三章38話 無限複製のアーティファクト
薄暗いホールの立派な椅子に腰かけながら音楽会が始まるのを待つ。
俺たちがいる貴賓席は二階にある席のようで、正面から舞台を見下ろせるような席だ。孤立したブースであり、他の観客とは視線などが通らない。こういった会場などに詳しいわけではないが、それでも良い位置取りというのは何となく分かる。
ふと、いくつかの照明が消えて、薄暗かったホールがさらに暗くなる。そして同時にステージが照らされ、美しい音色が会場に流れた。最初は小さく、そして徐々に音が大きくなっていく。それに合わせて、一つの楽器から始まった演奏が複数の楽器による合奏へと移り変わっていく。ホール全体が音楽に包まれる。
音が美しく響き、不思議な心地よさを与えてくれる。音響が良いのか楽器が良いのか、それとも演奏者が良いのか、あるいはそれらの全てか。
隣にいるリーシアもぼんやりしつつもどこか心地よさそうにしている。俺から見てリーシアの奥にいるルミも舞台にいる演奏者たちの方を感動したようにじっと見ている。
大変良い演奏である。
ぼーっと聴き入ってしまっていると、気づけば時間が過ぎていき、演奏が終わってしまった。ホールに静寂が訪れるとともに、拍手が湧きあがった。隣のリーシアもぼんやりと拍手している。ルミは一生懸命に拍手していた。これは拍手しても問題ないと思い、俺も両手を合わせた。俺が拍手するとリーシアが顔をこちらに向けた。
「ロラン……気に入ってくれた……?」
「うん。凄く良い演奏だったと思う。来て良かったよ。リーシアはどうだった?」
「……私も良かったわ。ルミちゃんも楽しんでくれたし、ロランも良かったなら良かったわ……」
ぼんやりとしつつも、どこか嬉しそうにリーシアは話した。
それから少しの間、のんきにルミやリーシアと音楽が良かった旨などを互いに話し合い、まったりとした気分になった後、伯爵たちと合流した。伯爵とその息子、そして見知らぬ男がいた。ええっと、さっき言ってた特別ゲストの人かな……?
俺の疑問が解決されるよりも早く、リーシアだけ伯爵たちに連れられていってしまい、俺とルミは待合室の方へ行くことになった。俺があわあわしていたというのもあるが、伯爵側がリーシア個人に話をしたいというのと、リーシアもそれを望んでいたのか、珍しく乗り気で伯爵たちへ付いてしまったのだ。
リーシアの指示もあったため、俺は不思議に思いつつもルミと一緒に待合室でのんびりすることになった。
※
待合室は想像以上に立派な部屋だった。執事のような人にハーブティーと茶菓子を用意してもらったので、ルミと一緒にありがたく受け取った。しかし味はヒストガ味であった。
執事さんがいなくなり(御用があれば呼んでほしいとのことだ)、ルミと二人きりになると、彼女が少し残念そうな表情を浮かべ口を開いた。
「ヒストガ風ですね……!」
どうやらルミも同じことを思ったようだ。
「凄く同感。ルミのお菓子や二人が淹れてくれるお茶に比べるとどうしてもね……でも、まあ、これは二人の技量が高すぎるという面もあると思うから、仕方が無いのかも」
「えへへ。ありがとうございますっ……でもこの味も美味く活かせば料理に使えるかもしれません。たぶん苦味を取れば……」
そう言うとルミは、確かめるようにハーブティーを口に含み、そして何度も悩んだような唸り声を出す。そんな熱心なルミの様子を見つつも、時間が過ぎていき、ふと扉が開かれた。見るとリーシアが入って来た。話し合いが終わったのだろうか? 思ったよりもずっと早いな。
戻って来たリーシアはいつもよりも機敏な動きでルミの方に近寄った。しかしルミはハーブティーの解明に忙しいのか気付いていない。リーシアが、椅子に座るルミの背後に立った。
「ルミちゃん」
「――うぉわぁ! リ、リーシア様っ!」
「わ、……」
リーシアが声をかけるとルミが驚き、そのルミの反応にリーシアが驚く。目をぱちくりさせるリーシアに対して、ルミが慌てて口を開いた。
「ごめんなさい。リーシア様、びっくりさせちゃいましたよね。……もう話し合いは終わったんですか?」
「ううん、私も急に後ろに立ったのが悪かったから気にしないで……あと、話し合いはまだ途中よ。ちょっと必要なものができちゃったの。ルミちゃん鞄を貸してくれるかしら……?」
「あ、はい、リーシア様」
ルミは肩にかけたままであった鞄をリーシアへと渡す。
リーシアは鞄をごそごそと漁る。
「あら……?」
ごそごそと漁る。
「無いわ……変ね……?」
ごそごそと漁る。
「でも……このあたりに……」
ごそごそと漁る。
数十秒ほど鞄と格闘するリーシアを、ルミと共に息を呑んで見守った。
そしてさらに数十秒ほどすると、リーシアは鞄から不思議な物を取り出した。
「……あったわ……!」
どこか達成感に満たされたような顔でリーシアは謎の物体を掲げた。不思議な形をしている。黒い物体だ。握りこぶしくらいの大きさの袋のような物が二つある。形はそら豆に近いだろうか。とても大きな黒い二つのそら豆が紐のようなもので繋がっている。なんだこれ?
「あ……! リーシア様っ、その、ロランさんがいますけどっ……!?」
俺がぼんやりとリーシアを眺めているとルミが声を上げた。リーシアは、ハッとしたような顔になってこちらを見た。
「……!! ろ、ロラン、ちょっとあっち向いてて……」
「え、あ、うん」
少し切羽詰まった様子のリーシアの指示に従い、彼女たちに背を向ける。それから、しばらくの間、後ろでごそごそと何かを弄る音が聞こえた。
ごそごそごそごそとリーシアが何かをしている音が聞こえてくる。気になるが、振り向くのはよくないと思い堪える。
さらにしばらく待った後、リーシアの声が耳を撫でた。
「ロラン、もういいわよ……」
ゆっくりと後ろを振り向く。リーシアが両腕で抱える程の粒のようなものを沢山持っていた。そして、さきほどの黒い二つのそら豆は無造作にテーブルの上に置かれている。はて?
「そ、それ何……?」
「種よ」
「種……? あ、植物の種……?」
「そうよ」
「…………え、いや、なんでそんなに持ってるの?」
「欲しいって言われたの……あ、行かなきゃ……えっとね、ロラン、ルミちゃん。ちょっとまだ話はかかりそうだから、もう少し待っててね」
そう言うとリーシアは両腕に抱えるほどの大量の植物の種とともに待合室を出ていった。恐らく伯爵たちの下に戻るのだろう。しかし、なんで種? というか何の種だ。それにさっきからごそごそ何やってたんだ……? たぶん黒い巨大そら豆みたいな物を使ったんだろうけど……あ、まだテーブルの上においてある。無造作におかれたそれは、何だか子供が玩具を片付けるのを忘れたみたいだ。
――この黒い巨大そら豆は何なんだろうか。
少しの間、それを見つめていて、ふと思いついた。これもしかして、リーシアが言ってたアーティファクトなんじゃないか?
そこまで考えたところで、ルミがそろりそろりと動き、丁寧な手つきで黒い巨大そら豆を回収した。そしてそのまま、そろりそろりと鞄の中へしまった。鞄を再び肩に担いだルミが、こちらをキリリと見た。
「み、見なかったことにっ……!」
「あ、うん、それは、気になるけど……いや、まあ分かったよ……あ、でも、えっと、そのリーシアが大量に持ってった種の話は聞いてもいい感じ……? あれもその黒い楕円みたいな、そら豆みたいなやつと関係してるの?」
「ど、どうでしょ~?」
ルミはあからさまに俺から視線を逸らした。聞いちゃダメな感じか。正直、結構気になる。
いや、まあ俺が知る必要もないことなんだろうけど……なんかアーティファクトって伝説級の魔道具みたいな感じだろうし、もしそうなら、どんな物なのか気になる。どんな効果があるんだろうか。あと形も気になる。握りこぶしくらいの大きさのものが二つありそれが紐で結ばれている。何で結ばれているんだろうか? 二つで一つの物なんだろうか……?
「気になる……けど、まあ、秘密なら諦める……気になるけど……」
「だ、ダメですよ……! ロランさん、これは秘密の道具ですから教えられないです。そんな目で見てもダメですよっ!」
「ご、ごめん」
「いえ、別にロランさんが悪い訳じゃないですから……で、でも、これは秘密の道具ですから教えられないです……」
残念だ。ただ、たぶん状況から考えて、さっきの黒い巨大そら豆はアーティファクトなんだと思う。だから秘密なんじゃないだろうか? それでリーシアが大量に持っていた種も、推定アーティファクトに関わってるんだと思う。何だろう? もしかして、植物の種を生み出す魔道具とかだろうか……? そうだとしたら、結構面白いし、有用な道具だな。まあ、ちょっと伝説級の魔道具にしてはインパクトが無い気もするが……ああ、いや、植物を大量生産するという意味では凄いか? コストパフォーマンスにもよるが、食糧増産に役立つのかもしれないし、たぶん凄い道具なんだろう。
そんなことを考えていると再び待合室の扉が開いた。おや、もう戻って来たのかと思い、音がする方を見る。知らない男がいた。男は部屋に入るなり素早くこちらに駆け寄ると、ルミの前に跪いた。
「リーシア様……! お初にお目にかかります、ミハウでございます。以前、病の――」
「――ストップ! ストップですっ! 相手が違いますっ!」
「……え? リーシア様ではないのですか……ではっ! こちらの方が……!? 大変失礼いたしました……」
男は跪いたまま、驚いたように俺を見て頭を下げた。
え? え?
「いえ、そっちはロランさんです。私はリーシア様の弟子のルミです。リーシア様はええっと、別のところに行ってまして。別室で、伯爵様とお話しているみたいです!」
俺があわあわしている間にルミがしゃがんで跪く男に視線を合わせた。
「あっ! そうだったのですか! これは失礼しました。お弟子様とは知らず……そちらのロラン殿も失礼しました。そして無礼を重ねるようで申し訳ないのですが、一刻も早くリーシア様にお目通り願いたいのでっ! 失礼っ!」
そう言うと男は駆け出し待合室を出ていった。嵐のような人であった。
なんだったんだ……?
「い、今の人は……? ルミは知ってる人……?」
「ええっと、たぶんミハウさんだと思います。ええっと……その、リーシア様を尊敬している人だって聞いてます!」
「ああ、そうなんだ。あれ、でも尊敬しているのにリーシアの見た目は知らないってこと? というか、俺の方かもしれないって思ったってことは性別すら知らなかったの……?」
「ええっと、それは……その、えっと~、ミハウさんはとても良い人らしくて、それでリーシア様を尊敬しているみたいですっ!」
それは理由になってないのでは……? いやまあ、リーシアも良い人だし、良い人同士のシンパシーがあるのかもしれないが。
「良い人だから……? まあ理由は分からなくもないけど、でも会ったことないのに……? リーシアが有名なのってアーティファクト職人だからだよね?」
「あ、え、あ、その~、ええっとっ! こ、これは秘密の話ですよ……? 誰にも言ったらダメですよっ!」
そう言ってルミは念を押すように人差し指を彼女自身の前に立てた。秘密を意味するジェスチャーだ。
「う、うん? 俺は基本的に秘密は守る方だと思うよ」
「では、言いますよっ! さっきのミハウさんって凄く優しい人って有名なんです。それで、その、ロランさんはテチュカの街の北側には寒村があるって知ってますか?」
「なんか聞いたことがある気がする」
「はい。それで食料とかが無くて困ってる人がいて。ミハウさんはその対策をしたいみたいでして……さっき、そのリーシア様が持っていった種がその対策なんですっ! これ、絶対秘密ですよっ! まだ伯爵様とかしか知らない秘密の対策ですからねっ!」
ルミは再び人差し指を立てた。
なるほど。理解した。そうか、食料問題の対策だったのか……ヒストガは寒いし、おそらく食物は育ちにくい。推測になるが、リーシアはそれを解決するアーティファクトを持っているってことなのだろう。
なるほど、なるほど。だからリーシアは凄く待遇が良いのか。テチュカの街、下手したら国家規模の事業のキーパーソンだったのか。
なるほど、なるほど……身分で偉いのではなく、政策における重要人物だからか。なんか納得だ。しかし、旅の職人を政策にキーパーソンにするとは……なんとも大胆な考え方だ。いや、柔軟と言うべきか? 上手くいけば凄いことだが……いや、実際上手くいってほしいな。リーシアが関わっている事業だし、何より、食料問題で困ってる人がいるなら解決されるのは良いことのはずだから。
「そっか、リーシアはそんな立派な事業に関わっていたんだね」
「そうですっ! リーシア様は凄いんですよっ! あっ! でもこれ私がロランさんに言ったって秘密ですよっ! リーシア様に怒られちゃいますからねっ!」
「リーシアは……怒るというより悲しむかも……それはそれでよくないか。なんか聞いちゃってごめん」
「た、確かにそうですね……リーシア様は悲しみそうな感じがしますっ! これは私とロランさんの秘密ですね」
話は一段落し、それからしばらくの間、ルミと待合室でまったりと時間を過ごした。