三章幕間 ミーフェとサラ①
フスホドグの街ではこれまでのように馬を手に入れることが叶わなかった。
ヒストガ全体の交通網が大きく回復し、今後本格的に訪れる冬の前に最後の移動をする人達が、交通手段を強く求めたからだ。つまり需要が供給を大きく上回ったのだ。ミーフェはいつものように暴力と金品を使った脅しで馬屋を説得することに成功したが、それでも馬の確保には数日がかかった。
数日間、カイを探すことができず、ミーフェは落ち着かない気持ちになった。
そしてミーフェは、街中で、小さな揉め事を起こした。最初は小さな揉め事だったのだ。
気が立っていたミーフェは、偶々、道を歩く人と肩がぶつかったのだ。ミーフェはその相手に食って掛かった。しかし、相手が悪かった。
相手は、カテナ教の信徒だったのだ。
ただの信徒であり、戦闘能力は無かった。しかし、信徒は、噛みついてくるミーフェに恐れ、助けを呼んだのだ。わらわらと、カテナ教の信徒たちが集まった。
ヒストガ中東部――カテナ教の支配が及ばない領域であったが、それでもそこには信徒がいる。そして、信徒の結束の強さは、時に、信徒の数に反比例する。数少ない信徒たちが集まり、ミーフェに絡まれた信徒を助けようとしたのだ。
ミーフェに恐怖しつつも、集まる彼らたちの戦闘力は軒並み低い。ただ、それでも仲間を悪党から守るために彼らは必死だった。
一方で、ミーフェは何とも言えない気持ちになった。最初は八つ当たりで嚙みついたが、思ったより手応えが無かったからだ。その上、雑魚が次々と集まって来たのだ。本当は、全員倒しても良かった。全員倒し、力の差を見せつける。それでもよかったのだ。舐められるのはありえない。ありえないのだが……何となくミーフェの勘が、手を出さない方がいいかもしれないと思わせたのだ。
――その原因は、脳内に刻まれたピンクブロンドの少女が原因だった。その少女、彼女の役職である聖導師、そして所属するカテナ教という組織、それらがミーフェの脳内に結びついていたのだ。
端的に言うと、カテナ教という言葉はミーフェにとって、あの恐ろしい存在を想起させたのだ。つまり、苦手なのだ。
勿論、カテナ教の信徒一人一人は怖くはない。だが、もし、ここでこの信徒たちをボコボコにした後、あの化物や化物と同じような存在がミーフェに襲い掛かってきたら――
――いや、臆してなどいない。当然だ。ミーフェは最強のAランク探索者だ。誰が相手でもボコボコにできる。あのピンクの頭がおかしい化物相手にも、ミーフェは何度も上手くやりすごした。実質勝ってる。ただ、まあ、今回は、ちょっと可哀想だし、見逃してやるかと思っただけだ。
問題は、どうやって見逃すかだ。こんなに相手が集まった以上、今更引くには引けない。ここで引けば、ミーフェはフスホドグの街の恥さらしになってしまう。有象無象の命よりも重いミーフェの名誉が傷付いてしまうのだ。それは避けねばならない……!
そうして、ミーフェと信徒たちの間で、無言の時間が流れた。
しかし、その時間も長くは続かなかった。一人の少女の声が、気まずい空気を打ち壊したからだ。
「ん~、皆集まっちゃって、どうしたの? どうしたの~?」
朗らかな笑みを浮かべながら一人の少女が対峙するミーフェと信徒たちの間に割り込んだのだ。それを見た瞬間、信徒たちは救いの女神が来たとばかりに目を輝かせ、一方で、ミーフェは鳥肌が立った。
少女の恰好が、あの怪物と似ていたのだ。見た目は違う。だが、服装が同じだったのだ。そしてそれを証明するかのように、信徒たちが「聖導師様!」「サラ様!」と声を上げていた。
喜ぶ信徒たちに、明るい笑みを浮かべつつ、サラと呼ばれた少女がミーフェの方を見た。
「うん? うん? 何かあったのかな? うん? あれれ?」
少女が不思議そうな顔した。そして、ミーフェもまた不思議な気分になった。
既視感というべきだろうか。ミーフェは、この少女をどこかで見た覚えがあったのだ。
「ん~? あれ? どこかで会ったー?」
「は? ミーフェ、ここらへん来るの初めてなんだけど」
「うーん? うーん? あれ? なんか、アレだな。ミーフェ…………あ! ミーフェちゃんだ! 久しぶりだね~」
少女の朗らかな笑みを見て、ミーフェもまた思い出した。ずっと前の記憶。数少ない幸せな記憶を。
「……、…………いや、ミーフェ知らないけど……」
目の前の少女が誰であるかミーフェには分かっていた。だけど、気恥ずかしさからか、知らないフリをした。
「えぇ~、忘れちゃったのー? ほらほら、サラだよ~。昔、テチュカでミーフェちゃんのこと助けてあげたじゃん。思い出してよ~」
あの時と殆ど変わらない笑みのまま、サラはミーフェに微笑んだ。
父の死後、ミーフェにとって『良い思い出』の人物は僅か三人。大事な大事な副首領ことカイ、そして最近になってようやく追いつくことができたAランク探索者のホフナー、最後は、テチュカの街でミーフェの命を救ったサラ――目の前の少女であった。五年ぶりの再会であった。
「……いや、まあ、ミーフェは、最初に会って時から気付いてたけどね」
恩人との再会に気恥ずかしさを必死に隠しながらミーフェは言葉を紡いだ。
「もー、相変わらずミーフェちゃんは、ツンツンしてるな~。まあいいや、皆、大丈夫だよ。こっちの女の子は、私が相手するからね。解散、解散~」
サラは手を叩いて、信徒たちに解散を促した。軽い態度であったが、聖導師であるサラの言葉に、信徒たちは安心したように、その場を離れていった。
それを見届けたミーフェは内心で助かったと思ったが、当然態度には出さなかった。
「はー、まあ、サラの顔を立てて、さっきのやつらは見逃してやるかな。本当は、ミーフェに舐めたことしたやつらは全員ボコボコにするんだけどなー。はー、まあ、ミーフェ、超慈悲深いから、特別に見逃してやるかな」
「わーい、見逃されちゃったね。良かった良かった~。ミーフェちゃんの機嫌も直ったなら、ちょっと休憩しない? ここの聖堂ちっちゃいけど、結構居心地良いよ。歓迎するからさ~」
サラの誘いを聞いて、ミーフェはチラリとサラを見た。そして思考した。先程、信徒たちがサラのことを「聖導師」と呼んでいたこと。そして何より、あの頭のおかしい怪物と同じような衣装を、サラが身に纏っていること。この二つが、ミーフェを迷わせた。
「……ん。いや、ミーフェ、忙しいから……」
そして、結果は否だった。ミーフェとしても命の恩人である少女の誘いに乗りたい気持ちはあった。だが、ミーフェの中には深い恐怖が刻まれていた。聖堂に誘い込まれて、何かされるかもしれない。そんな妄想を抱いてしまうほどだった。
勿論、表向きにはミーフェは恐怖とは無縁だ。だってミーフェは勇敢なクランリーダーなのだから。だから、『カイを探すのに忙しいのだから』と熱心に自分に言い聞かせた。
「えぇ~、いいじゃん、いいじゃん、美味しいお菓子とかもあるよ~」
「いや、ミーフェ、ガキじゃないから。お菓子とかに釣られないから」
「まあまあ~、ここは私を助けると思ってさ~。ちょっとさ~、お仕事やりたくないんだよね~。だからミーフェちゃんを歓待するって理由jをつけてお仕事サボりたいんだよ~。ミーフェちゃん、私のこと助けてよ~」
朗らかだが、どこかふざけたサラの態度を見て、ミーフェは警戒を緩めた。
再会してから今までの間、ミーフェはサラをずっと警戒して見ていた。他人の力量を見ることに関して、ミーフェは一定の自負があった。そんなミーフェがさらに出した結論は、『安全』だった。
なぜなら、このサラはあまりにも弱すぎるのだ。昔会った時も脆弱な少女だと思ったが、五年経っても全く変わっていないのだ。
恐らくだが、ミーフェが見た人間の中で二番目に弱い。あの副首領よりも弱いのだ。一瞬、強さが見えなかった頭のおかしい怪物を思い出すが、それにしたって、限度があるはずだ。あの怪物は少なくとも下位ランクの探索者のように見えた。サラにいたっては普通の町娘以下だ。これは絶対に弱い。間違いなく究極レベルの雑魚だろう。
やはり聖導師というのはイキってるだけで、本質的には雑魚なのだ。
そういえば、リデッサス遺跡街で見た、銀髪の聖女とか呼ばれていたのは、ミーフェが見た中で一番弱かったな。うん。やっぱりそうだ。聖導師とか聖女というのは基本的に弱いのだ。あの頭のおかしい怪物だけが例外的に強いのだろう。間違いない。
どうやら、完全に杞憂だったことに気付いたミーフェは、今更ながら態度を大きくし始めた。
「まあ、そこまで言うなら、特別に顔出してやろうかな」
「おお~、やった~。待ってて~、美味しい紅茶淹れてあげるからね~」
そうして、ミーフェはサラと一緒に聖堂の一室に入った。
サラはすぐに熱々のお湯を用意すると、素早く紅茶を淹れ、クッキーとともにミーフェに差し出した。
ミーフェは怪訝そうな表情を浮かべるものの、サラの笑顔に押されて、紅茶を口にした。そして、第一声は次のようなモノであった。
「葉っぱの味がするんだけど」
「これは紅茶って言うんだよ~」
このミーフェとサラのやり取りも五年ぶりであった。
「葉っぱなんだけど?」
「うーん、この味はミーフェちゃんには分からないかな~」
サラがしょうがないと言わんばかりの表情でミーフェを見た。
「いや、この味は誰も分からないから」
「そんなことないよ~。おいしいって言ってくれた子もいるよ~」
「そいつは舌がおかしい」
すかさずミーフェが言葉でサラを突き刺した。
「そんなことないよ~、いつも『師匠の紅茶は美味しいですよ……』って、ちょっと困りながら言ってくれたよ~」
「……まあ、いいや。そんなことより、ミーフェ聞きたいことがあるんだけど」
サラの飄々とした態度に呆れたミーフェは話題を変えることにした。
「うんうん、なに、なに~?」
「ミーフェのクランの副首領が消えたから、探してるんだけど、知らない? カイって名前の黒髪黒目の男、歳はたぶんサラと同じくらい」
「私と同い年ならミーフェちゃんのお兄さんみたいなポジションかな~」
「は? ミーフェの方が年上なんだけど?」
サラの煽るような言葉にミーフェは鋭く反論した。クランにおいて、ミーフェが偉大な父で、カイは子だ。つまり、ミーフェの方が年上なのだ。カイは時々、兄のように――いや、違う、なんでもない。ミーフェは偉大な父なのだ。
「ミーフェちゃん、お顔が緩いよ~。その男の子のこと好きなんだ~」
にやにやと笑みを浮かべるサラを見て、ミーフェの顔が赤くなった。
「は? ミーフェがカイを好きなんじゃなくて、カイがミーフェを好きなんだけど?」
クランリーダーとしての威厳を守るため、ミーフェは意地を張った。