一章8話 異世界二日目 スイという少女
彼女が名乗った従士名とは何なんだろうと思いながらも、ルティナとともに魔法具店を出る。そして、店前の少し離れたところに立っている黒いローブのような服を着た少女に向けてルティナが声をかけた。
「スイ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
呼びかけられた灰色の髪の少女も、ルティナに負けず劣らずの美少女であった。ただ、ルティナと違う点を挙げるとするならば、ルティナの方がしっかりと服装や髪型を整えているが、この灰髪の美少女は黒いローブを着崩していて、ウェーブがかかった髪型も寝ぐせが入っているように見えて、なんだか少しずぼらな感じがした。あと、灰髪の少女の方がルティナより少し背が低い。
「ん~、なに、なに~?」
灰髪の美少女は気持ちよさそうに欠伸をしてから、ルティナに答える。
「こっちの人、カイって言うんだけど、駆け出しだから、『ラッツの守護屋』まで案内してあげて」
「ふむ、そっちのお兄さんかー。ふーむ」
興味深そうにこちらを見る水色の瞳に何となく圧されてしまう。何だろう……?
そしてしばらく俺を見るのに満足したのか、スイと呼ばれた少女はルティナの方を見て、ニヤリと笑った。
「どうしよっかなー。この後、私は予定があるからなぁー」
「え……? 無いでしょ」
悪戯気な表情をする美少女に対して、ルティナが困惑気味に言葉を口にする。
「あるよ~。この後はお昼寝する予定だよー」
「それは予定じゃないでしょ!」
「えぇ? 立派な予定なのにー」
「私は今日忙しいの! だから私の代わりにこの駆け出しがちゃんと『ラッツの守護屋』で装備を買うか見張ってて!」
うん? 行くとは言ったが、買うとは言ってないような……いや、まあ、金は余ってるし、品質次第では買っても良いんだけど。
「しょうがないなー。じゃあ、お兄さん。私がお店までご案内しよ~」
前半はルティナに、後半は俺の方を向いてスイがそう言った。
「ええっと、よろしくお願いします」
「うむうむ。では、早速行こうかー! お兄さん」
そう言うや否や、スイは俺の左の手首を掴み歩き出した。突然だったため、足が出ず、手首をスイに引っ張られる。いや、ちょっとまて、このスイって少女、物凄く力が強いぞ。引っ張る力が尋常じゃない。慌てて、こちらも歩き出し、手首を引っ張られないようにする。
「あ、あ、ええっと、ルティナさん、色々とありがとうございます」
スイの後を追いながら、顔だけ振り向き、最後にルティナに感謝を伝える。
「遺跡は危険だから舐めないようにね、カイ」
言葉と共にルティナはこちらに手を振ると、俺たちとは反対側の道へと消えていった。
一方俺は、20歩くらい歩いたところで、一旦足を止めてみた。スイは足を止めないため、自然と手首が引っ張られる。やっぱり凄い力だ。この少女、どう考えても見た目に合わない力を持っている。
「ちょ、ちょ、スイさん。スイさん。手首、放してもらってもいいですか」
「ええ~、いいじゃん……もしかして、照れてるの? お兄さん」
こんな美少女と一緒に歩くのは一般的に言えば、確かに照れることだと思うのだが、今はどちらかと言うと、焦りと僅かな恐怖を感じている。何て言うんだろう、ゴリラに手を掴まれたらちょっと怖いって感じだろうか。いや、ゴリラがどのくらいの握力か知らないけど。
「いや、そうじゃなくて、ちょっと引っ張る力が強いかなって」
言葉を発しながらも、俺は右手も使い、スイの手を放そうとするが、固い。そして、俺の必死の行動を気にせずに、スイは歩き続ける。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ちゃんとお兄さんの歩く速さに合わせて歩いてるでしょー。私、こう見えて、気遣いが上手いってよく言われるんだー」
気遣いが上手いなら、一旦手首放して欲しいのだが……
「スイさん。ちょっと、一旦、手を放しましょう」
俺の言葉を聞いたスイは一旦歩くのを止めた。ただし、俺の手首は掴んだままだ。
「うーん? そんなに強く握ってないから痛くないと思うけど……痛かった?」
スイは不思議そうに首をかしげている。確かに痛くはない。不思議な事だが、引っ張る力は強く、握っている手は固いため全く解けないが、手首を掴む力は普通だ。ある意味、力の調整がとても上手いのかもしれない。いや、真に上手いのなら手首が解けないということは無いのだが。今だって、というか、スイが止まってからずっと、スイの手を俺の手首から放そうと努力しているのだが、まったく解けない。
「いや、なんか、こんなに力強いとちょっと不安になるので」
懸命に努力する俺を見て、スイは不思議そうな顔を作った。
「私、お兄さんに嫌われるようなことしたかなー? あれ? さっき店の前で会ったのが初めてだよね。もっと前でどっかで会ったりしてたかな? 恨みとか買ってたりするー?」
「いや? スイさんとは初対面ですよ」
話ながらも、スイの固く結ばれた右手を崩そうとする。駄目だ! 固い! 本当なんだこの少女の力の強さ。
「そうだよね~。お兄さんは結構反応が特徴的だし、前会ってたら覚えてるはずだよねー。じゃあ、何でこんなに必死なの?」
不思議そうな顔をしながらスイが問いかける。
「え? いや、だから力強いと不安になるから……ですかね?」
「ううん? 歩く速さはお兄さんに合わせたから引っ張られないし、痛くないように握ったけど……? お兄さん、人と触れ合いたくない人?」
いや、さっきから、なんで『力強い』のところをスルーするんだ?
「いや、だから、力強いっていうところが気になるんですが」
「んー? んん。ああ! そういう事か~。なるほど、なるほど。なら、これでどうかな? お兄さん」
そう言うと、スイは一度、掴んでいた俺の左の手首を放し、そして素早く、今度は俺の左手を握った。いや、根本的に変わってないような……
「えっと? これは?」
「いや、お兄さんが嫌なのって、『手を繋ぐこと』じゃなくて、『引っ張られるかもしれないこと』だよね。力も弱めたし、いつでもお兄さんから放せるようにしたよー。これなら安心できるかな?」
試しに、左手をスイの右手から放してみる。放せた! 力が強くない! おお、ついに! 俺が謎の達成感を感じていると、スイが呆れたように口を開いた。
「うーん。やっぱりお兄さんって人と触れ合いたくない人?」
いや。嫌と言うほどでもないが……まあ、美少女と手を繋いでたら、緊張はするけど。
「別に嫌ではないですが」
俺の言葉を聞くと、スイは僅かに苦笑した後、右手を差し出した。今度は掴んではこない。
「それなら、今度はお兄さんから、繋いでもらおうかな~」
少女の悪戯気な態度に、俺も思わず、笑いが零れた。僅かに感じた不安をかき消し、左手でスイの右手を軽く掴んだ。
「よし。それじゃあ、今度こそ、『ラッツの守護屋』目指して行こっか。お兄さん」
そうして、そのままスイと一緒に歩き出した。やっぱり少し恥ずかしかったかもしれない。