一章68話 三層
今日は三層へ突入する日だ。
準備は既に済ませてある。精神的にも肉体的にも問題はない。朝の礼拝も済ませた。
昼過ぎにギルドへ向かい、探索者たちが低層から戻ってくるのをいつものように確認する。うん、特に異常は無し。
買い取りカウンターの人混みが少なくなったあたりで、ギルドを出て遺跡へ向かった。
遺跡の入り口も昼組が戻った後なので閑散としている。入口から一歩踏み出すと、こちらの世界に来て何度目かになる『感覚』が響いた。最近この感じにも慣れてきた気がする。
『感覚』に従い、一層を速足で探索し、希少品を回収する。今回は、以前二層で見かけた『フェニルス』が四株だ。二層で見かけた際は三株だったので、やはり発見層と希少品には因果関係はあまり無いのかもしれない。まあ、一層と二層の判定が同じで、三層以降になると入手できるものも変わるかもしれないが。
二層に降りる階段の前で、バックパックからアミュレット、スクロール二種を取り出し、それぞれを身に着ける。準備が整うとともに階段を降りる。そして本日二度目の『感覚』発動。『風刃のスクロール』を片手に持ち、警戒しながら、『感覚』に導かれて目的地へと向かう。
十五分ほどで魔獣に遭遇することなく目的地へと到着する。落ちていた『トーライト鉱石』を拾う。結構大きい塊だ。触った時は少し重く感じたが、バックパックに入れると、殆ど重さを感じなくなった。『軽量化のバックパック』の力は偉大だ。まあ、ルティナに絡まれる原因になったりもしたが……
地図を確認し、三層へ降りるための階段へと慎重に向かう。昼組が狩った後なので、滅多に遭遇しないとはいえ、二層は一層とは違い魔獣が出る。なので一層のように速足で移動はできない。『風刃のスクロール』を片手に少しずつ移動し、四十分ほど経過したところで三層へと続く大階段を見つけた。一層と二層を繋ぐものも大きかったが、これも同じくらい大きい。
少し緊張しながらも、階段を少しずつ降りていく。そして降りきったところで『感覚』が発動した。ふう。三層でも『感覚』がちゃんと発動したようで何よりだ。まあ、一層と二層で何度も実験し仮説を立てていたので、恐らく発動するとは考えていたが……おっと、安心感に浸っているのは良くないな。消失現象もあるし、早めに『感覚』の目的地へと向かおう。
『風刃のスクロール』を片手に、時折地図を見ながら前進する。音を立てないようにゆっくりと移動し、僅かな音にも反応できるように耳を澄ませる。曲がり角などは特に注意して、ゆっくりとまずは顔だけ出して角の先を確認する。
ニ十分ほど歩き、あと少しで目的地というところで、魔獣を発見した。黒い豚のような外見。以前二層で見つけた魔獣、ダンタルトだ。こちらには気付いていない。特有の唸り声を上げながら、ふらふらと動いている。このダンタルトのすぐ近くを通らなければ目的地へは行けない。当然、すぐ近くを通ればダンタルトはこちらを攻撃してくるであろう。以前のようにダンタルトが去るのを待つのも手だが、それをすると、消失現象が発生し、目的地にあると思われる採取物は消えるだろう。
……うん。そろそろ、魔獣との戦闘を経験するべきだろう。装備の面では十分に有利だし、それにダンタルトというのも相手としては良い。一度見たことがあり、戦うことを考えた相手なので、小心者の俺でも今度は勝てそうだ。
『風刃のスクロール』を構える。目測で70メートルくらいだろうか。いや、まあ、こういう距離感って当てにならない気がするので、実際はもっと近いかもしれないし、遠いかもしれないが……あ、駄目だ思考が乱れる。集中、集中。強い意志で目標を定めて、右手で抑えたスクロールに左手を添える。ダンタルトが揺れ動く、偏差射撃はしない。ダンタルトが動く、止まった時を狙う――今!
ダンタルトが止まったと同時に、勢い良く左手でスクロールを開いた。突風が吹いたかのような轟音。そして強い反動を両手に感じる。何かを切り裂く音がして、続いて、どさりと質量があるものが倒れる音。『風刃のスクロール』のよって生まれた風属性の『刃』の魔術はダンタルトを半分に切り裂いた。
倒れて動かないダンタルトを見ながら、油断せず、予備の『風刃のスクロール』を向ける。しかし、いや、当然ながらダンタルトは動くことはなかった。半分に裂かれているからだ。俺は数十秒ほど、待機したあと、『風刃のスクロール』を構えながらゆっくりとダンタルトに近づく。
『風刃のスクロール』をダンタルトに向けながら、状態を確認する。当たり前だがピクリとも動かない。切り裂かれた断面からは大量の黒い体液が流れ出て、辺りを汚していた。少し心がざわつく。
たぶんだが、死んでいる。いや、違う、間違いなく死んでいる。生気がないし、ピクリとも動かないし、何より体が半分になってる。これで生きていたら怖すぎる。
しかし……まあ、何と言うか、思ったより、あっけなかった。精神的にも、技術的にも。
いや、精神的といっても、今回はこちらから奇襲で一方的に倒したから、精神が試されるような状況ではなかった気もするが。
勿論、豚っぽい見た目の生き物を殺めるのに抵抗を感じるかというのもポイントだが……まあ、それは前の世界でも虫とかよく殺してたし、その延長と思えば……あ、でも哺乳類は殺したことは無かった気がする。というか、直接殺した生き物は虫くらいだから鳥類や爬虫類とかも殺してないな。
実際、ダンタルトが動かなくなった時は、なんか少しぞわりとしたものを感じたから、ある意味あれが生命を殺す抵抗感だったのかもしれない。まあ、生命といっても魔獣は遺跡でどんどん産まれてくるので、地球で定義された生命とはかなり違うと思うし、行動様式も人間を襲いまくるみたいだから、あんまり重く考えることではないと思うが。それに今後も遺跡を深く潜っていくなら、魔獣を攻撃する機会はあると思うので、多少は慣れていく必要があるだろう。
まあ、逆に完全に慣れる必要は無くて、たとえば、可愛い兎型の魔獣が出たら、たぶん攻撃できないので、そのときは放置しよう。俺は俗で感情的な人間なのだ。
技術的には、『風刃のスクロール』の威力を考えれば当たれば一撃だから、当然といえば当然か。ちょっと攻撃力が活動層に対して過剰かもしれないな。いや? まあ、命中しなければ意味無いし、別に過剰でも無いか。
ダンタルトの死体は放置し目的地へと向かった。遺跡に放置した死体は少しすると遺跡に吸収されるらしい。まあ、多くの探索者は死体から得られるもの、皮や骨、肉、臓器、血などの様々な価値あるものを回収しギルドで売却するのだが……俺は魔獣の解体とかは技術的にも精神的にもできる気がしないので放置した。殺せても、内臓とか見れない。なんか怖いし苦手だ。
そんな事を考えながら歩いていたら、目的地へとたどり着いた。そこには光輝く宝石が一つ落ちていた。『コクセニック』という十九層由来の石だ。
『コクセニック』は融点が低く、高温で崩れやすいが、美しい色合いから寒冷地では装飾品として利用されることがある。また伝承によると、魔獣を遠ざける効果があると言われており、一部の地方ではお守りとしても利用されているらしい。
『コクセニック』を回収し、一度二層へと戻るための階段に戻る。今度は何にも遭遇することは無かった。一時間ほど時間を置き、二層のクールタイムを待った後、階段を使い二層へと戻る。階段を昇り切ると再び『感覚』が発動した。クールタイムの法則はこの十日間でだいぶ研究したので自信はあったが、改めて『感覚』の発動を確認できると安心する。自分の能力が少しずつだが理解できるようになっている気がするからだ。
二層でも希少品を入手した後は、素早く一層と二層を繋ぐ階段へと向かう。三層から二層に戻った時点で二層のクールタイムと一層のクールタイムの両方がゼロになっているはずだからだ。そのため、今度は待つことなく一層に戻れば『感覚』が発動するはずだ。そして、俺の想像通り、一層へと昇り切ると再び『感覚』が発動した。本日五回目の『感覚』に従い、またしても希少品を入手する。
ふと思ったが、三層で転移結晶を使用し遺跡の外に出て、それから一層に入った方がクールタイムの時間を短縮できる気がする。まあ短縮できるのは一層を探索して二層に降りるまでの時間だから、せいぜい30分くらいだが……将来的に四層、五層と踏み込む場合はより短縮できる時間が大きくなるので、アイディアとして考えておこう。というか各層の探索時間を考えると五層とか六層になったらクールタイムの時間を待つことなく探索できるそうだな……
手順としては、一層から各層を探索して六層まで行く、転移結晶を使って遺跡を出る。二層から六層まで探索に使用する時間で一層のクールタイムは終えるので、一層に直ぐ入れる。その後二回目に一層を探索している間に二層のクールタイムが終える。そして六層まで探索したら再び転移結晶で遺跡を出る……と、こんな感じにループできそうだ。
まあ、体力の限界もあるし、そこまでして詰めなくても金も時間も余裕があるし大丈夫だと思うが……まあ、『感覚』が、たとえば時限式で使えなくなるとかなら、やる意味はあるかな? たとえばそう、こっちの世界に来て一年したら使えなくなるとか、あと逆に特定の時期になると遺跡の危険度が上がり探索が困難になるとか、そういうことがあるなら、今考えた無限ループ式遺跡攻略は意味があるかもしれない。まあ前者は確かめる手段が現状ないし、後者は俺が遺跡について浅く調べた感じでは無さそうではあったが。
時間も結構経ってしまったので、一度ギルドに戻り植物系の売却を行う。今日の上がりは金貨40枚と少し。あと他にも『コクセニック』をはじめ『トーライト鉱石』など非植物系の素材を多数入手した。これらは売却しなかったが、もし売却すればかなりの金貨を得られるだろう。ただ、あんまり同じところで短期間に売却しすぎるのは良くないので、少しずつ売却するか、または別の街で売るのが良いだろう。
売却後、夜組が帰還し始めるのを尻目に宿屋へと向かった。自分の借りている部屋に入り、バックパックを開け、中にある素材を、今まで集めた素材とともにまとめる。普段なら、この後、もう一度突入するところだが…………今日は初戦闘もあったし、これで探索を終わりにしてもいいだろう。
正直な話、まだちょっとダンタルトと戦ったことためか、気分がいつもと違う気がする。こういう平常ではない時に危険なことをするのは良くない。まあ、今まで遺跡で危険らしい危険に遭遇したことはないが……いや、偶々運が良かっただけかもしれないので、やはり止めておこう。
宿を出て、遺跡の後の定番になっている『キーブ・デリキーエ』へと向かい夕食を取った。ひさびさに夕方に行く事ができたので、相席を頼むことなく入ることができた。まあ、入店後30分くらいで、マリエッタが店に入ってきたので、結局二人でテーブルを囲むことになったのだが。
マリエッタと夕食を食べたあと、再び宿へと戻り、今日のことを振り返る。
全体的にはまずまずの成果だったと思う。
まず『感覚』の調子は変化はない。三層に行っても問題なく使える。特に能力に陰りが見えたり、なんてこともない。
次に初めての実戦だが、意外とあっけなかった気がした。まあ、『風刃のスクロール』の性能が階層に比べて圧倒的なので、なるべくしてなったと言った感じだろうか。
『風刃のスクロール』も初めて使用したが、これも思ったより使いやすかった印象を受けた。いや、まあ、手に持った時から取り回しが良いので使いやすいとは思っていたが、なんとなく実践だと使いにくかったりするのかなと思っていたのが杞憂に終わっただけなのだが。敢えて問題点を挙げるとすると、使用時にそこそこ反動があるので、両手でしっかりと固定して使う必要があると思う。たとえば、何かを片手で持っているという状況で使うのは難しそうだ。
あとは、三層そのものについてだが……まあ、まだ一回軽く入っただけなので、決定的な事は言えないが、二層に似ている気がする。魔獣はいるが、物凄く沢山いるという感じではない。時間が午後なので、昼組が探索した後だからというのもあるだろう。それとこれは余談になるが、今回だけに限らず、今までの探索全てで『感覚』発動時を除き、何らかの素材を遺跡で見つけたことはない。たぶん低層は昼組が全て回収するので、午後に残っていないのだろう。
さて、今後の予定だが少し方針を変えたいと思う。具体的に言うと、ぼんやりと考えていた北方遺跡群……そこに行ってみたいと思う。
大きな理由としては寒くなってきたからだ。冬寒い中、あまり行動したくない。なので、秋のうちに稼いでおきたいのだ。そして、稼ぐならば『北方の富の集約点』とまで言われている北方遺跡群に行ってみたい。おそらくクリスク遺跡よりもさらに効率良く稼げるだろう。なので、さっさと秋のうちに北方遺跡群に行って、冬が始まるまでにクリスクに戻り、春が来るまで、ぬくぬくしてようと思っている。まあ現状の資金でもそれは十分達成できると思うが……心配性なので、もう少し稼いでおきたいのだ。
また北方遺跡群では以前から考えていたように能力検証も行いたい。あ、いや、どちらかと言うと、こっちが本命かもしれない。クリスク以外でも通用するのかとか、色々と実験をしてみたいのだ。『感覚』についての情報を増やし、それと同時にお金を稼ぐ。
他にも今持っている余分な素材の売却を行ってもいいかもしれない。勿論、今俺が持っている素材が北方遺跡群で手に入るものかをちゃんと確認してからになるが。もし北方遺跡群で手に入らない素材をわざわざ北方遺跡群のギルドで売却したら変に思われてしまうからだ。
まあ、こんな感じで北方遺跡群に向かおうと思う。とりあえず移動手段の確認と荷造りの準備と、あとスイにはしばらくクリスクを離れるから朝の礼拝に出れなくなると伝えなければいけないな。それと、ユリアにも街を離れるときに教えて欲しいと言われたから、一応伝えておこう。
うん、クリスクを離れるとなると、知り合いがいなくなるな……少し寂しいが、まあ、北方遺跡群で上手くいっても上手くいかなくても、冬が来るまでにはクリスクには帰ってくると思うから、そこまで心配する事でもないか?
よし。明日からは、のんびりと旅支度でもしていこうかな。