一章72話 お別れ会①
太陽が沈み始め、日没の時間となるころ、俺はクリスク聖堂の『ヘルミーネ礼拝堂』の前へと来ていた。
こちらの世界にきてから、ほとんどずっと通っていた場所だが、いつもと来る時間帯が違うからか、なんだか雰囲気も違って見えた。いつもは朝日に照らされていたが、今は夕焼け特有の色を帯びている。構造美については分からないが、そんな俺でもこの礼拝堂に関しては美しいというのはなんとなく分かる。朝日を浴びていた姿も美しかったが、夕焼けの赤の中にある姿もまた独特の荘厳さを醸し出していた。
この『ヘルミーネ礼拝堂』に来るのも今日で最後だ。なぜなら、明日の早朝にはクリスクを去り、乗合馬車でリデッサスに向かうからだ。朝の礼拝をする時間はない。ちなみに今日の朝そのことをスイに告げたら、頬を膨らませて抗議してきた。
彼女の不満を鎮めるべく話をしたところ、明日の朝の礼拝に出ない代わりに、日没の礼拝の後に『ヘルミーネ礼拝堂』にくるように言われた。どうも、礼拝堂からお別れ会をやる店――『キーブ・デリキーエ』までエスコートせよとのことだ。まあ、俺が選んだ店なので、案内をするのはある意味自然なので、特におかしな要求ではなかった。
夕焼けに染まる礼拝堂を見ながら、十数分が経過すると、中からひょっこりとスイが灰色の髪を揺らしながら現れた。
「おー、お兄さん、もう来てたんだ。早いね~」
「ええ、まあ。スイさんは日没の礼拝の方は?」
本当に礼拝をしていたのかは知らないが、名目上は今の時間は日没の礼拝の時間なので、尋ねておく。日の沈み具合からすると、たぶんユリアはまだ『ティリア礼拝堂』で祈っているだろうけど。
「終わったよー」
少し気の抜けたような顔でスイが答えた。どうやらユリアたちとは異なる時間で彼女は礼拝を行っているようだ。いや、まあ、のんびりと昼寝してたかもしれないが。
「それなら良かった。では、行きますか?」
「うん、行こうかー」
そう言うと、スイは俺の左手を握ってきた。
「えっと……?」
「んー? 何かな、お兄さん」
「いや、手……」
「美味しい店に連れて行ってくれるんでしょー。ほらほらっ、お兄さん。出発だよー。はやくっ、はやくっ」
スイがこちらを急かしてきたので、しょうがなく動き出す。左手に暖かさを感じながらも聖堂を出て大通りの東側へと進んで行く。
そうして、隣を歩くスイと雑談をしながらも、なんとなく、この数日間に起きた事を思い返す。といっても大したことは起こっていない。旅の準備をし、乗合馬車の予約をした後の数日間は平穏に過ぎて行った。特に遺跡に潜ったりすることはなく、日々スイの相手をしたり、ユリアと図書館を見て回ったりと言った感じだ。
まあ、気になったことを挙げるとすれば、それはスイとユリアの二人にかなり引き留められた点だ。会うたびに、北方遺跡群に行くのはもう少し後にした方がいいとか、クリスクでやり残したことは無いかなどなど、色々と言われた。特にスイに関しては、隙あらば俺のリデッサス行きを妨害しようとしてきた。まあそれは逆に言えば、それなり以上に好意的に思ってもらっていたと見ることもできるので、少し複雑な気分であったが、今はリデッサスに行きたいという気持ちを優先した。
その他の事としては……ああ、一応ギルドで北方遺跡群の採取物に関して少し目を通しておいた。現在手持ちの採取物――本来ならばクリスク遺跡の中層から深層で入手できる数々のもの、それが北方遺跡群でも入手可能かどうかを調べたのだ。
理由としては、北方遺跡群に到着後ギルドで売却しようと考えているからだ。今、手持ちの採取物は結構量があり、階層もバラバラなのでクリスクで一斉に売ってしまうのは少々問題がある。貴重素材を持ちすぎだという問題だ。実験の成果としては上出来だったが、普通に考えてこんなに持っているのはおかしいし、ギルドも俺の事を変に思うかもしれない。だから、今のところは特にしがらみが無い北方遺跡群で売ってしまおうと思っている。
北方遺跡群のギルドはクリスクのギルドよりも遺跡の採取物の取引量が多いと思われるので、たぶんクリスクよりも売却物が色々な意味でまぎれやすいはずだ。それに俺のこともたぶんクリスクほど知られていない。というか北方遺跡群では無名のはずだ。そのため売却場所としてはかなり良いと考えている。
勿論、そもそも北方遺跡群の七つの遺跡からは入手できないものを売ってしまうとそれはそれで不自然なので、事前に、今、俺が持っているクリスク由来の採取物が、北方遺跡群でも取れるか確認したのだが……結果は上々。全て北方遺跡群で入手可能なものだった。
手持ちの希少品を金貨に換える算段を思い返していると、隣を歩くスイが不満そうに唇を尖らせた。
「お兄さん。お兄さん。ちゃんと聞いてるのー? 適当に相槌打ってない?」
「ああ、えっと。そうですね。すみません、ちょっと、別の事考えてました。すみません」
「むー。ちゃんと聞かないとダメだよ。今は私とお話してるんだから、考え事なんかしないでよー。スイちゃんに集中してよー」
なるほど。確かにそうだ。雑談とはいえ、会話の最中に別の事に意識を向けすぎるのは良くないし、ましてや、相手がしばらく会えなくなってしまうのならば猶更だ。
「すみません。集中します」
「うむうむ。よろし~」
それからはスイに意識を集中しながら、話し歩いた。雑談をする機会は沢山あったが、街を歩く機会はあまりなかった。防具を選んでもらった時くらいだろう。
今思えば、少し不思議だ。贖罪日であれ程までに神秘的で美しく、人目を集めた美少女だが、街路に出てみると、特に注目を集めている様子は無い。服装を崩しているからだろうか、それとも贖罪日のような神秘性を感じないからだろうか、美しさに関しては贖罪日の時とそんなには変わっていないはずだが、周りの人たちはスイのことを贖罪日の聖導師とは思わないようだ。それが、少し不思議だった。
「それで、それでー、司祭様が、『もう少し早く起きませんか』って言ってきたんだ~。だから、私はそこでこう返したの。『いやいやー夜遅くまで主に祈りを捧げてたからね~』。いつもならこれで終わりなのに、その日、司祭様ったら狡くて、なんとユリアを連れて来たんだよ~。狡賢い司祭様だよー、きっと教会での出世の為に敬虔なスイちゃんを、みだりのユリアと組んで嵌めようとしてるんだよー。ねー、お兄さん」
そう言って、スイはくすくすと笑った。いや、別に不思議でもないかもしれない。だって、今は神秘性とかまったくない、ただのサボリ聖導師なのだから。これでは周りが気付かないのも当然と言える。