今野勉「テレビマン伊丹十三の冒険」
今野勉が好きだ。
なにしろウルトラマンAには名前を拝借された隊員がいるし、私はTBSの社員演出家からとても影響を受けており、特撮の円谷一、SMの実相寺昭雄、文学の阿部昭とよくもこれだけ多彩な才人がいたものだと思う。
その中にあり、今野勉はこの頃のTV業界を描いた著作やTV論が多く、たいていは読んできた中、このタイトルである。
面白くないワケがない、と早速読んだのだった。
噂では知っていたのだが、70年代初頭にいちばん伊丹十三はTVのドキュメンタリーに入れ込んでいたとは聴いていたが、ちょうど私の生まれるあたりで、ドラマやアニメでなくドキュメンタリーだから再放送されることは皆無なので、観たことは多分一本もない。
だが紙上ではそのドキュメンタリー番組が見事文字で再現されていて、とても愉しめた。
そして伊丹十三について是枝裕和との対談も載るのでお得な本である。
本書に触発された感想として、伊丹十三・大江健三郎の義兄弟は60年代から活動し、最近相方も亡くなったことから、石原慎太郎・裕次郎兄弟のライバル、つまり判り易くいえば。レオ・アストラ兄弟とガロンとリットルみたいなもんだと思った。
このライバル同士の兄弟は文学、映画、TV、エッセイ、演技、政治と縦横無尽に活躍したのだが、慎太郎と大江は比較されても、裕次郎と伊丹が比較される、更にこの兄弟が比べられることはなかった。
で、ここまで書いておいたなんだが、この兄弟ともに特別好きではない。
大江の小説は晦渋で一人ではしゃいでいるようだし、慎太郎の小説は技巧とプロットの無い小説は単純に苦手である。
裕次郎なんて太っているからかっこいいと思ったことはない。
で、伊丹十三だが、作中、オチとして蓮實重彦が最低の評価を下したシーンで終わるのだが、蓮實だってそんなに好きな映画評論家でないが、ここでは蓮實の肩を持つ。
作中、今野勉が伊丹十三のエッセイ集の解説を引用しているのだが、それが関川夏央で私は青年期に関川の文章をやたら読んだが、紹介された洲之内徹は読んでも伊丹十三は読まなかった。
私は岸田森も、山崎努も、緒形拳も、仲代達矢も、人となりとその演技も好きだが、伊丹十三はそうでもなかった。
で、伊丹十三の映画だが、それこそちょうど映画に目覚める中学生の頃に「お葬式」で自死が大学卒業直後くらいなので、新作を楽しみにする映画監督であったが、黒澤明も、黒沢清も、ビートたけしも心に残る作品があるが、伊丹十三の作品では洞口依子の裸体くらいしか記憶にない。
はっきり云ってしまうと私はこの人のインテリ特有の冷笑主義が苦手だった。
というか本書を読んで初めてそのことに気が付いた。
週末大学時代の先輩を頼って愛媛県に小旅行に行く予定なのだが、本書で松山駅から30分程に「伊丹十三記念館」があると知ったのだが、凄い良いタイミングなのに、グーグルマップで調べ・記念館のHP見て、別にいいか、と思った。
黒澤明は「羅生門」でも「静かなる決闘」でも安っぽいと云われようがヒューマニズムを絶対的に押す、たけしは男のくだらないロマンティシズムを、あのノンポリの万年映画青年の黒沢清だって「回路」や近作「Cloud」で人間主義の勝利を謳い上げる。
だが本書で今野勉は伊丹十三本人から聴いたように、伊丹映画には、観客が好む情報と面白いお話しかないのだ。
例の自死について暴力団による他殺説が未だ云われているが、本書でも出会いのきっかけになった短篇映画「ゴムデッポウ」を始めとして、この人からはプライド高い人のシニカル(困ったことにニヒリズムですらない)臭さが演技からも文章からも漂う。
でも本書は役者として・演出家として取り組んだTVドキュメンタリーを語ってもので、ここでの伊丹十三はそんな冷笑主義から逃げられているくらいに熱いし、なにより心底愉しそうにやっているのだ。
それは今野勉という対等のパートナがいたことも大きいかもしれない。