やがてため息をついた。
「ふん、妙な小娘だ。だが、情報が得られるなら条件を飲んでもいい。ただし、武器や武具になりそうなものは一切没収だ。場所も基地内は認めん。中立地域の郊外に一軒家を用意する。そこでケインが見張りを兼ねて監視しろ。分かったな?」
「はい、少佐。」 ケインは反射的に答えたが、心はまだ整理しきれていなかった。
その日の夕方、二人は連邦軍の輸送車で中立地域へ向かった。ヴェルトの戦場から離れたこの場所は、独立軍と連邦の双方が『一切の軍の立ち入りを認めない』と協定を結んだ緩衝地帯だった。その緩衝地帯は砂漠の中心にあるオアシスのように緑が溢れていた。一軒家は、古びた木造で、窓からは薄暗い光が漏れていた。アリシアの手錠は外され、代わりに監視用の電子タグが足首に装着された。
家の中に入ると、ケインはアリシアに言った。
「何で俺なんだ? お前、俺を恨んでるはずだろ。」
アリシアは窓際に立ち、砂埃の舞う青い空を見ながらぽつりと答えた。
「分からない。アンタが撃たなかったから、かもしれない。他の連邦兵なら、私をその場で殺してた。」
ケインは言葉に詰まった。あの場面で引き金を引かなかったのは、彼自身の迷いだった。アリシアが続ける。
「ここで何日生きられるか分からないけど、せめて君みたいな奴と一緒なら、おっさんしかいないあそこよりかはマシだ。」
部屋に重い沈黙が流れた。ケインは彼女の背中を見つめながら、初めて敵としてではなく、一人の人間として彼女を見た気がした。外では、彦星が静かに輝いていた。中立地域のこの家で、二人の奇妙な共存が始まった。