一章35話 異世界六日目 朝の礼拝④
朝の日射しを浴びながら少し急ぎ気味に教会へと向かう。こちらの世界に来て六日目の朝だ。そして教会に向かうのは三度目となる。数えてみると、結構な頻度で教会に通っていることになる。我ながら少し意外だと思っている。前の世界では、宗教とは無縁の生活だった。いや、クリスマスを祝ったり、葬式をしたりもしたから、完全に無縁というわけではないが、信仰心という意味では無縁と言えたと思う。まあ、信仰心という意味なら今でも無縁かもしれないが……
道すがら出店で買った串焼きの肉を口に含む。味がしっかりしていて美味しい。適当に出店で買った物だが、なかなか当たりだったようだ。ちなみに、なぜ串焼きを食べているかというと、単純に少し寝坊したからだ。朝食を食べずに宿を出て、出店で串焼きを買い、それを朝食代わりにしながら教会へと駆けたのだ。
急いだ甲斐もあって、なんとか8時前には教会の門の前まで来ることができた。この門は、何度見ても、大きく堅牢な見た目をしている。そのまま門をくぐり、『ヘルミーネ礼拝堂』へと向かう。昨日も思ったが、『ヘルミーネ礼拝堂』へ近づくにつれ人がいなくなるのが不思議だ。
「お兄さん。おはよー」
こちらに手を振りながらスイが挨拶をした。水色の瞳は眠そうで、今日も欠伸をしている。そして黒いローブを着崩しているし、ウェーブのかかった灰色の髪には寝癖が混じっているようにも見える。相変わらずのようだ。
「おはようございます。スイさん」
挨拶を返し、素早く串焼きの残りを食べようとするが、それよりも早くスイが俺の手を掴んだ。
「お兄さん、それは何かな~?」
興味深そうにスイは串焼きを見た。
「串焼きですね。さっき出店で売ってたので……あ、すみません、聖堂の敷地内は飲食禁止だったりします?」
一応、屋外ではあるので大丈夫かなと思ったが、教会の敷地内なのでダメだったかもしれない。しまったな。
「その串焼き美味しそうだな~、私も食べたいな~」
しかし、俺の予想は外れた。どうやらスイは俺に飲食を注意したかったわけではなく、純粋に串焼きに興味があったようだ。
「えっと、食べかけのこの一本しかありませんが……」
「スイちゃん関税です……! お兄さんが食べ物を食べるときは、私に一部を献上しないといけません。これはルールです……!」
そう言うとスイは力を込めて、俺の手から串焼きを奪った。強引である。
「なるほど……? もし不味いものでも一部を渡した方がいいですか?」
非難というわけではないが、気になったことを聞いてみる。
「不味いものはいらない……!」
きりりとした表情でスイが答えた。そして一度にやりと笑みを浮かべて、うずうずと言った感じで串焼きの肉を口に含んだ。
「もぐもぐ……うむうむ……もぐもぐ……うむうむ……美味い……!」
口を動かしながらもスイは嬉しそうな顔をした。どうやら気に入った味のようだ。
串焼きを美味しそうに食べ終えると、スイはわくわくとした表情で俺を見た。
「うむむ、美味い、美味い。お兄さん、私に隠れてこんなものを食べていたとは……! けしからん……! けしからん……!」
そして嬉しそうに俺の事を非難し始めた。串焼きがだいぶ気に入ったのかもしれない。
「隠れてはいないと思います、それに、これを食べたのも今日が初めてだったかと……」
「うむうむ。次に食べるときは私と一緒に食べようね~」
「はい、そうですね」
にこやかなスイに応えつつも、少し気になることがあり、視線がそこへと向いてしまう。スイの口元に肉のタレが付いているのだ。たぶん急いで串焼きを食べたからだろう。どうしよう。何か気になる。指摘するべきだろうか?
しかし、数秒とせずに、スイは俺の視線に気づいたのか、一度目をぱちくりとさせた後、指で口元のタレをすくった。そして、ぺろりと指を舐めた。
俺は何となくそれを無言で見ていると、スイが口を開いた。
「お兄さん、何か文句でもあるのかね?」
「あ、いえ……えっと、次食べる時は一緒とのことでしたが……ええっと、好きな味とかありますか?」
咎めるようなスイの視線を前に俺は話題を切り替えることにした。
「うむ? そーだな~、それならお兄さんが食べるのと同じ味のが食べたいな~」
「ああ、なるほど、分かりました。今度買う機会があったら、自分の分とスイさんの分の二つを用意しますね」
「うむむー、よきにはからえ~」
スイは満足気に笑うと、少し嬉しそうな足取りで礼拝堂の扉の前まで歩いた。
「それじゃあ、お兄さん、寒いから、早く中に入ろっか」
そう言って彼女は、礼拝堂の中へと入っていく。俺も彼女に続き中へと入る。内部は暖かかった。昨日と同じようにスイが聖なる術を暖房代わりに使っているのだろう。
「そうそう、お兄さん用に椅子をちゃんと用意しておいたよ~」
前を歩くスイが振り返りながら、そんな事を言い出した。邪悪な笑みを浮かべている。そんな笑みも美少女故に可愛らしいのだが……今までの言動からすると、不安になる言動だ。
「どんな椅子ですか……?」
俺が足を止めると、スイは俺の背後に回り込んだ。
「構えなーい、構えなーい」
そう言いながら、俺の背中を押して、ステンドグラスの光が当たるところへと導いていく。相変わらずの力の強さだ。足で踏ん張ろうとしても、簡単に押し出されてしまう。
そうして押し出された先に1つの椅子が置いてあった。しかし、それは非常に歪な形をしていた。
「昨日話してた『審問椅子』だよー。お兄さんが座りたそうだから、用意しました~。座ってみる?」
椅子には針がびっしりと設置されている。ハリネズミみたいな椅子だ。滅茶苦茶痛そうだ。
「いや、ちょっと、これは無理ですね。というか、これ、絶対怪我するやつじゃないですか」
「まあまあ、そう言わずそう言わず~。座ればお兄さんの眠気もばっちり覚めること間違いないよー」
スイは手を俺の背中から肩へと移動させると、そのまま無理やり俺を歩かせ歪な椅子の前へと立たせる。
「いやいやいやいや、ちょ、ちょ、ちょっと、これはやばそうなやつなんで。ちょっと無理ですよ。無理ですよ」
抵抗するが、スイは片手で俺を押さえつけた。相変わらずだが、化物みたいな身体能力だ。
「またまた~、照れちゃって~」
「いやいやいや、これ絶対痛いやつなんで」
俺が嫌がっているのをようやく察したのか、スイは拘束を解いた。慌てて、彼女と距離を取る。
「そういう反応するから、ついつい私も頑張っちゃうんだよね~」
「頑張る……?」
「いやー、拷問室にあったの取ってきたんだけど、司祭様に気付かれちゃってー、色々言い訳してようやくここまで持ってこれたんだよ~。私の頑張りを褒めてほしいなー」
「俺の立場からすると、ちょっと褒められないですね」
「えー。お兄さんも冗談だってわかってたでしょー。こんなに頑張ってジョークグッズを手に入れたのに~」
「拷問室にあったものをジョークグッズ扱いするのはスイさんくらいでは」
「んー。実はそうでもないんだよね。この審問椅子なんだけどさ、実は座っても痛くないみたいなんだよ。座ってみる?」
「いや、無理かと。というより、これは絶対痛いと思いますが」
「そう見えるんだけどー、いや、これ座ってみると分かるんだけど、針刺さんないんだよねー。ほら、こんな感じに」
そう言ってスイは手に持っていたパンを椅子の敷き詰められた針の上に乗せた。パンは針に刺さることなく、針の上で静止した。待て、今、どこからパンを出した……? さっきまで手に持ってなかったし、手をポケットに入れるようなそぶりも無かった。なのに、気付いたらスイはパンを手に持っていたのだ。おかしい……
「ほら、こんな感じ。だから、お兄さんが座っても大丈夫だよー。座ってみない~?」
「いや、あの、パン。パンどこにあったんですか?」
「え~? 最初から持ってたよー」
いや、持ってなかった。気付いたらスイの手にあった。
「いやいや、持ってなかったですよね」
「そっちじゃないよーお兄さん。そんなことはどうでも良いことだよー」
「いやいや、パンの方が気になります。さっきまでなかったですよね。どこから出したんですか?」
「むー。お兄さんは話題を逸らしてばっかりだよー。そんなこと言ってると、審問椅子に座らせちゃうよー、異端審問しちゃうぞー」
スイは俺に見せつけるように、手の指をわきわきとさせた。
「いや、それはちょっと、ああ、でも刺さらないんでしたっけ?」
「そーだけど、お兄さんが座るときは特別に暖房機能も付けてあげるよー」
「暖房機能?」
「そうそう暖房機能。この審問椅子なんだけど、最初は私もジョークグッズだと思ったんだよねー、まあ、針がびっしり並んでるし、相手を脅かすときに使う用途なのかなーって思ったんだけど……」
そこで、一旦スイは話を区切りにニヤリと笑った。
「実は、椅子を温めると、針が刺さるようになるんだよね。こんな風に――」
スイは素早く手をかざすと、椅子の針の上で静止していたはずのパンに異変が起こった。パンは瞬く間に針の中へと沈み、穴だらけになったのだ。さらに椅子からは驚くほどの熱気を感じる。かなりの熱さだ。スイは一瞬で椅子を熱したのだろう。これも聖なる術の応用だろうか。
「これは……?」
「『光』の応用だよ。この部屋を暖めてるのと同じだね。まあ、こんな感じで、椅子を熱すると針が刺さるから、拷問道具としても使えるってことだね~。ただ針が刺さるだけじゃなくて熱した針だから、痛みも凄いだろうね~」
スイはいつもと変わらず呑気に解説した。串刺しになったパンから、思わず凄惨な場面を想像してしまい息を呑む。
「あの、スイさん」
「何かなー、お兄さん」
「これはジョークグッズじゃないのでは……?」
「いやいや、私も師匠に教えて貰って知ったことだから、軽く拷問を知ってる人だと脅し用のジョークグッズだと思ってるよー」
否定になってないような。
「でも…………ああ、いや、まあ、そうですね。何と言うか。スイさんの師匠って凄そうですね」
何で拷問器具の使い方を知ってるのかとかツッコミを入れたくなるが、まあ、スイの師匠だ。かなり個性的な人だろう。
「まあねー。あ、ところでお兄さん。お兄さんは座るときは温め有りがいい? 無しがいい?」
「いや、座らないんで」
言いながらも少し距離を取った。いや、まあ、スイが本気になったら全く意味をなさない行為だが。
「つれないなー、お兄さんは。まあ、いいや、まあまあ面白かったし、お兄さんとの距離も縮まった気がするし、この拷問具は役目を果たしたかな~」
縮まったかな? 遠ざかってないかな……
「パンが犠牲になった気もしますが」
「え~。そんなことあったかな~?」
熱した針で無惨にも穴だらけになったパンを忘れてはいけない。
「いやいや、このパン見えるでしょ。このパン。串刺しになってますよ」
「んー。お兄さん、お兄さん。私の指を見て下さい」
そう言ってスイは右手の人差し指を立てた。指に視線を向ける。そして、数秒後スイが口を開いた。
「それだけです」
そう言って、スイは指をひっこめた。はい?
「いや、ちょっと流石に強引すぎませんか、パンは……あれ? パンは? どこいった?」
先ほどまで串刺しになっていたパンが消えていた。さっきまであったはずだ。スイがどこかへやったのだろうか?
「パンなどありません~。何かの見間違いではないでしょーか」
スイはこともなげに言ってのけた。
「いやいやいやいや、パンさっきまでありましたよ。あ! というか、忘れかけてましたけど、消えたパン。元々どこから出したんですか? なんか知らぬ間に現れ、知らぬ間に消えたんですけど」
「パンなどありません~。何かの見間違いではないでしょーか」
スイはにやにやと笑いながら同じ言葉を繰り返す。
「いやいや」
「パンなどありません~。何かの見間違いではないでしょーか」
どうやら、手品のネタは教えてくれないらしい。
「いや、まあ、いいですけど……」
スイの身体能力を使えば一瞬でパンを出したり隠したりできるかもしれない。昨日のユリアの曲芸を考えると十分あり得そうだ。この後ユリアに会うから、その時にパンを瞬時に出し入れできるか聞いてみるか……? いや、そんなどうでもいい事聞かれてもユリアが困るか……
「そんなことより、お兄さん。昨日はどうだった? 図書館にお目当てのものはあったのかなー?」
うきうきとした表情でスイがこちらに問いかけた。