一章33話 異世界五日目 ユリアと資料探し⑤
俺が今読んでいる本、『神の御業――聖導師の役割と聖なる術――』は結構複雑な本だ。倫理の部分に触れているからか、本の内容が抽象的かつ形而上学的で分かりにくい。まあ、分類的には神学や哲学になるんだろうか。この辺は勉強してこなかった範囲のため難しい。
とりあえず、神話的要素を抜きにして、情報をまとめる。カテナ教において、聖導師の役割は人々の救済である。神が持っていた力を使い、人々を助けることがメインテーマになっている。
前の世界で言うところの預言者とか聖人とかに近いんだと思う。
彼らとの違いは実際に聖なる術という目に見える奇跡をはっきりとした形で現わせることだろうか。いや、まあ、前の世界では、預言者は海を割ったりしたらしい、聖人も二度の奇跡を起こさないと列聖されなかったとか聞くから、実際に奇跡を起こしていたのかもしれないが、残念ながらその神秘は書物でしか語られることが無く、目の前やカメラの前で行われたことは俺の知る限りは無かった。
映像保存技術の発達とともに神秘そのものが発生しにくくなったという可能性もあるが、その相関性がもしあったとして、なぜそこに相関があるのかも分からない。
いや、まあ、色々御託を並べたが単に俺が無神論者なだけだろう。だが、そんな俺でさえ聖導師の聖なる術は普通に信じている。だって、目の前で超人的な動きをするんだから、それはもう信じるしかない。
話が逸れたが、聖導師は人間には非常に難しい、ないし不可能であると思われる奇跡を簡単に起こすことができる。そして、この世界では、その奇跡が神の御業とほぼ同一視されおり、彼女たちを神の御業の代行者としている。神聖視されているとも言える。そんな彼女たちの役割は大きく分けて二種類……いや一応三種類ある。
一つは教会内での活動だ。ここでの教会というのは建造物のことではなく、結構広い範囲を指すようで、教区とよばれる地域単位での活動を意味するようだ。
主に宗教的な儀式において重要な役割を果たしたり、また時に、聖なる術を用いて重い怪我や病気を癒す役割を持つ。また冬場には熱源を用意したり、未来に起こる災害を予知したり、時には単純にその超人的な力で重機のような役割をすることもあったらしい。
二つ目の役割は教会外での活動だ。古くは、教区外での慈善活動や布教活動を行うことを指す。ただし、近年では活動方針が変わっており、活動の場所が教区外ではなく、遺跡になっているようだ。ちょうど目の前の少女がまさにその実例である。
これは、かなり複雑な事情により決まったことのようだ。分かる範囲で推量も含めて解説すると、カテナ教が大陸内において布教が少しずつ難しくなっていった事、別の大陸での活動はなんか色々あって頓挫した事、あと恐らく教会の財政難により超人的な聖導師の力を金にしたかった事などの理由が絡み合って、聖導師の遺跡利用が決まったらしい。
実際ユリアがクリスクでは最高位のパーティーに所属している一例を見るに、この試みは成功しているのだろう。
そして最後の三つ目は『悪魔』との戦いだ。この三つ目がなんか複雑だ。
『悪魔』という概念がまずよく分からない。なんか人々に悪い事をする生き物(?)のようだ。そしてコイツは教区の内外で発生するみたいな記述もあれば、教区の外から発生して迫って来るみたいな記述もある。そして、その悪い事する『悪魔』を倒すのが聖導師らしい。全体的に、話がふわっとしてて分かりにくい。
たぶん、これは現実の話ではなく神話の話なのかもしれない。だって話の最後の方に『最後に悪魔が大陸に訪れて500年が経過した』みたいな記述があったからだ。なので現実には『悪魔』と呼ばれる生物がいるかは怪しい。ただ一方で完全な創作というのも少し違うような気もする。
『悪魔』と呼ばれるに至った何かがきっとあって……うーん、何なんだろうか……当時の伝染病とかかな……? 病気を治すことができる聖導師に倒されたという表現もしっくりくる。
まあ、基本的に聖導師の役割は最初の二つなのだろう。
他にも、聖導師の中で聖なる術を極めた存在を聖女と呼ぶらしい。まあ、最初に聖なる術を使った人間が聖女と呼ばれていたことから、特に強い存在を同じように呼ぶのは不思議ではない。
この聖女は数が少なく、この本が書かれた時点では世界で30人程度しかいないらしい。まあ、紙質からして、この本が書かれたのは10年以上は前だろうから、実際の数は30よりも上かもしれないし、下かもしれない。
そして重要なのは聖導師は聖なる術を行使できるから聖導師足りえるということだ。聖なる術を使えなくなった聖導師は聖導師ではなくなるらしい。
さらに興味深いことに、この聖なる術だが、年齢の経過とともに使用できなくなっていくらしい。回数制限などは無いが、年齢制限はあるようだ。何歳で必ず使えなくなるということはなく、個人差があるようだ。しかし、概ね20歳くらいまでには使えなくなるらしい。
聖なる術が使えなくなった聖導師は教会内で元聖導師として、後続の育成をはじめ現役聖導師のサポートに回ることが多いようだ。他にも進路先としては教会内の施設で活動する場合もあるようだ。
ユリアが図書館で活動していたのも、もしかしたら、将来を見据えているのかもしれない。就職全落ち歴のある身としては、立派なキャリア形成の仕方だと思う。
ちなみに聖導師の育成には5年から10年くらいかかるそうなので、実際に聖なる術を使える期間は極めて短いようだ。まあ、確かに今まで見た聖導師――スイとユリアはどちらも15歳くらいの見た目だ。ちょうど育成終了後の聖導師だと思うと年齢帯的にはそれらしい気がする。
本を読み終わると同時に、ユリアが声をかけてきた。
「読み終わりましたか?」
あまりにも反応が早いと思った。まるで、俺が読み終わるのをずっと待ち構えていたみたいだ。いや、実際そうなのかもしれない。なぜなら。本を読んでいる間、視線のようなものを何度も感じたからだ。
「はい。終わりました」
「何か分からないところはありましたか?」
「そうですね。結構抽象的な表現が多かったので難しかったですね……」
俺が苦戦したところを指摘すると、ユリアは苦笑いを作った。
「確かに、こういった本は表現が難しいですね……一応、そのあたりの表現も聖導師になる修行の時に一通り習ったので、分かると思います。久しぶりなので、ちょっと自信ないですけど……」
言葉を発しながらもユリアは席を立ち、テーブルを回りこちらに近づいてきた。
そうして、俺の隣まで来ると、本を覗き込みながら、さらに言葉を続けた。
「どのあたりですか?」
こう、なんというか、可愛らしい少女がすぐ隣にいるというのは少し緊張する。その緊張を声に出さないように気を付けつつ言葉を選ぶ。
「全体的に難しかったですけど……特にこの辺りの記述ですかね」
表現が難しかった上に、内容が無茶苦茶で全然頭に入りにくかった場所を指す。
「…………リリアナの断罪ですか」
ユリアが困ったように呟いた。ユリアにも難解なところだったのかもしれない。
これは、リリアナと呼ばれる人が教会内に入り込んだ『悪魔憑き』という存在を次々ぶち転がして行くという話だ。こう書くと単純なのだが、なんだか展開が意味不明なのだ。
ある日、リリアナが急に騒ぎ立てて、近くにいた人を撲殺したのだ。そして、その殺された人が実は『悪魔憑き』で、リリアナは何を思ったのか『悪魔憑き』の死体をバラバラにして街の中で撒いて回り、そして時々、街の人を殺して回っていくのだ。そこに神が急に現れてリリアナに『止めなさい』って言うんだけど、リリアナは神をビンタして、そのまま街の中で死体を作ったり死体をばらまいたりと狂気の行いを続ける。そしたら神は何を考えたのか、リリアナのことをよくやったと褒める。気をよくしたリリアナは、何を考えたのかもう一度神にビンタした後、隣町まで行ってそこでも『悪魔憑き』を殺して回った、みたいな話だ。
特にオチはない。
なお、この話以外では神は偉大で慈悲深い存在として書かれていて、常に敬意を払われていた。しかしこの話だとリリアナに二度もビンタされてるし、リリアナの暴挙を止めたと思ったら、許したりしている。キャラブレが激しいのだ。
リリアナもリリアナでよく分からない人で、殺戮中に急に現れた腰を痛めた老人を助けたりする優しそうな描写があったりする。かと思えば、殺戮中に泣き出した普通の子供にビンタして、貴方は神か、とか言い出したりする。どういうこと……?
あと、この話だけグロ要素が多めで、なんか『悪魔憑き』をぶち転がしていくシーンの描写が嫌に生々しいのだ。しかも殺す前に高確率で拷問してから殺すのだ。リリアナ凄く怖い。
ちなみに挿絵まであって、これがまたグロい。宗教の本に書くべき内容じゃないと思う。あと最初の方は『悪魔憑き』を殺していたのだが、神にビンタする前後あたりで、『悪魔憑き』ではなく人を殺しているように読み取れるのだ。どういうこと……?
ちなみに、この話に出てくる『悪魔憑き』に関する説明はほぼ無い。『悪魔』に関する説明はそこそこあったのだが、『悪魔憑き』に関しては『人に似た見た目をしている』としか記述がないのだ。どういうこと……?
「はい。話が難解で。ええっと、実はそもそも『悪魔憑き』という概念がそもそも分からなくて。たぶん悪魔の仲間だと思うんですけど記述が少なくて……それともこれって悪魔の言い換えなんですかね……?」
「……えっと、この話は……その、えっと……色々と解釈があるらしくて……とりあえず、『悪魔憑き』というのは……えっと、悪魔と契約して邪悪な力を得た人間だと言われています。ただ、あまり実例はないようで……えっと、フジガサキさんが言うように、悪魔そのものを、何かの都合で別の表現にしたという説もあります。あとは、この話ができた当時に『悪魔』の呼び方に統一性が無かったという説も見たことがあります」
「悪魔との契約……なるほど。悪い人みたいな感じですか?」
うーん、先程の俺の予想だと悪魔の正体は伝染病だが……悪魔憑きは病人か? でもそれなら殺す意味が分からないな。聖なる術だと癒せなかったから、病気が広まる前に殺した……? でもそれなら死体をばらまくのはおかしいし、残酷に殺す必要性も薄いような。うーん、とすると、『悪魔』や『悪魔憑き』というのは実際に特定に生き物を指すということなのだろうか?
「えっと……それは……『悪魔憑き』に関しては、記述も少ないので、よく分からないんですけど……でも、『悪魔』は悪い生き物だと聞いています。とても怖い見た目をしていて、人を傷付け、そして食べる、らしいです……」
そんな恐ろしい怪物がいるのか……いや、でもまあ、よくよく考えると魔獣とかいるし、それに近いものだと考えれば別におかしくないのか。
「怪物みたいな感じですね」
「はい、それが近いと思います。それで、悪魔憑きはその怪物を助ける人、らしいです……でも悪魔憑きがなぜそんなことをするのかは、まだ分かってなくて……なので、私は悪魔憑きが悪いかどうかが、まだ何とも言えなくて……なので、『悪魔』ではなく『悪魔憑き』を倒して回る『リリアナの断罪』は、私にも難しい話で……ただ、いくつか解釈を聞いたことがあります。神学者と司祭の間で話の読み取り方が違って……フジガサキさんはどちらかと言うと、神学者の解釈が好きそうですよね」
その二者でどう違うのか気になるが、確かに学者さんがどう考えるかの方が気になるかもしれない。
俺の表情から考えていることを読み取ったのか、ユリアは話を進めた。
「神学者は……色々と説があるので、あくまで一つの解釈ですけど、私が昔見た神学者の解釈では、ここで書かれている、『主』の記述と『リリアナ』の記述は同じだとしています」
え? どういうこと……?
「同じ……ですか?」
「はい。リリアナは歴史上三番目の聖女なんですけど、その産まれから死に至るまでの謎が多い人物です。一説によるリリアナは主が人々に遣わした主の代行者ではなく、主そのものだったという説があります。これはそこから派生した説です」
「なるほど……? あれ、じゃあ、これはリリアナが主をビンタした所は……?」
「いえ、ここも解釈が分かれるところなんですが……主は『悪魔』に協力する『悪魔憑き』は許してはいけないと示していて、ただ一方で元が人間である『悪魔憑き』に対する慈悲や罪悪感のようなものを持っていて、それ故に、主は、許す心と許さない心の間で葛藤して、ビンタのシーンになるという説です」
な、なるほど……難解だ。
「難しいですね……あのところで、リリアナは、『悪魔憑き』だけではなく、人を殺しているように読み取れるシーンがあるんですけど、これも主が……? あと、どうして『悪魔憑き』の死体をバラバラにして街にまいているんでしょうか?」
「人を殺しているように見えるシーンは、少し読み取りにくいと思うんですけど、全部『人』を『悪魔憑き』と読み替えるのが正しいらしいです。えっと、だいぶ昔の記述で、あと恐らくですが、この記述はリリアナの近くにいた人が混乱の最中に纏めたものなので、主語や述語が所々おかしくなってるのでは、という話も聞きます。『悪魔憑き』の死体を裂いたのは復活を防ぐためだったという説が神学者の主流です。『悪魔』の力を持った『悪魔憑き』の中には再生能力が高い個体がいるので、バラバラにして、それぞれを遠くに置く必要があったんだと思います」
な、なるほど……難解だ。
「な、なるほど? なんとなく分かりました。ありがとうございます。しかし、難しいですね」
「この辺りは、特に解釈が分かれる難しいところですし、特に『リリアナの断罪』は今から五百年以上昔に書かれたものですから……他にも分からないところがあったら教えてください」
そう言ってユリアは優しく微笑んだ。その優しい表情のおかげで、グロ話で疲弊した俺の心は少しばかり癒された。
それからも、分かりにくいところをユリアに質問していった。ユリアはそれぞれの質問に対して丁寧に答えてくれた。一番難解なところを乗り越えたこともあってか、他の質問に対する答えは分かりやすかった。時には納得しにくい答えもあったが、彼女の説明の大部分は納得できるものだった。