一章58話 過ぎ行く日々
二層に初めて突入してから十日が経過した。その間に三度、二層に潜り実験を行った。実験は昼組の活動後に行っている。この三度の実験では『感覚』に対して新しい情報と疑問、そして成果物による報酬を得た。
まず大事なこととしては、まだ、『感覚』はちゃんと使えるということだ。現状、上限には達していない、または上限は存在しないようだ。
能力の発動条件に関しては、『層を跨いだ時』で問題なさそうだ。
また、『感覚』は層毎に独立していることが分かった。たとえば一層に入って『感覚』が発動した時、それを無視して二層に行くと二層で『感覚』が発動し、一層のものが消える。ちなみにこの時再び一層に戻ると、二層の『感覚』が消え、再び一層の『感覚』が蘇る。感じる方向からして、新しく生まれたのではなく、最初に一層に入った時の反応が蘇っている。
そして、恐らく独立したクールタイムを持っている。一層や二層にその日初めて足を踏み入れた時は必ず発動するが、採取物を回収するまたは後述する消失現象により『感覚』が一度消えてしまうと、その層では再度『感覚』が発動するにはクールタイムを要する。
肝心のクールタイムの時間に関してだが……ここは少しあやふやで、恐らくだが可変だ。何度も一層と二層を往復して気付いたのだ。最初は時間をかなりとって往復すると、ほぼ確実に『感覚』が発動することに気付いた。
そこで、時間を狭め、クールタイムの精確な時間を掴もうとしたが、どうも、乱数でもあるのか、ある一定時間以下では発動したりしなかったりした。とりあえず、分かったのはクールタイムは長くても二時間ということだ。つまり二時間間隔を空ければ何度でも発動するということだ。
たとえば、一層に入り希少品を回収、その後二層に入り回収し、二時間ほど二層で待機し、再び一層に戻ればまた『感覚』が発動する、そしてそれを回収し、また二時間待ち二層に戻れば、また『感覚』が発動する。待ち時間は長いが、一度の探索で何度も発動できることがわかった。これは非常に大きな情報だ。
また他にも大きな情報がある。それは消失現象だ。これは本当に驚いた。
どうも、『感覚』が発動した後、それを放置すると、放置した希少品は遺跡の中に取り込まれてしまうようだ。
謎の『ペクトーンクリスタル』の消失の件が気になった俺は、一度『感覚』が発動した後に希少品を回収せずにずっと眺めていたら、ある時『感覚』が消え、そして目の前にある希少品がゆっくりと遺跡の床に飲み込まれていったからだ。十数秒後には綺麗さっぱりと希少品が無くなっていた。ちょっと怖かった。
しかし、これで謎が解けた。『ペクトーンクリスタル』は俺が採取道具を買いに行っている間にこんな風に跡形も無く消えてしまったのだろう。この消失現象はもったいないのでまだ一度しか実験してないが、『感覚』発動後一時間くらいで発動してしまうようだ。
それと採取物の法則性に関してはまだまだ分からない。というか、ランダムなのかもしれない。一時は貴重性が下がっているのかと思ったが何度も一層と二層の往復をするうちに、二十層クラスの希少品も出て来た。そのため単調減少ということは無さそうだ。
やはり最初の一回、『ルカシャ』の時は特別だったのかもしれない。理由は分からないが。
能力に関してはこんなところだ。あと遺跡に関して言うと魔獣だろうか。三度の二層潜りで、かなり二層も巡ったのだが、魔獣に遭遇することは無かった。どうやら、昼組の活動により多くは討伐されているようだ。あの時が遭遇したのが特殊だったのだろう。
そう考えると、魔獣対策で金貨を消費したのは少しもったいなかったかもしれない。まあ、二層準備のために消費した金貨は、三度の実験により得た希少品の売却で十分以上に取り返してはいる。なぜかと言うと、実験過程で一層と二層を何度も往復したので、そのたびに『感覚』が発動し、大量の希少品を得たからだ。まだ半分程度しか売却していないが、それだけで、二層準備費用の他にも、これまでのクリスク滞在に使う宿代や飯代も回収できた。
この成果は経済的には非常に満足だ。たった三度の探索で二十日以上の生活費になるのだ。労働効率として考えると素晴らしいと言える。
しかも、まだこれは実験の副産物に過ぎない。これから、さらに『感覚』の理解や遺跡探索の効率化が進めば、より多くの経済的な価値を生み出せるだろう。そして、その価値は、こちらの世界における安全や安定を維持することができる。
さらには、将来的には、この世界で何かやりたいことを見つけた時に富というものは役に立つだろう。現状では、特別にやりたいことは無いが、生きていれば人生の中で『これは!』と思うような事があるかもしれない。その時に手元に金があれば、何か役に立つかもしれない。まあ、今はとりあえず安全で安定な暮らしのための金としよう。
遺跡に潜った事以外ではあまり変化はない。とはいえ、日課となりつつある事は日々こなしている。つまりスイとの朝の礼拝は欠かさず行っている。
たとえばこの前、こんな事があった。