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3章27話 汚染を消し去る炎


 ぼんやり、ぼんやりと意識がまどろむ。何かが頭の中を巡っている気がする。ただ、不快感はなく、むしろ落ち着くような感覚がある。少しくすぐったい気もするが、だんだんとそのくすぐったさは消えていき、それと同時に微睡みも消えていく。徐々にはっきりと周囲が見えるようになる。はて? ここはどこだろう?

 丘の上のような場所だ。辺り一帯には草原が見える。吹く風が気持ちいい。あれ? でも、何か変なような……?


「カイ様」


 ふと美しい少女の声が耳を撫でた。思わず、そちらを見る。

 そこには、非常に精巧な顔立ちの美少女が立っていた。銀色の髪を靡かせ、片手を背の後ろに隠したその少女は可憐さと妖艶さを併せ持ち、そして何より、俺の心が求めてやまない存在――リュドミラであった。


「リュドミラさん……?」


 どうして、彼女がここにいるのだろうか。俺とリュドミラはずっと前に……? ん……? ずっと前……? あ、いや、ん? あれ? 何か、忘れているような。何か大切なことを忘れている気がする。でも、俺とリュドミラはしばらく会っていなかった気がするし、こうやって会えたのは良い事だろう。


「また会えて嬉しい限りです。ふふっ、まさか、このような場所でお会いできるとは……主に感謝と言うべきでしょうか」


 喜びを隠せないかのように、笑みを浮かべたリュドミラは片手を背の後ろにしたまま、一歩一歩俺の方へと近づいてきた。

 どうしてか、俺は一歩後ろへ下がって、リュドミラと距離を取った。はて? どうしてだろう。あんなに恋焦がれたリュドミラと、こんな見晴らしの良い場所で会えてのだから、もっと、こう……あれ? そういえば、ここはどこだろう? なんでこんなところにいるんだろう? 俺はさっきまで……? あれ? さっきまで……? なんだっけ……?

 俺が一歩下がったのを見たリュドミラは、意味深に笑った。そして素早く距離を詰め始めた。俺は頭の中の疑問を感じつつも、三歩四歩と後ろへ下がる。


「カイ様、どうして、逃げるのでしょう?」


 問いかけるリュドミラの表情はこちらを面白がっているように見えた。


「え? あ、いえ? なんとなく……? あれ?」


 リュドミラの表情の理由も分からず、そして、リュドミラが近づいて来る理由も、俺が距離を取る理由も分からず、ただただ疑念ばかりが降り積もる。ただ、それでも、忘れている何かが、リュドミラには近づいてはいけないと言っているかのように俺には感じた。


「ふふっ……『なんとなく』で避けられてしまうのは悲しいことです。ですから、カイ様、どうか教えて下さい。なぜ逃げるのでしょうか。何か(やま)しいことがあるのでしょうか……」


 じりじりと距離を詰めながらリュドミラが言葉を紡ぐ。俺はリュドミラが詰めた分だけ距離を離すように後ろへ下がっていく。


「い、いや。そんなことは、無いかと……?」


 本当に心当たりはない。ないが、ただ、どうしてか、体は後ろへ下がっていく。まるで心当たりがあるかのようだ。


「正直に話していただけないのですね。残念です、カイ様……ふふっ、本当に残念です。これでは与える懲罰を一つ増やさなくてはいけないのですから」


 『残念』と口にしながらも、リュドミラは愉しそうに笑った。


「え、あ、いや……リュドミラさん、いったい何の話を……?」


「惚けてはいけませんよ。カイ様が悪魔憑きであることは、もう分かっているのですから」


 そう言うとリュドミラは、背中に隠していた片手を前へと出した。その手には革製の輪のようなものが握られていた。


「素直に認めれば、首輪を嵌めるだけで許そうかと思いましたが……ふふっ、『非協力』に、『虚偽』に、『逃亡』、せっかくですから『抵抗』もつけてしまいましょうか。これだけ反抗的ですと、厳しい懲罰を与える必要がありますね。ふふっ……」


 革製の輪――首輪を弄りながら、リュドミラは嬉しそうに語り出した。


 俺は彼女の語りを聞いて、ようやく思い出した。

 そう、悪魔憑きだ。そうなのだ。俺は悪魔憑きなのだった。忘れていた。

 何故忘れていたのか、疑問は尽きないが、兎に角、思い出した。俺は悪魔憑きでリュドミラはカテナ教の聖女。つまり、対立関係にあるのだ。というか、それで俺は逃げていたのだ。リュドミラから……? あれ? 違くないか? 俺が逃げていたのは……ええっと、あの、あの、あの少女……誰だっけ? あの、えっと……あ! 思い出した! ユリアだ。確か、俺はユリアから逃げていたはず……だよな? 確か、そうだったはずだ。俺はユリアから逃げていて、それで、それで、どうしたんだっけ?

 いや、でも兎に角、ユリアから逃げているのだ。リュドミラではない。


「い、いや、誤解があります。リュドミラさん、あの、俺は、逃亡はしてないですよ。リュドミラさんからは……?」


 なんだかおかしなことを言っている。あれ? 何でこんなこと言ったんだ。どっちにしろユリアから逃げてるんだったら、それはユリアと同じカテナ教に属しているリュドミラからすれば同じなはずで……あれ? 頭がこんがらがってる?


「先程、私から逃げてしまっています。それで十分、逃亡の罪は加算されました。ふふっ、こうして話をするのも良いですが、そろそろ聖女の務めを果たしましょう。カイ様、今からあなたを拘束します。話の続きはその後にいたしましょうか」


 そう言ってリュドミラは手を叩いた。

 次の瞬間、首が絞めつけられる感覚がした。それと同時に手が後ろに引っ張られ、何かが巻きついた。さらに足にも何かが絡まる感覚がした。


「え? え?」


 俺は突然の事態に驚きつつ自分の体を見る。気付くと手枷が後ろ手に嵌められ、足には足枷がついてた。リュドミラは、にんまりと笑顔を浮かべている。彼女の手には何もない。先程まで弄っていた首輪はなかった。そして、今の自分の首には何かが巻きついている。恐らく、リュドミラが先程まで持っていた首輪が嵌められている。


「ちょ、あの、リュドミラさん……!?」


 驚愕しつつリュドミラを見ると、彼女は愉しそうな笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに近づいていた。先程まで首輪を弄っていたリュドミラの手には、気付けば鞭が握られていた。


「あ、あ……うお!?」


 俺は恐怖を感じて後ずさるが、すぐに転んでしまった。足枷が嵌められていたことを考慮せずに後ろに下がったせいだ。不味いと感じ、急いで起き上がろうとするが、それは強い力によって阻まれた。

 強い力が俺の頭を地面に縫い留めた。視線を動かし、力の正体に気付く。足だ。リュドミラが倒れた俺の後頭部を踏みつけているのだ。


「ふふっ、捕まえましたよ、カイ様」


 リュドミラは声に弾むような色を混ぜながら、俺の頭をぐりぐりと踏みつけた。

 痛い。

 これはいけない。なんとかこの態勢を脱しなければ……!

 俺は脱出を試みようとするが、両手足の枷と、リュドミラの足で頭を抑えつけられているせいで、上手く体を動かせなかった。


「暴れてはいけませんよ。あまり抵抗されると、加減を間違えて頭を踏み砕いてしまうかもしれません」


 頭上からリュドミラの声が耳を撫でた。それと同時に、後頭部にかかる圧力が増した。リュドミラの靴裏の凹凸が後頭部に食い込み痛みを発する。その痛みとリュドミラの警告に怯み、脱出を試みようとする僅かな動きを止めた。


「ふふっ、大人しくしていてくださいね? 今、カイ様にどんな懲罰を与えるか考えているのです……やはり聖導師らしく、鞭を使いましょうか? 想いとともに激しく打ち付けて肉を抉りましょうか? それとも優しく撫でてるように皮を少しずつ剥いでいきましょうか? カイ様、どんな風に鞭で打たれたいですか?」


 穏やかで、どこか蠱惑的な声。だけれど内容はあまりにも人を恐怖させるものだった。


「――」


 思わず、小さな呻き声が漏れてしまう。

 とても怖い……

 俺の恐怖が伝わったのか、リュドミラは頭を踏む力を弱めた。そして、一度こちらの頭を名残惜しそうに何度か踏むと、足を後頭部から放した。そして、靴先で俺の顎を突き、無理やり顔を上へ向かせた。リュドミラと目が合った。彼女はとても満足そうな笑みを浮かべていた。


「そんなに怖がらないで下さい、カイ様。どうせなら、愉しくいたしましょう? 二人きりでできる秘密の儀、中々に無いことなのですから」


 満面の笑みで言われた言葉――普通であれば、もっと安全で、見方によっては色気がある言葉だったかもしれない。けれど、この状況だと恐怖以外の感情が持てなかった。

 俺は恐怖をできるだけ抑えて、必死に言葉を作った。


「あの、その……本当に、許して下さい……本当に、やめて……お願いします。許して下さい」


 できるだけ、同情を買うように、必死にリュドミラに懇願した。


「やめてほしいですか?」


 何かを試すようにリュドミラが問いかけた。


「はい、欲しいです。お願いします……」


「懲罰をやめたら、私に何かメリットはあるのでしょうか? カイ様は何を差し出してくれるのでしょう?」


 リュドミラは値踏みするように俺を見る。

 これは、もしかしたら、何とかなるかもしれない。


「その……なんでも、お渡しできるものならお渡しします。できることなら、やります……」


 今の状態から脱出するためならば仕方がない。多少の損失は我慢するべきだ。

 そう自分に言い聞かせた、言葉を作った。

 リュドミラが笑みを深くした。


「何でも……ふふっ、では、『靴を舐めろ』と私が命じれば、靴を舐めるのでしょうか?」


 そう言うと、リュドミラは靴先を俺の顔の前へと向けた。


「…………も、もちろん、です……それで、許してもらえるなら……」


 我慢だ。とにかく、今は鞭打ちを中断させ、そして拘束を解く流れに持っていかなければ。リュドミラの機嫌を損ねてはいけない。

 リュドミラと目が合う。

 彼女は悩まし気な表情をした。数秒ほど時間を置いて、リュドミラは口を開いた。


「それはそれは……実に興味がありますが、今日のところは止めておきましょう。そんなことよりも、今、私はカイ様に懲罰を与えたいのです」


 靴先をこちらの顔の前から離して、リュドミラは鞭を持つ手に力を込めた。


「懲罰を行いましょう……ふふっ、ご安心ください。優しく撫でるように、少しずつ削いであげましょう」


 恐ろしい事を言いながら、リュドミラが鞭を構えた。


「ゆ、許し――」


 何とか懇願しようとするが、全てを話す前に、リュドミラが俺の頭を再び踏みつけて、言葉を中断させる。


「それでは、鞭の味を心ゆくまでご堪能下さい」


 美しく朗らかにリュドミラが宣言し、鞭が振り降ろ――

 …………

 ……?


 鞭は振り下ろされなかった。その代わり、何かが遠くで強く光った。


 後頭部を踏む力が弱まった。いや、無くなった。俺は疑問を感じ、上を、リュドミラがいる方を見た。


 大きな穴が開いていた。


 リュドミラの体、腹部に大きな穴がある。さっきまではなかった。いや、というか、人間に大きな穴はない。大穴は空洞で、穴を通して、景色がよく見える。

 ……??

 え? なんで、穴……?

 俺が戸惑っていると、穴が変化し始めた。穴の断面が燃え始めたのだ。断面が発火し、炎の円ができる。その炎の円は一瞬で広がり、リュドミラを燃やし尽くした。


 は……?


 意味が分からなかった。意味が分からなかったが、俺の体は反射で炎から遠ざかろうとして、地面を転がろうとする。しかし、体につけられた拘束具のせいで、たいして転がれずに、むしろ、首が強くしまった。鈍い声が漏れる。そしてその間にも、炎の円が広がり、俺の体へと燃え移る。

 あ、熱い……! ん? あれ? いや……? 熱くない……?

 炎はまるで意志を持ったように俺の体を這った。そして、首、手首、足首に纏わりついた。暖かいが、熱くはない……?

 拘束されているため、抵抗もできずに体を這う炎を眺めていると、何かが壊れる音がした。そして、ぼとりと何かが落ちる音が三つ同時に響いた。視線を音の先へと向ける。枷が燃えていた。俺を拘束していたリュドミラの聖具が燃えていたのだ。立ち上がり、自由になった両手で首を触る。当然首輪はない。足も動かせる。もう一度枷を見る。既に燃え尽きていた。


 なんだ、これは……?


 俺はリュドミラがいた方を見た。

 既に亡骸はない。燃え尽きたのだ。何かが光って、リュドミラに穴が開き、そしてリュドミラが燃え出して、燃えた炎が俺に移って、なぜか俺は燃えず、枷だけが全て燃え尽きた。

 意味が分からない。

 いったい、これは……?


――疑問を感じる最中、ぐにゃりと視界が歪んだ。


 立ち眩みのような感覚を覚えて、体を屈める。

 ぐわんぐわんと、めまいがして、姿勢を保てなくなり、その場で崩れ落ちる。

 なんだ、これは――

 そう思いながら、意識が闇へと引きずられていった。



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― 新着の感想 ―
これを見て私の心はドキドキしました リュドミラ様に当たったのが火の玉か光の玉だったということは、それをやったのはスイちゃんってこと? とはいえ、リュドミラに踏みつけられることを望む特別な人もいるだ…
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