三章36話 ほのぼの音楽会へ
吹雪が止んだ後もリーシア屋敷に入り浸ってしまって数日が経過した。
本日は、リーシアから興味深い提案を受けたため、それに乗っかることになった。
なんでも、今日リーシアたちは音楽会なるものに参加するらしい。「ロランも一緒に行きましょう……」とのお誘いがあったため、ご同行することになった。以前、俺が音楽が好きと言ったことを覚えていてくれたのかもしれない。
「そういえば、今日の音楽会って服装指定とかあったりする……? 実はあんまりフォーマルな服を持ってないけど、大丈夫かな……?」
「大丈夫よ。私も普段着で行くもの……」
明るい色の長髪を揺らしながら、リーシアがぼんやりと答えた。これは結構自信がありそうなぼんやり加減だ。良かった。たぶん大衆音楽会みたいな感じだろう。
一瞬、準上級階級のリーシアらしからぬとは思ったが、まあ、以前は一緒にカテナ教の大衆劇みたいなのを見たし、別におかしなことではないだろう。
「そっか、それなら良かった。いつ頃出発する?」
「迎えが来るって言ってたわ。たぶんそろそろよ」
またしても、リーシアがぼんやりと呟く。
ふむ? 大衆音楽会なのに迎えとかあるのか……?
なんか団体客みたいな感じで、リーシアはその一員みたいな感じだろうか?
まあ、リーシアに従っていれば大丈夫だろう。
そのようなほのぼのとした頭で、待つ事十数分、呼び鈴の音が屋敷に響いた。
「迎えの人が来たみたいですね……! ちょっと見てきます……!」
ルミが我先にと玄関へと向かった。それに合わせて、リーシアがゆっくりと動き出した。俺もリーシアに従い玄関へと向かう。
空けられた扉から、屋敷の外の異常な光景を目にしてしまい、俺はたじろいだ。
屋敷の外には大変立派な馬車が止まっていたからだ。幌馬車などではない。しっかりとした扉付きの客車がある大きな馬車だ。豪華でなんとも権力がありそうな人が乗ってそうな見た目をしている。車を引く馬も二頭立てで、大きく重量感があり力が強そうだ。しかも馬の見た目まで凛々しい。
ふむ……?
俺がたじろぎ困惑している間にも時間は進んでいる。馬車の近くにいるルミと見知らぬ男が視界に入る。男はこちらに気付くとルミに一礼した後、ゆったりとした動きで近づいてきた。二十代前半くらいの男だろうか。緩やかで、それでいて凛々しい。見た目も精悍で優れた容貌、上品で綺麗な服装からして一目で上流階級と分かる青年だ。いや上流の中でも上澄みだ。なぜなら、彼は、都市の支配者の一族であるヴィシニェフ家の紋章を服に身に着けていたからだ。
何でこっちに近づいてくるんだろうとぼんやりと考えていると、男が俺の前で礼をした――膝を僅かに屈ませ片手を胸の前に、そして頭を下げるように、まるで中世ヨーロッパのドラマに出てくる貴族のような仕草だ。
はて……?
「お久しぶりです、リーシア様。ヴィトルト・ヴィシニェフでございます。またお会いできたこと、恐悦至極でございます」
あ、ああ、そっか、俺じゃなくて、隣にいるリーシアにか。なるほど……? どうやら、この人はたまたまこの辺りに来たわけではなく、リーシアの下に来たようだ。そして、この人は恐らく音楽会の迎えの人であって…………どうやら普通の大衆音楽会では無さそうだ。
「久しぶり……?」
透明感のある声の中には疑問の色があった。
リーシアはぼんやりとした顔のままチラリとルミを見た。ルミが慌ててリーシアの傍に寄るとこそこそと何か耳打ちした。
「…………久しぶりね。伯爵の甥だったわね……? 覚えてるわよ……? 伯爵は元気……?」
実にぼんやりとリーシアがヴィトルトに話しかけた。ぼんやり5割、あわあわ3割、取り繕い2割みたいな顔だ。これは全然覚えていなかったパターンだな。
それにしても伯爵の甥か…………
…………?
……?
?
いや、それ、凄く偉い人じゃん。
なんで、リーシアはそんな人を忘れてるの? というか、凄い適当な態度。それに伯爵とか呼び捨てにしていいの? 伯爵様とか伯爵閣下とか呼んだ方がいいのでは……?
あ、いや、なんか、でも、目の前の伯爵の甥も気にして無さそう。というか、なんか凄い営業スマイルみたいなのを浮かべている。物腰も低い感じだし……これってこの人が『感じが良い人』なだけだよね……? 実はリーシアの方が偉いとかじゃないよね……?
ちょっと怖くなってきたぞ……いや、リーシアの方が偉いはずがない。ある程度リーシアも権威はあるかもしれないが、伯爵の甥よりは下のはずだ。あ、でも、今、リーシアのこと『リーシア様』って……いや、いや、いや職人さんってそこまで偉くないよね……? 俺の知らないだけで職人さんって凄く偉いのかな……? あ、いや、そもそも職人が副業で、本業は別という可能性もあるか……? うーん。
「覚えて下さって光栄でございます。このままリーシア様と言葉を交わすことができれば、と思っておりますが、そのような名誉を授かるには私の身分では許されないでしょう。馬車を用意いたしました故、お乗りください。会場までお連れいたします。お弟子様と従者の方も、どうぞ」
そういって伯爵の甥はリーシアの他、ルミと俺の方にも目を向け、声をかけた。大変上品な感じの人だ。それに俺やルミにも普通に『感じが良い』。ルミはともかく、俺にまで『感じが良い』ということは、やはりこの人が大変紳士な人というだけかもしれない。いや、そうであってくれ……!
俺とルミとリーシアは馬車に乗り込むと、伯爵の甥は扉を閉めて御者台へと移った。
伯爵の甥自ら御者を……!? あ、いや、元々御者が一人いた気がするからそれは大丈夫か。でも何で一緒に乗らなかったんだろう……?
いや、まあ、馬車の中に入ってもらうと、俺も気まずいからその方が助かるけど……なんで……?