三章37話 テチュカの偉い人たち
それから俺とリーシアとルミは高級馬車でどんぶらこどんぶらこと会場へと運ばれていった。
なお馬車は見た目だけではなく、機能面も優れており、中は広く快適で、何より揺れが少なかった。内部の装飾も豪華ではあるが、どこか不思議な気品を感じ、成金みたいな感じはしなかった。これが一流貴族の馬車ってやつか……
道中、ルミやリーシアとちょこちょこと雑談したものの、俺は怖くて『何でこんな豪華な馬車に乗っているの?』と本質を問うことができなかった。ただ、なぜかリーシアと目が合うと彼女はいつもよりも頬を赤くしていた。何でだろう……?
雪景色のテチュカの街中を十数分ほどゆっくりと移動したところで目的地についたのか馬車は停止した。殆ど移動していないような……? こんなに近いなら徒歩でも良かったんじゃ……?
馬車の扉が開き、まずはルミが出てその後にリーシアが続いた。俺も慌てないようにしながらも、ちょっと焦り気味にリーシアの後へと続く。馬車は大きな建物――恐らく今回の音楽会の会場の前に止まっていた。
そして、馬車から降りたリーシアを迎えるように二人の男が立っていた。御者に乗っていた人柄の良い伯爵の甥――ヴィトルト・ヴィシニェフが二人の男のうち年配の方に話しかけた。
「閣下、お連れしました」
「ご苦労」
年配の男はそれだけ言うとリーシアの方を向いた。
「リーシア様、ようこそおいでくださいました。ズビグニェフでございます。これは倅のカジミェシュです」
「…………、久しぶりね……そっちは……えっと、昔、病気だった……」
「それは兄でございます。私は弟のカジミェシュ・ヴィシニェフ。お初にお目にかかります、リーシア様」
「……弟さんね。分かったわ…………それで、今日は音楽が聴けるって話よね。どこで聴けるの……?」
「こちらの劇場で聴けます。良い席を取っておりますので……どうぞこちらに」
リーシアのぼんやりとした言葉に年配の男――ズビグニェフは早速とばかりに案内を始めた。
うむ?
なんというか、このズビグニェフ、先程『伯爵の甥であるヴィトルト・ヴィシニェフ』に閣下と呼ばれていなかったか……? 伯爵の甥が閣下と呼ぶということは、つまり伯爵――このテチュカという大都市のボスなのでは……? というか、ズビグニェフの息子のカジミェシュの苗字がヴィシニェフなんだしほぼほぼ確定だろう。一応ヴィシニェフ家の一門なだけで伯爵ではない可能性もあるが……
やばい。どきどきしてきた。違うと思いたいけど状況証拠的にはたぶんそう。それにさっき何か倅がどうとか兄が病気とかって何か聞き覚えが……あー、なんか思い出した。確か、ヴィシニェフ家の後継者問題だ。お兄さんが昔病気だったとか何とか……うん。状況証拠的に、ズビグニェフはテチュカ伯だ。でもなぜか、ズビグニェフはリーシアに腰が低い。伯爵とは思えないほど低い。
だんだん怖くなってきたぞ……
リーシアさん、もしかして王女様とかじゃないよね……?
俺が悩んでいる間もズビグニェフはリーシアを劇場の中を案内する。俺とルミはリーシアの傍であわあわしながら着いていき。あ、いや、今嘘いった。あわあわしているのは俺だけだ。ルミは自然体だ。全然緊張していない。慣れてます、みたいな感じだ。さすがリーシアのお弟子さんだ。
ルミも公爵令嬢とかじゃないよね……? 大丈夫? 俺、あとで不敬罪とかで首から上が飛んだりしない……? 首から上だけ追放されたりしない……? どきどきだぞ。
というか大変に今更だが、これ絶対ドレスコード必要な集まりでしょ……俺もリーシアもルミも普段着だけど、これ絶対浮いてるでしょ……
俺が不安になっている間に、歩みは続き、俺はリーシアの後ろをルミといっしょに、通路をとことこと付いていく。しばらくするとズビグニェフが扉を開けた。中は少し暗く、けれども立派で豪華な席が5つ確認できた。おお、ちょうど人数分だ。正直な話、俺だけ格が低いような気がするので、皆と一緒に豪華な席に座るのは抵抗があるが……
俺が悩んでいると、ふとズビグニェフが俺の方を見た。え? な、なに……?
「従者殿。申し訳ないのですが、席が足りませんので、他の席でもよろしいですか? この貴賓席には劣りますが、良い席を確保してありますので」
ズビグニェフは少し申し訳なさそうに言った。
はて?
「なんで? 人数伝えたわよね?」
俺が口を開くよりも早くリーシアが口を挟んだ。ぼんやりとしているが、なぜだろうか、いつもよりも強気のように思える。ちょっと珍しいリーシアだ。
「リーシア様がいらっしゃると聞いて、特別に来られた方がいまして。当家としては断ることが難しい相手でして……申し訳ないのですが、そちらの従者殿は――」
「――あ! それなら私が抜けます!」
大変申し訳なさそうに喋るズビグニェフに対して、今度はルミが口を挟んだ。さっきから推定伯爵にぼこぼこ行くなぁ。俺は凄く不安になってきた。
「!? い、いえ、お弟子様が抜けられるわけには……!」
ズビグニェフは驚いたように俺を見る。え? 俺を見るの……? ルミやリーシアじゃなくて……?
「大丈夫です……! 誰か抜ける必要があるなら、私が抜けるので! ロランさんはリーシア様とちゃんと一緒にいて下さいね!」
そう言って離れようとするルミの腕をリーシアが掴んだ。
「私はロランとルミちゃんだけでいいわ……」
リーシアがぼんやりと、それでいてどこか意志が固そうな目でズビグニェフを見た。ズビグニェフはまるで蛇に睨まれた蛙にように体をすくませた。
「! それは……!」
「ロランとルミちゃんと音楽を聴きに来たのよ……? 一緒に聴けないなら意味無いわ……」
リーシアの言葉に、ズビグニェフは大変に困ったような顔になった。そして、しばらく無言になった後、苦汁を嘗めるように、口を動かした。
「…………かしこまりました。では……、音楽会が終わった後しばらくお時間を頂けますか? もし、それができましたら、リーシア様のご指示に対応できるかと」
「いいわよ……」
「かしこまりました。それではこちらの貴賓席をお使い下さい。この会場で最も良い音が聴くことができる席でございます。私たちは別の席でゲストのお相手をいたしますので」
「そう……」
「はい。ですから、音楽会が終わった後は帰らぬようにお願いいたします。ぜひお時間をいただきたく」
「わかったわ……」
ぼんやりとしたリーシアの方をズビグニェフは不安そうに見た後、彼の息子とともに通路の方へ出ていった。俺はなんとも気まずい雰囲気になった。良いのだろうか、こんなことをして。
俺が悩んでいると、リーシアは何かに気付いた顔になり、ぼんやりとした顔から真剣な顔に切り替わった。そして想像外の俊敏な動きで、貴賓席の一つである真ん中の席を確保した。貴賓席は二列に分かれており、前列3席、後列2席という形だ。リーシアは前列の真ん中の席を今確保したのだ。そして、得意げな顔で俺とルミの方を見た。
「二人とも座って良いのよ……?」
そう言いながら、左右それぞれの手で彼女の席の左右の席を叩いた。なるほど……
「はい! リーシア様! ロランさんも、そろそろ始まっちゃいそうですから、座りましょう……!」
ルミが真っ先にリーシアの右の席に座った。俺もそれに従いリーシアの左の席に座る。一瞬だけ後ろの席に座ったらどうなるだろうと邪悪な考えが思い浮かんだが、絶対リーシアを悲しませると思ったのでやらなかった。
「ところで、聞いてもいい?」
「うん? どうしたの? ロラン……?」
「先ほどのズビグニェフさんという方は、あの、もしかして、テチュカの伯爵様的な人……?」
「そうよ」
俺が問いかけると、リーシアは特に気にした風でもない表情で答えた。
「……そっかぁ、なるほど……あの、ところで、リーシアは、あのー、何で知り合いなの? テチュカの偉い人と……? あ、これ聞いてもいい質問……? ダメなやつ? あと、今更すぎるけど、リーシア様って呼んだ方がいい? 今更リーシア様って呼んでももう遅い……?」
どきどきしながら問いかけると、リーシアは数秒ほど固まった。そして急にあわあわとし始めた。可愛いけど、俺のどきどきは止まらない。
「………………あのね、ロラン、違うの」
違くないでしょ。
「そうなの?」
「そうなの……違うの。ロランがね、びっくりすると思うから言わなかっただけなの……」
もうびっくりしてるよ……
「そっかぁ。なるほど……その、それで、どういうご関係で……? そのもしかして、リーシアはあの王族的な感じの人なの……?」
俺が恐る恐る問いかけると、リーシアは不思議そうな顔をした。
「? 違うわよ……?」
嘘はついていない感じの顔だ。もっと言うと、頭にクエスチョンマークが浮かんでいるよな顔だ。はて? 違ったか? じゃあなんだろう、王族より下だけとテチュカの伯爵より上? 有力貴族みたいな……?
「そうなの? それだと、そのどうして、伯爵とは何と言うか……気さくな感じなの……?」
「………………伯爵が良い人だから……?」
リーシアはおっかなびっくりと、疑問形で答えた。これはちょっと誤魔化してる感じがする……
「ひ、秘密な感じ?」
「……待って、ロラン、違うの……私は偉い人とかじゃないの……引かないで……ただ、ちょっとだけね……その、ロランがびっくりするから言わなかったんだけどね……その、私ね…………」
そこで、リーシアは言葉を切り、こちらを窺うように見た。緊張している感じだ。俺も緊張しつつもリーシアを見守った。たのむ、怖くない系であってくれ……!
「私ね……そのね、便利な道具を作ったりしてるの…………旅してて、便利な道具を作ったりして……それを人に渡すこともあって……ヒストガの人にも渡したの。それで道具を気に入ってもらえたのかもしれないわ……」
恐る恐るとリーシアが言葉を紡いでいく。
便利な道具を配ったら気に入られた……? うーん? やっぱり魔道具職人か……?
「もしかして、魔道具を作ってるの……?」
「ううん、魔道具じゃなくてアーティファクトよ……?」
リーシアはぼんやりと答えた。次の瞬間ルミが慌てたようにリーシアの口に手を置いた。それをぽかんとした顔でリーシアは受け入れ、突如、ハッとした顔になった。
「待って、ロラン、違うの……」
「う、うん?」
「アーティファクトって言ってもね。凄いのじゃないのよ。簡単にできるやつよ……」
あわあわとリーシアが言い訳のような言葉を並べる。これたぶん凄いアーティファクト作ってる感じだよな……? というか、確か、アーティファクトって聞いたことが……あーえっと、確か、クリスクにいたとき勉強した気がする。魔道具の凄い版みたいな感じだったかな。しかもリーシアの雰囲気からすると、その中でも上澄みっぽい。
なるほどなるほど。俺の想像以上に凄い職人だったか。なるほど。旅する超一流職人か。国家が繋ぎとめておきたいから、ちょっとした無礼も許しちゃうと。
なるほど……?
一応筋は通るか……? リーシア自身はそんなに権威とか権力ではない……? ああ、いや、国家規模で引き留めが来るってことは、ある意味、並大抵の権威や権力より凄いか……
あれ、でもリーシアってこんなに弱そうな感じなのに、よく捕まらないな。俺が国家権力者なら、そこまで凄い職人さんなら捕まえると言う手も……? いや、でも協力してくれない可能性もあるし、無理やり作らせるのは倫理面以外でも合理面でも良くないか。むしろ、リーシアは善良な少女だし、頼めばやってくれそうな気がするから、ご機嫌窺いした方がいいか。なるほど、なるほど。ああ、それで音楽会か。それでこんな良い席が貰えるし、無理難題も通せるのか。
うーん、一気に納得したな。思ったより怖くない展開で嬉しい。リーシアは世界有数の職人みたいなモノか。職人さんを下に見るわけではないが、貴族とか王族とかよりは怖い感じはしないし良かった良かった。
それにテチュカの伯爵も融和的で理知的な人と分かったのも良かった。暴力でリーシアを従わせようとするのではなく、ご機嫌を取ってアーティファクトを作ってもらおうと考えているというのは良いことだと思う。良かった良かった。
「そっか、簡単にできるやつか。でも凄いね。アーティファクトって、なんか凄い魔道具みたいに聞いてたから。それが作れるなんて、流石だね」
「う、うん……」
リーシアは少し照れたように頬を赤くした。
「ちょっとびっくりたけど、そう言う事なら納得かな。伯爵もリーシアの技術力を凄く尊敬してるんだね」
「そ、そうよ……」
リーシアは俺が緊張を解いたのに気付いたのか、安心したような顔になった。そして俺たちのやり取りを見ていたルミもまた緊張を解いた。いやーめでたしめでたしだ。これで少しはほのぼのした気持ちで音楽を聴けそうだ。