一章89話 お別れ会⑱
「しまった! ユリアの拷問に夢中になっていたら、お兄さんを盗られてしまった! うむむー。これは不覚」
「拷問に夢中とかっ。聖導師がそんな言葉を言わないのっ!」
ルティナのもっともな指摘に内心頷いていると、頬が軽く摘ままれた。見ると、マリエッタの指が俺の頬に当たっていた。
「取引だ! カイさんのほっぺとユリアのほっぺを交換だ!」
「むむむっー! お兄さんにはお触り厳禁なのにー! 禁を破るとはー。神を恐れぬ探索者だー。なんという不信者~」
「早く決めないとカイさんのほっぺを弄るよ!」
「ええいっ。仕方がない! ユリアは解放だ! はい! マリエッタ! 離れた離れた! お兄さんから離れるっ!」
「ありがとうございます。マリエッタさん」
「いいよ! 大事な仲間だし!」
「むむ! 興が冷めた! こうなったら、ユリアの代わりにお兄さんを拷問だ~」
スイは仲睦まじい二人の様子を一瞥すると、声を上げ、こちらに迫ってきた。
「ちょっと、スイさん、距離近いですよ」
至近距離まで近づき手を伸ばしてくるスイに抗議するが、彼女はそれに構わず俺の頬を軽く摘まんだ。
「マリエッタに捕まるとは~。共犯者失格! よって拷問! 拷問!」
むにむにとスイは俺の頬を弄くり始める。加減してくれているためか痛くは無いが、変な感覚がする。それに近くにいるからか、スイの匂いとアルコールの仄かな香りが混ざり、嗅覚でも独特の刺激を感じてしまう。スイは常識の範囲内で飲んでいるからか、マリエッタほどアルコールの臭いはしなかった。
ただ、その分、スイ本人の匂いがしてしまい、なんだか変な気分になる。もしかしたら、俺はアルコール臭に弱いのかもしれない。
「頬を、頬を弄らないで下さい。正当性が無いですよ」
「正当性なら十分あるよ~。元々ユリアが終わったら、次はお兄さんの予定だったし……お~、そうだそうだ、忘れた~。お兄さん、さっきはユリアと見つめ合って、悪い事を考えていたでしょー、ほらほら、正直に話す~」
「いや……考えてないですよ」
無理だと分かっているが、俺もユリアにならい両手を使いスイの腕を掴み妨害を試みる。勿論、結果は駄目だ。びくともしない。相変わらずの怪力だ。しかしこんなに力が強いのに、弄られている頬が全く痛くないのは、少し面白い。いや、まあ頬を弄られている状況自体は面白くないけど。
「話さないと、今日はお店が閉まるまで拷問しちゃおうかな~」
「まだ料理食べたいので、ほどほどの所で止めてもらえると嬉しいです。スイさんもまだまだ美味しい料理があるので、ほどほどの所で食事の戻った方が良いような気もしますが……」
「むむむ~。良く回る口だね~。よーし、じゃあ、今からモノマネするから、お兄さんが当てられたら許してあげよー」
「簡単なやつでお願いします」
「おまかせあれ~。ではいくよー」
明るく楽しそうな表情でスイは開始を宣言する。未だ俺の頬を軽く摘まんだままだが、どうやら、この状態のままモノマネをするようだ。簡単なものが出るようにと軽く考えながら、彼女のモノマネを待つ。そして――
「『……さっきから口が良く回るのね…………その舌、引き抜いてもいいのよ……?』」
――瞬間、空気が凍った気がした。
体が僅かに震え、背筋に冷たいものが流れたような感じがした。スイの表情を見る。普段の悪戯気な可愛らしい顔は消え失せ、冷酷で残忍な顔をしていた。瞳の色も無感情な爬虫類のようだ。言葉にもいつものような温かみはなく、マイペースな雰囲気も、虚無色に上書きされていた。親しかったはずの少女の突然の変貌に恐怖を感じる。
「あの、スイさん……? 冗談……モノマネですよね?」
舌先が震え声を出せないでいると、見かねたユリアが助け船を出してくれた。そのおかげで我に返った。そうだ。別に本気で言ってるわけではない。これはクイズなのだ。あまりに演技が上手すぎて、圧倒されてしまったが、これはクイズだ。つまり今のは別に本当にやる気がないのだ。
はー、良かった。安心だ。というか、ユリアは本当に良い人だ。さっき俺は自分の僅かな保身のためにユリアに助け船を出すか悩み、そして出さなかった。しかし、ユリアは俺が困るや否やすぐに出してくれた。なんとも、自分との器の差を感じる。
それにしても、いったい誰のモノマネだ。俺の知る限り、こんな冷酷そうな人に心当たりは無いし……というか、スイとの共通の知り合いだという前提から考えると……あれ? いないような気がする。
敢えて言うと冷たい雰囲気ということでアストリッドだが、それにしても冷たすぎる。アストリッドは俺の見た感じここまで冷たくは無さそう。というか良い人っぽいアストリッドは舌を引き抜くとか言わない気がする。
「ちょっと分からないんですけど。誰のマネですか……?」
冷酷な表情でこちらを見下ろすスイに対して恐る恐る口を開く。そして彼女の反応を待っていると、ある時、瞬間的に雰囲気が変わった。冷酷そのものであった表情や雰囲気が急にいつものスイに戻ったのだ。
「んー? ああ、そっか。そういえば、お兄さんが知らない人だった。ごめんごめん~。まあ、でも一番凄い聖導師を選んだから、面白かったでしょー」
「いや、面白いと言うより……ちょっと怖かったです。というか、知らない人をクイズに出すのはレギュレーション違反では?」
「いいじゃん、いいじゃん。酒の席の一発芸なんだからー、大目に見てよ~」
「いや、ちょっと怖かったです」
大事な事なので何度か指摘しておきたい。
「でもでも、モノマネ上手かったでしょー」
「いや、本物を知らないので、上手いかどうか分からないんですけど」
「いやいや~。お兄さんも『ビクッ!』ってなってたし、きっと本物に会っても同じように『ビクッ!』ってなるよー」
『ビクッ!』の所だけ、やけにふざけた風に、スイは表現した。俺のことを煽りたいようだ。
「本物も同じくらい怖い人なら会いたくないですね」
「あの、今のは聖導師なんですか……その、あんなことを言う聖導師がいるとは思えないんですけど……それに一番凄いって……?」
「ほー。ユリア~。気になるかね~」
「えっと……はい」
「さっきのは、自分で言うのもなんだけど、凄く上手くモノマネできたと思ってるよー。こうヤバイ感じの雰囲気も出せたし、きっと本人がいたら感動で泣いちゃうくらいの精度だよー」
「なんとなくですけど、そんな怖い人なら感動するのではなく、むしろスイさんに怖い事してきそうじゃないですか?」
驚かされたことの腹いせ……というわけではないが、なんとなく茶々を入れる。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。同じ聖導師同士、まあまあ仲が良いからへーき、へーき」
「あの、それで、スイさん、一番凄いって言うのは……?」
「ん~。私の知る限りで、一番凄い……いや、一番強いかな。一番強い聖導師だよー」
「あの、スイさんって何人くらいの聖導師と面識がるんですか?」
「沢山~」
「沢山…………三十人くらいですか……?」
「もっと~」
「えっと、なら五十人くらいですか……?」
「秘密~」
「なら……三十人から五十人として、その中で一番強い……? あのその方って、聖導師というか、その聖女様ですか?」
「教えなーい」
「えっと………………聖導師でも信じられないですけど、聖女様だとますます信じられないです。あんな、舌を抜くなんて言う聖女様がいるなんて……」
「お兄さん、お兄さん。良い子ぶってるけど、きっとユリアもそのうち、『フジガサキさん、これ以上騒ぐようなら、その舌、引き抜きますよ』みたいな事言いだすから、気を付けてね~」
今のユリアのモノマネ、妙に上手かった。まあ、前提としてユリアはそんな事言わないが。ん? そういえば、以前ルティナのモノマネをしている時も結構上手かったな。そうすると本当にモノマネが上手いのかもしれない。
……だが、そうなると、先ほどの怖い人のモノマネも本物通りなのだろうか。いや、今のユリアのモノマネのように、実際に本人が言わなそうな台詞を言ったのかもしれないし、マネしたのは雰囲気だけかもしれない……雰囲気だけでも十分怖い人だったけれど。いやいや、その怖い人に関しては別にいいか。だって、俺が会う機会があるとは思えないし。
「…………あの、スイさん。私はそんな事、言ったりしないはずですよ。あんまり、そう言う事をずっと言うと、フジガサキさんも心配しちゃいますから、そのあたりで……あと、その頬もずっと摘まんだままだとフジガサキさんも困ると思うので……」
おずおずとユリアが指摘する。そう、これまでの間ずっと、スイは俺の頬を摘まんでいたのだ。特に痛くなかったから、ほっといたが、そろそろ放してほしいところだ。
「ユリアさん、ありがとうございます。そろそろ、新しい料理を頼みたいですし、スイさんも一旦席に戻ってはどうでしょうか?」
「んー。確かにもう少し何か食べたいね、お兄さん。よし、赦す。お兄さんのユリアと見つめ合ってた罪は水に流しちゃいます。ほっぺも返してあげよー」
満足そうに言うと、ようやく俺の頬から手を放し、席へと戻った。とりあえず、スイの気がすんだようで何よりだ。まあ、ユリアにだいぶ迷惑をかけてしまった気がするが……なんとなくユリアの方を見ると、彼女も示し合わせたようにこちらを見ていた。目が合うと、彼女は困ったような表情をしながらも、俺を安心させるように小さく笑った。言葉にはしていないが、なんとなく彼女の優しい気持ちが伝わってきたような気がした。
それから追加の料理を頼み、他にもスイが懲りずに酒を頼んだりした。スイや『フェムトホープ』の面々とも雑談をしながら、並べられた料理に舌鼓を打った。楽しく会話をしていると時間の流れも早く、気付けば夜も深く、店の閉まる時間になってしまった。名残惜しさを感じつつ、会計をすませ、店を出た。
「それでは私たちはこれで……フジガサキさんは明日から気を付けて下さいね。リデッサスはクリスクよりも独特の街ですから」
「そうだよっ。カイは調子に乗ってると危ないんだから、気を付けるんだよ」
「ガンガン稼ごう! あと今度会ったら魔術教えるよ!」
「北方は冷えるから体に気を付けて。特にこれからに季節は無理をすると体に響くわ」
ユリア、ルティナ、マリエッタ、アストリッド――『フェムトホープ』のメンバー全員から言葉を貰い、別れた。ちなみに、彼女たちは二次会へと突入するようだ。理由は、マリエッタが飲み足りない飲み足りないと残りの三人を説得したからだ。
『フェムトホープ』の面々と別れた後、夜道を歩きながら、なんとなく今日の宴会について考える。
良い宴会だったと思う。良い人ばかりだった事もあり、内気な俺でもだいぶ楽しく話す事ができた。料理も美味しかったし、旅立つ前の宴会としてはこれ以上のものはないだろう。敢えて心残りがあると言えば、ユリアともう少し話したかったという事だろうか。結局、上手く説明も弁明もできなかった。
まあ、皆楽しそうだったし、最後にはユリアも笑っていたように見えたから、そこまで気にすることでも無いのかもしれないが。
「お兄さん、お兄さん」
横を歩くスイが俺の腰を突っついてきた。