三章39話 シェルニツキ朝ヒストガ王国
それからしばらくルミと一緒に待合室でまったりと時間を過ごしていると、リーシアが戻って来た。種の山は持っていない。おそらく伯爵たちに渡してきたのだろう。うーむ、立派な事業がまた一歩進んだようだ。
感心した思いで、ぼんやりと歩くリーシアを見つめる。いつも通りぼんやりしているリーシアである。可愛い。でも今は可愛い以外に、彼女が立派であることも知っているのだ……!
「終わったわ……」
リーシアが、ルミの隣にちょこんと座った。
「お疲れ様ですっ、リーシア様っ!」
「お疲れ様、リーシア。色々大変だったね」
俺とルミが労うと、リーシアは僅かに頬を緩ませた。
「うん。ありがとう、ルミちゃん、ロラン……大変? そうでもなかったわ……」
「そ、そうなの?」
つい疑問が口に出る。リーシアは内向的な感じがするし、あのような状況は少し疲れてしまうと思ったのだが、違うのだろうか。
「うん。知らない人もいたけど何とかなったわ……」
いつも通りのぼんやり加減でリーシアは答えた。
「知らない人……? あ、さっきの人かな? ミハウさんって言う人がさっき間違ってこっちに来ちゃったんだけど、リーシアにはちゃんと会えたのかな? 彼は凄くリーシアに会いたそうにしてたから……」
「ミハウ……? …………ああ、昔病気だった人ね。会ったわよ。でも、私に会いたかったのかしら……?」
「え? 会いたそうだったけど?」
俺が答えるとリーシアはぼんやり、けれどどこか不思議そうな顔になった。なんか本当に疑問に感じてそうなぼんやり具合だ。はて? さっきのミハウさんの感じやルミの説明を踏まえると、彼はリーシアに会いたくて会いたくてしかたがない感じがしたが……?
「? 違うと思うわ。彼が会いたかったのは、私じゃなくて、私の……仲間? 私の仕事仲間の方だと思うわ」
「ん、え、仕事仲間?」
「うん……、その何て言うのから……ほら前ロランに話したでしょ。仕事仲間が昔テチュカに住んでいたって。その子、今ちょっとテチュカを離れてるんだけど、さっきの人が会いたいっていって聞かないの……困ったわ」
仕事仲間……確かに前話していたような気がする。リーシアがテチュカに来た理由だっけ?
「え? いや、なんで仕事仲間――あ、ああ! なるほど……」
話している途中で俺は閃いた。
これたぶんだが、種を開発したのはリーシア社長率いる職人集団だが、実際に研究したのは、その仲間って人なんじゃないだろうか? それを知っていた、またはリーシアとの会話で掴んだミハウさんは種子研究者に直接お礼を言いたいみたいな感じなんじゃないだろうか?
ミハウさんは思いついたら一直線みたいな雰囲気あったし、直接礼を言いたいんだろう。気持ちはちょっと分かるかも。
「ちょっとミハウさんの気持ちは分かるかも。今は、その仕事仲間の人は別のところで仕事してるんだっけ?」
「たぶんそうよ……」
たぶん、なのか。ゆるい社長だ。
「そっか。まあそれだと会うのは難しそうだね」
「うん……ロランは会わせてあげたいの?」
「え? いや、まあ、そのミハウさんの気持ちも分かるというだけで……リーシアやその仲間の職人さんにも仕事とかあるだろうし……」
あんまり無理難題を要求するのは俺の立場としておかしい気がするので、控え目に喋る。まあ、ミハウさんは良い人ということで、彼に配慮した気持ちもあるが……
「うん……そうね……ちょっと戻って来れないかどうか聞いてみるわ」
あら? なんか通っちゃった?
「え、あ、ごめん、もし手間だったり難しかったりしたら悪いけど……」
「ううん、いいのよ……」
ぼんやり5割、優しさ4割、真面目1割みたいな顔だ。
「なんか、ごめんね仕事増やしちゃって……あ、ごめん、その話変わっちゃうんだけど、もう一つ聞いてもいい?」
「なにかしら……?」
「あ、いや、大したことではないんだけど、最初『知らない人』がいて少し困ったみたいに言ってたけど、文脈的にミハウさんことではないんだよね。他に誰かいたの?」
「いたわ……たしか、ツェル…………」
そこでリーシアは言葉を区切ると、悩まし気に虚空を見つめた。憂いを帯びた瞳は、どこか世を達観しているように見えるが、俺は分かっている。これはただリーシアが人の名前をちゃんと覚えられなかっただけだ。
十数秒程、虚空を見つめるリーシアを眺めていると、彼女がぼんやりと再び口を動かした。
「あのね、ロラン、違うの。忘れたわけじゃないの……ただ、ヒストガの人の名前って覚えにくいの……」
知らない人は忘れられたようだ。
優しい天才職人にも弱点はあるのだ。
それから、少しだけ待合室で休んだ後、帰宅となった。なお帰宅も高級馬車での移動となった。二度目だったので少しは慣れてきたが、それでもまだまだ庶民心が忘れられない俺にはどきどきの体験であった。