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二章6話 聖女の術


 オットーと一緒に歩くこと十数分。ゆっくりと歩きながら、ときおり、近くにある宗教的な建造物や彫像などの物品についてオットーがざっくりと解説を入れてくれる。最初はずっと無表情で、抑揚のない声故に、煙たがられていないか心配だったが、どうもそれは杞憂であった。

 なぜなら彼はどんな質問をしても常に一定のトーンで話をするからだ。そして、その顔色も常に一定で、不快さなどは読み取れなかった。あとついでに言うと、解説の仕方もざっくりながらも丁寧だった。たぶん、とても落ち着いた人なのだろう。まあ、少し個性的なのかもしれないが。


「そういえばオットーさん」


 歩きながらも、解説の合間にオットーに話しかける。ちなみに現在はオットー曰く、本堂の身廊と呼ばれる部分を歩いているらしい。


「はい」


「カールマンさんとは仲が良いんですか? お二人はご兄弟ではないということでしたが……」


 中身があんまりない質問だけどしょうがない。解説の合間の、会話が途切れる微妙な沈黙が少し苦手なのだ。


「良いと思いますよ」


 端的な回答が返ってきた。


「なるほど……」


「信徒は色々と出自が違います。俺とカールマンさんは同じ修道院で育ったんですよ。まあ、一緒にいた時間は短かったんですが……それでも色々と頼りになったので、勝手に兄のように思っています」


 俺の相槌に情報不足と感じたのか、オットーは補足した。


「ああ、それで、苗字が同じなんですか?」


「そうです。カールマンさんは聖従士に選ばれたので、別の苗字を貰う事もできたみたいですが、修道院の方の苗字を取ったみたいです」


 ほー。カールマンって聖従士だったんだ。確か聖導師と似てるけど、聖導師ほど凄くはないって存在だったな。僧兵みたいな感じかな? そう考えると、しっくり感がある。なんか門番みたいに聖堂の入口に立っていたし、教会の警備員みたいな感じだろう。

 そして、語り口からしてオットーは聖従士では無さそうだ。修道院で育つと、修道院由来の苗字が貰えて、聖従士みたいな特別な称号を持つと苗字を変えられるって感じかな?


「二つの苗字から修道院の方を……カールマンさんはとても良い人に見えましたし、思い入れが強い方を苗字にした、とかですかね?」


 オットーの語り口からして、特に修道院に対して悪い思い入れは無さそうだ。いや、まあ、常にトーンが一定だから悪い思い入れがあるかもしれないけど……でも、それなら、修道院と聖従士の苗字比較の時、もっと別の言い回しをすると思う。それに、たぶんだが、今までのオットーの様子とカールマンのイメージからして、オットーはカールマンと同じ苗字で嬉しいのだと思う。なんとなくだけど、修道院時代に良いことがあったのかなと勝手に想像している。


「いや、どうも、聖従士として選ばれた苗字が名前と似てて紛らわしいからみたいです。カ、カ、カール、カールレン、カールラン……カールトンだ。確か、カールトンって苗字になりそうで、そうすると、カールマン・カールトンってなって紛らわしいって言ってました」


 なるほど、そういう理由か。どうやら俺の想像は違ったようだ。いや、まあ合ってるかもしれないけど、苗字を決めた直接的な要因ではないようだ。それにしてもカールマン・カールトンか、確かにちょっと紛らわしいな…………ん? あれ、ちょっと待てよ。ルティナの苗字ってカールトンじゃなかったっけ? ん? そういえば、彼女も聖従士って言ってたな。

 ふむ? もしかして、カールマンが選ばなかった苗字がルティナのものになったりしたのかな。年齢的にもルティナの方がカールマンより年下に見えるし、有り得そうだ。いや、まあ、聖従士の苗字の発行上限が一つとは限らないし、そもそも、耳で聞く音は同じでも綴りが違うかもしれないし、これはちょっと想像が過ぎるかな?


「確かに、それは紛らわしいですね。カールマン・ゼシルの方がしっくりきます……でも、今の話し方からしますと、やはり、聖従士として選ばれた時に貰える苗字というのは結構重要な……価値あるものということでしょうか?」


「はい。基本的には貰うものです。紛らわしくても貰う人の方が多いと思うので、カールマンさんは少し変わってますね」


 抑揚のない落ち着いた一定のトーンの言葉だ。しかし、なんとなくだけど、オットーの声音の中に弾むものを感じた。兄のように思っているという言葉もあったし、やはり同じ苗字ということに思い入れがあるのかもしれない。いや、まあ、俺が勝手にそう思い込みたいだけのような気もするけど。


「もしかしたら、他にも何か理由がるのかもしれませんね。修道院ではどのくらいカールマンさんと一緒だったんですか? あまり長くなかったとさきほどは仰ってましたが……」


「だいたい二年くらいです。俺が7歳くらいの時に修道院に拾われて、その時カールマンさんに初めて会いました。だいたい二年後くらいに、カールマンさんが聖従士になる修行のために修道院を離れたので」


「ああ、そういうご関係だったんですか……あれ、でも一度離れたとなると、この聖堂にはどうして二人とも?」


「それは偶々です。俺は見習いとしてリデッサス聖堂に来ていて、そこに偶々カールマンさんも来たという形です」


「兄弟再会、ということですね」


 俺の言葉に、オットーは薄っすらと笑みを浮かべたような気がした。やはりカールマンのことを尊敬しているのだろう。


「俺はそう思ってます。まあ、カールマンさんは修行が大変すぎて、修道院の事をうろ覚えだったみたいですが」


「あ……そうだったんですか……」


「まあ、昔の思い出話をいくつかしたら、思い出してもらえましたけど」


 そう言って、オットーは苦笑した。おお! 初めて笑った。ずっと無表情だった人が笑うと、謎の達成感があるな。


「それなら良かったです」


 俺の何気ない言葉に対して、オットーはふと気づいたように辺りを見回した。


「ここが中央交差部――儀式を行う時の最前列です。ここからさらに奥側、内陣の方には行く事はできませんが、あのあたりで司祭様や司教様が様々な儀式を行います」


 どうやら話をしているうちに、だいぶ聖堂内を歩いていたようだ。さきほどまで歩いていた身廊を抜け、少し広がった空間に出た。中央交差部という名前や周囲の構造から考えるに――この本堂は非常に大きな十字架のような形をしているのだろう。そしてその十字架の交差点に今いるのだ。まあ、実際の十字架の比率よりも長辺が異様に長い気がするが。


「あのあたりですか……言われてみると、なんだか神聖な感じがします」


「はい。最近だと、贖罪日という大きな儀式があって、その時もこの中央交差部が最前列でした」


 ああ、ここも贖罪日をやっていたのか。まあ、クリスク聖堂よりも大きな聖堂だから、当然と言えるかもしれないが。というか、それよりも、アレだな……何となく感じていた事だが、オットーもやはり俺が非信者と分かるようだ。

 いや、たぶん皆わかってるんだろうけど……なんだろう? 見た目かな? でも、見た目は礼拝に来てる人と変わらない気がするけど……話し方とかかな? 主を敬ってる感じがしないからだろうか? 他にも文化的な違いとかが自然と出てしまっているのだろう。いや、まあ普通に『聖堂を見学させてください』なんて言う人は、信者とは言い難いか。


「ああ、確かにクリスク聖堂も、こんな風に交差してるところ、中央交差部でしたか? そのあたりが最前列で奥側とはロープで区切られていた気がします」


「クリスクから来たんですか? 観光ですか?」


「それもありますが、一応、仕事……みたいな。実は探索者をしてて、北方遺跡群に興味があって来ました」


 そういえば言っていなかったと思い、少し自分の話をする。


「それは凄い。しかし、クリスクの贖罪日ですか……あそこは聖導師様がいなかったと思いますが。儀式は司祭様が執り行ったんですか?」


 オットーは特に興味を持たなかったのか、端的な感想を言った後、再び話題を贖罪日に戻した。しかし、その中身は事実とは異なる情報が混ざっていた。ふむ。


「ん……? いえ、あそこは聖導師様がいるみたいで、その方が執り行っていました」


 一応、正しい情報を伝えておこうと思い訂正を示したが、オットーはそれに対して予想外の反応を示した。


「……? いや、そんなはずは……?」


 困惑したような表情に見える。今まで表情がほとんど読めなかったオットーにしては珍しい。逆に言うと、それほどまでに彼にとっては信じがたいことなのだろう。はて? ん?


「あれ? 違いましたか? たぶん聖導師様だと思ったんですが、もしかしたら、司祭様と見間違えたかもしれないです」


 たぶん間違っていないと思う。スイはほぼ確実に聖導師だし、彼女が贖罪日の儀式を行っていた。なんならその時、近くにいた人も『今日の贖罪日は聖導師がいるから嬉しい』みたいなことを言っていたはずだ。だから、間違いではないだろう。でも、ここで強く主張して、オットーが間違っているなどと言うのも良くない気がしたので、彼に迎合する。


「…………、……確かに、そうかもしれませんね。それより……そうだ。その贖罪日のとき、中央交差部と内陣を区切るロープを持っているのは聖従士なんですよ。この前の贖罪日ではカールマンさんも駆り出されていました」


 オットーは少し悩んだ後、話をクリスク聖堂からリデッサス大聖堂のものへと変えた。彼も、話を途中で崩すのを嫌ったのかもしれない。


「ああ、なるほど。確かに、ロープを持っていた人は、何だか場慣れしているような気がしました。聖従士の方々がやっていたんですね」


「ええ、特にリデッサスの贖罪日は、人が多く集まりますから、っ――!!」


 それは突然だった。淡々と話していたオットーが急に言葉を止め、驚いた顔をした後、慌ててその場に跪いたのだ。なぜと思い、オットーを数秒ほど見て、気づく。強い気配を背後に感じ、それと同時に美しい声音が響いた。


「ゼシル侍祭。構いません。楽にしてください」


 透き通るような美しい声。それが頭の中に響き渡る。美しく、聞く者を魅了する声だ。落ち着きつつも、どこか妖艶さがあり、それでいてなぜか幼さもある。女性のような少女のような不思議な声だ。

 どういうわけか、思考がそのことばかりに集中してしまう。女性か少女かなんて、俺が振り向けば分かるはずなのに、なぜか、体が固まって動けなかった。けれど、体は、心は、今すぐにでも振り向きたかった。振り向き、声の主を確認したい。そう思わせてしまうほどに、惹かれてしまう。


「はい。失礼します……聖女様がこちらにいらしていたとは……」


 オットーは再び立ち上がると、俺の背後にいる存在へと恐る恐る声をかける。未だに声の余韻に浸っているぼんやりとした頭の中に、僅かな情報が入り、思考が少し醒める。

 今、オットーは聖女様と言った。誰に? 俺の後ろのいる人にだ。聖女様、そう、ユリアが言ってた。リデッサス大聖堂には聖女がいると。それだ。聖導師の上位的存在。それが背後にいるのだ。振り向き確認したいという気持ちが増す。

 けれど、なぜか、薄気味悪いような感覚が背筋を流れた。今、振り向いてはいけないと。確信はないが、どういうわけか、振り向いてはいけないと、そう思った。


「ふふっ、私が聖堂を歩いていたらいけませんか?」


 また先ほどの美声が紡がれる。さっきよりも少し弾んだ声だ。楽しさのようなものが声音に込められている。その声に対して、また強く惹きつけられそうになる。

 しかし、今度はこらえた。二度目だからだろうか。いや、どちらかというと、与えられた情報を精査したくなる自分の癖のせいかもしれない。声だけ、という限られた情報で背後の相手を分析しようとしているからか、意識が分析に強く向いたのだろう。意識がやるべきことに向いているがゆえに、その美声の魔力に対抗できたのかもしれない。


「いえっ……! そのようなことは……」


 オットーは恐れ多いとばかりに、慌てて返事をした。そのことに背後の存在がクスリと笑ったように感じられた。


「そんなに緊張しないで下さい。それより、そちらの方は? もしよろしければ、こちらを向いて下さいませんか? 見たところ初めての方のようですし、お話の機会を頂きたいです」


 今だ背を向ける俺に対して聖女と呼ばれた存在が話しかけてきた。その美声が、意識が、こちらに向いたことに感情がざわついた。ごくりと唾を飲んだ。飲み込む音がやけに大きく体の中で響いた気がした。


「あ……あ……えっと、自分、ですか?」


 無視をするわけにもいかず、背を向けたまま、どもりながらも言葉を口にする。振り向いて背後にいる存在を確認したいという欲求。そして同時にある、『振り向いてはいけない』という謎の確信。


「ええ、あなたです。後姿だけでは寂しいものですから、どうかこちらを見て下さい」


 背後の存在の意識が、はっきりとこちらを向いている。こちらに向けられた意識、言葉の一つ一つがまるで鎖のように絡みつく。そして絡んだ鎖に無理やり引き寄せられるかのように、体が動き出した。『振り向きたいという』思いと『振り向いてはいけない』という確信。その均衡が破られた。


「あ…………あ、はい」


 答えながらも、ゆっくりと振り向いた。そして目を奪われた。そこには美少女、いや、絶世の美少女が立っていたからだ。

 俺は習慣的に、あまり人をじろじろと見続けないようにしている。そうするのは『相手を不快にさせてしまうのではないか』と思ってしまうからだ。けれど、そんな俺ですら、気付くと、ずっとその美少女を見続けてしまった。

 神秘的でどこか神々しさを感じさせる容姿。銀色に輝く長い髪は幻想的な雰囲気さえ醸し出している。見続けていることに気付いているに目を離せない。さきほど彼女の美声を聞いた時、それだけでも惹きつけられるものを感じた。けれど、正面から彼女の姿を見たら、もはやそれどころではない。まるで魂が彼女に惹きつけられるように、足が自然と前に出そうになる。しかし、それを鋼の意志で止める。初めて会った人に不用意に近づくのは不審だからだ。いや、初めて会っただけの相手にここまで惹きつけられている時点で十分不審ではあるが。

 俺が堪えているのを知ってから知らずか、目の前の絶世の美少女は何事もないかのように俺の目をじっと見つめた。彼女の紫色の瞳が妖しく輝く。


「はじめまして。私はリュドミラと申します。リデッサス大聖堂の聖導師を務めています。以後お見知りおきを」


 リュドミラと名乗った絶世の美少女は、端正な顔立ち――その、口元を薄っすらと緩めた。彼女に正面から声をかけられ、そして微笑みかけられて、動悸が激しくなるのが分かる。心臓の音が大きく体中を響いて、『その音が目の前の彼女にも聞こえてしまっているのではないか』と錯覚してしまいそうになる。自分を戒めていた鋼の意志が砕けそうになった。でも、それをなんとか堪えて、


「あ………………ええっと、ご、ご紹介、ありがとうございます。カイ・フジガサキと申します。よろしくお願いします」


 口を動かし、言葉を作った。いつも以上に不格好な挨拶。だけれど、既に頭がおかしくなっている状況下では、最大限とも言える出来栄えの挨拶だ。そうやって、まともを装う、いや、装おうとすることで、少しは頭の中もまともになる。なぜ、ここまで、この少女に惹かれているのだろう。姿を見るまでは、声を聞くだけだった時はこれほどまでに、惹かれてはいなかった。正面から姿を見て、そして、自己紹介の言葉を投げかけられて……それでこんなになってしまったのだろう。

 なんだろう。初めての感覚だ。前の世界でも、こちらの世界でも、こんな感覚は一度たりとも無かった。これは、一体……?



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[良い点] 謎が謎を呼ぶスイちゃん… かわいいからいいか
[一言] リュドミラって歴史上の人物かと思ってたけど聖女の名前だったのか…
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