三章幕間 スイとうさぎ
ヒストガ王国、某所にて。
深い雪の中を、一人の少女が歩いていた。
数日前に降り積もった雪はまだ厚く、冷え込んだ空気のおかげでそのままの状態を保っている。雪は固まることなく、少女が足を踏み入れるたびにロングブーツがずっぽりと沈み込み、ずぼずぼと柔らかい雪を踏む音が響いた。
灰色の髪に美少女――スイは、辺り一面の白銀の世界を見渡した。
スイの周りは、しんとした静寂に包まれている。雪の白さに吸い込まれるかのように音はほとんど消え、彼女の足音と吐く息だけが小さく響いていた。しかし、その静けさはスイの心を落ち着かせるものではなかった。
「うむー。流石に退屈だな~」
ここ数日の間、スイは人に会っていなかった。
大雪によりヒストガの交通網は大打撃を受けた。それによりスイの『お兄さん追撃作戦!』も頓挫するかのように思われた。だが、スイは一味違った。ユリアたちと違い、単独であり、また自然の恐怖など殆ど気にしていないスイは、騎乗という移動手段を諦め、『徒歩』という究極の移動手段で、ヒストガ王国を一気に東に進むことにしたのだ。藤ヶ崎戒がいるテチュカまで、一直線にスイは向かっていた。
しかし、ヒストガの多くの都市が雪に閉ざされている。そんな中、一人、東に突き進むスイは、その代償として、孤独な進撃を余儀なくされた。
「からかう人がいないとな~。やっぱりお兄さんを早く確保せねばなっ……!」
内心で、スイは、どうしても相手がいなかったら『鏡』でも見るかと思ったが、すぐに、怒られそうだから止めておこうと考えた。
「でも、退屈だな~。うむ! 歌でも歌うか……!」
そうしてスイは雪の中を進みながら、歌い始めた。
「すいっ、すいっ、すいっ! スイちゃんはね~、
雪の中を進むんだ~、
誰もいなくて退屈だ~、
お兄さんは、責任を取れ~、懲役10億年~、恩赦はない~
一緒にデートして、串焼き食べて~、お話するぞ~
すいっ、すいっ、すいっ! スイちゃんはね~、
不思議な力で、お兄さんの夢の中に出る~
夢を、操りっ、アレするぞ~
お兄さんの頭をアレするぞ~
ぜんぶ~、ぜんぶ~、アレするぞ~
すいっ、すいっ、すいっ!
すいっ、すいっ、すいっ!」
即興で作った歌の1番を歌い終えると、スイは雪を踏みぬきながら、2番を歌い始める。
「すいっ、すいっ、すいっ! スイちゃんはね~、
開けたとこなら、余裕だよ~
建物ないなら、ビーム撃つ~、森がないならビーム撃つ~、
ビームで雪を溶かしちゃう~、
必殺ビームは最強だ~、スイちゃんビームは最強だ~、
黒いぐずぐず追い払う~、偽ユリアも追い払う~、
ついでにユリアも追い払う~、ユリアイチャイチャ許さんぞー
ゆりっ、ゆりっ、ゆりっ、ユリアはね~、
可愛いふりして、ヤる気ある~、
隙を見せたら、やられるぞー、
紅茶を使ってイチャイチャするー、
お兄さんと勝手にイチャイチャするー、
あと、ユリアの足はくさいっぞ~、間違いない~」
事実無根の歌を歌いながらも、開けた場所に出たスイは『熱線』を使い雪を溶かした。僅かな時間で雪は水に変化し、さらに蒸気へと変化する。スイの巧妙な『熱線』により、彼女の進路にある雪のみが消失する。瞬間的に行われた雪かきによってできた道をスイはスキップをしながら駆けて行った。
可燃物が少ない場所では『熱線』を使い無理やり雪かきをして進み、そうでない場所では雪を踏みしめる無理やりな強行軍。それにより、スイは既に目的とするテチュカまでの距離の三分の一を踏み越えていた。
※
そうして、ヒストガ王国を横断するスイであったが、彼女もまだ人間であった。
つまり、食料の補給や睡眠、そして、精神的なゆとりを求めて休憩をすることがあった。『力』により肉体の強度が上がっているが、それでも、精神的な安息は必要なのだ。
スイは、森の中にあった大きな切り株を見つけると、ゆっくりと腰かけた。そして座ったまま目を瞑った。
しばらくの間、静寂が森の中を支配した。先程までの珍妙な歌はない。スイが一言も言葉を発しないからだ。
目を閉じたまま、スイはまるで森と心を通わせているかのように動かない。森の中に薄っすらとある生命のささやきや、雪の結晶ひとつひとつの小さな音が静寂の中を小さく木霊する。
この静かな時間の中で、スイはただ存在し、雪と森の一部となっている。どこか儚く、同時に強く何かを感じさせるその姿は、まるで伝説の中から抜け出してきた神秘的な存在のようだった。銀色の髪が風で僅かに揺らいだ。
ふと、スイは何かを感じ取り、目を開いた。
いつの間にか切り株の近くにいた、一匹の小さな兎――ティーラビットが白い体を震わせた。
スイの水色の瞳と、ティーラビットのつぶらな瞳が交錯した。
「ティーラビットだぁ~」
灰色の髪を靡かせながら、スイはにっこりと微笑んだ。
「スイちゃんは、うさぎが好きです……!」
ティーラビットはスイを警戒するように見た。そのティーラビットの反応から、スイは故意に笑みの形を変えた。天使のような深い優しさを示した笑みを作ったのだ。
もし、スイを知らない人がこの状況を見れば、スイを『とても優しい天使のような少女』と誤解しただろう。もし、スイを知る人がこの状況を見れば、『何か企んでいる』と考えただろう。
しかし、このティーラビットはスイを知らなかった。
スイは優しい表情のまま、両手を広げゆっくりとティーラビットに近寄った。ティーラビットは、警戒を解き、近づくスイをつぶらな瞳で見た。
ふと、スイの表情が歪んだ。一瞬だけ、可愛らしくも邪悪な笑み――つまりは、普段のスイの笑みが漏れたのだ。
ティーラビットは駆けだした。野生の鋭さが、瞬時に危険を読み取ったのだ。だが、手遅れだった。
凄まじい反射神経で、スイはティーラビットが動き出したのとほぼ同時に動き、一秒を数える前に、ティーラビットを捕まえたのだ。
「ぐっへっへっへっへ……スイちゃんはうさぎを食べるのが大好きだぁ~」
捕まえた兎を自身の顔に近づけて、スイは邪悪な笑みとともに邪悪な言葉を放った。
ティーラビットは慌てたように暴れるが、スイの『力』の前では無意味だった。
「うさぎの~、おてては~、どんな味~」
スイは口を大きく開けて、舌を出すと、その舌を兎の手に近づける。
兎は精一杯暴れるが、スイの『力』に抑え込まれてしまう。
そして、スイの舌が兎の手に触るかどかのギリギリのところで、スイは舌をひっこめた。
「ぐへへ~、ビビったか~」
そう言うとスイはつんつんと兎を軽く突いた。兎はわたわたと体を震わせた。
スイはニヤリと邪悪に笑うと、兎を丁寧に撫で始めた。片手で兎を抑え、もう片方の手で兎を撫でる。
突然体を撫でるスイに対して、兎は最初こそ警戒心と恐怖心からびくびくと体を震わせていたが、すぐにスイの撫で方を気に入ったのか、体の力を抜いた。
それに合わせて、スイはさらに丁寧に、気持ちよく兎を撫でた。兎がどんどんとろけていった。
そうして数分間、ただただ、スイは無言で兎を撫でた。兎は気持ちよさそうに小さな音を漏らした。
兎の様子を見てスイはニヤリと邪悪に笑うと、撫でる手を止めた。兎が物欲しそうな目でスイを見た。
「快楽で堕ちたなっ……! チョロいやつめ……!」
スイは満足そうに笑うと、兎を撫でながら再び歩き出した。
「すいっ、すいっ、すいっ! スイちゃんはね~、
うさぎと遊ぶんだ~、
うさぎのおててはどんな味~、うさぎのあんよはどんな味~、
ティーラビットは紅茶の味~、お湯に漬からせれば~、
本物の紅茶~、ユリアも飲んでる~
すいっ、すいっ、すいっ! スイちゃんはね~、
ちょろいうさぎを堕としたぞ~、
撫でればイチコロ~、お兄さんもイチコロ~
お兄さんはチョロい~、スイちゃんの輝く銀髪でイチコロ~、
くーぜんぜつごっのスイちゃんが~、
お兄さんをイチコロ~、テチュカにて~、
黒いくずくずこわくないっ! 偽ユリアもこわくないっ!
ついでにユリアもこわくないっ! でーもリュドミラお前は駄目だっ!
お前はエロエロクッキーマウント エロエロ聖女は呼んでない~!」
珍妙な歌を歌い、灰色の髪を靡かせ、兎を撫でながら、スイはテチュカの街へ向かうのであった。