3章23話 冠と水筒
「終わったわね……」
演劇が終わり、各ベンチから少しずつ人が立ち上がっていく中、隣にいるリーシアが呟いた。
「終わったね。始終、ヘルミーネが良い人みたいな感じだったね。良い話だったと思う。見れて良かった。リーシアはどうだった?」
「…………私も、ロランと一緒に見れてよかったわ」
リーシアはぼんやりと答えた。このぼんやり感は、『ぼんやりしているように見えて考えている』、ではなく、『普通にぼんやりしている』感じだ。あまり興味が持てない内容だったのだろうか。まあ、話としては単調だったし、興味が持てない気持ちも分からなくもない。というか、俺もカテナ教を意識してなかったら、もっとぼんやり見ていたかもしれない。たぶん、リーシアはカテナ教にあまり興味がないんだろうな。
「それなら良かった」
あまり興味のない話題を延ばすのも悪いかと思い、適当に話を切り上げようとすると、急にリーシアがハッとした顔になった。
「ロラン、あのね……違うの……」
ふむ……?
「あのね…………興味がなかったわけじゃないの」
どうも『俺がリーシアに対して思った事』をリーシアは読み取ったようだ。よく分かったな……
「あ、いや、それはなんかごめん」
「ううん……ロランが悪いわけじゃないの……えっとね…………この劇、前どこかで聞いた気がするの。だから、最後のシーンも知ってたから……」
なるほど、オチを知ってたからか。うん? でも、それって結局、オチを知ってたから興味がないって話じゃないのか……?
うーん、なんかよく分からない流れだ。話の流れを少し変えるか?
「ああ、なるほど。それでね。『治療院』を皆のために作るっていうのは良い最後だったね。印象的なところがあるから、リーシアの記憶にも残ったんだろうね。あ、あと、俺、ちょっと気になっちゃったんだけど、あの冠って何なんだろうね。師匠の聖女リリアナから受け取ったみたいな冠。あれがずっと気になっちゃって……いや、たぶんカテナ教のシンボル的なものだと思うから、詳しい人なら知ってると思うし、きっと重要な意味があると思うんだけど……俺は詳しくないから、あれがずっと頭から落ちないか気にしちゃってて…………あ、ちなみにリーシアは知ってたりする、あの冠?」
話を少しだけ変えつつ、ついでに気になった点について聞いてみる。まあ、リーシアもカテナ教には詳しくないだろうし、たぶん分からないと思うけど、一応聞いておいて、分からないになったら、適当に、『わかんなかったよねー』みたいな話をしてから、ルミと合流まで話を膨らませたり萎ませたりしながら進行だな。
そんなことを考えながらリーシアの返答を待つ。
待つ。
……待つ。
リーシアは俺の質問には答えずに、急にごそごそと自身が身に着けている小さなポーチを漁り始めた。
そしてしばらく無言でごそごそと漁る。そうして数十秒ほどしてリーシアはようやく声を漏らした。
「あら……?」
そして不思議そうな顔をしながら、ポーチをまじまじと見つめた。さらに数十秒ほど時間をかけて、納得したような顔になった。そして、すぐに何かに気付いたような顔になり、急に顔を俺の方へと向けた。俺とリーシアの視線が合う。リーシアは一瞬びくりと体を震わせて、それから顔を赤くした。
「ロラン、あのね……違うの……」
違うようだ。
恐らくだが、俺の質問に答えるタスクよりも優先するべき事項が生じて、さらに優先事項が達成できず別のトラブルが発生して、それらを判明したあたりで、俺の質問を思い出して、『しまった!』というような気持ちになったのだろう。適当な予想ではあるが、たぶん違くないと思う。
「うん、どうしたの?」
俺が聞くとリーシアは気まずそうに視線を逸らした。
「喉が渇いたから…………水筒を取ろうとしたのよ…………」
なるほど。水筒を探すことを優先していたようだ。
確かに、リーシアは演劇中に水分補給をしていなかった。それは確かに重要なことだ。
「ああ、なるほど。それは確かに大事だね。あ、でも水筒は……?」
見た感じリーシアは水筒を持っていない。というか、その小さなポーチに入れるとすると、だいぶ小さい水筒になりそうだが……もう少し大きなポーチを持った方が良いのではないだろうか。
「えっとね…………いつもはこの中にあるの……でも、『ある方』は今はルミちゃんが持てって……」
ある方……?
うーん?
「水筒はルミが持ってるってこと……? ……あ! そっか、そういえば二人でお揃いのポーチだったね。なるほど。もしかして、二人でお互い逆の方を持っちゃってるのかな? リーシアが本来持ってる方、つまり水筒が入ってる方を今ルミが持ってて、それで、本来ルミが持つ方を今はリーシアが持ってるのかな。ああ、だから、探しても見つからなかったんだね」
確かに、二人は同じポーチを身に着けていた気がする。
まあ、どちらのポーチでも大きさは同じだからどっちにしろ水筒の大きさが気になるが……ああ、それ以前に自分のものではないポーチをもっていたとしても数十秒もせずに気付くのが普通ではないかというツッコミがあるが、まあ、リーシアの独特なリズムは今に始まったことではないし、気にするべきところではないか。
リーシアは、常に独特な『ぼんやり』具合なのに、盤上遊戯は強いんだよなー、うーむ、なかなか面白い。
「…………そ、そんな感じよ……」
リーシアは気まずそうな顔をした。彼女なりにも、ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。まあ、俺も逆の立場だったら恥ずかしいと思うので、気持ちはわかる。
「そっか、それは残念だったね」
ふと、俺はあることに気付いてしまった。どうしようか。提案するべきか……
うーん。
まあ、一応しておくか。ルミといつ合流できるか分からないし。
「えっと、その、リーシア、もし良かったらなんだけど、俺の水筒使う? まだ入ってたはずだし……まあ俺が飲んじゃってるから嫌だったら別にいいんだけど。あ、いや、ごめん、その辺の出店で買った方がいいか」
勇気をもって提案したが、すぐに提案が間違いだと気付く。周りの人たちのように出店で水分補給すればいいじゃんと。
「……え、あ…………うん」
リーシアの了承も得たので、善は急げとさっそく立ち上がり飲み物が返そうな出店に向かって歩き出そうとする。しかし、それは阻まれた。服が伸びたような感じがしたからだ。気になりその方を見る。リーシアがベンチに座ったまま、手を伸ばして、俺の服の袖を摘まんでいたからだ。
小さな力だ。きっとこのまま俺が進めば自然と袖はリーシアの指から抜けるだろう。
ちょこんとベンチに座るリーシアは頬を真っ赤に染めていた。
「あ、あのね……ロラン…………嫌じゃないわ…………そ、その、水筒、の、飲んでみたい……わ」
リーシアは緊張しながら、ゆっくりと語句を口にした。恐る恐る、一言一言、語句が進むたびに、リーシアの頬の赤みが強くなっていった。
えっと、これは、しまった。
俺は色々と無配慮だったみたいだ。
というか、リーシアは以前俺に告白したのだから、この反応は俺も予想するべきだったかもしれない。
リーシアは困らせてしまったようだ。
うーん、どうしよう。別に俺としては水筒をリーシアに渡すことは問題は無いのだが…………俺の水筒をリーシアに渡したら気絶したりしないだろうか……? ちょっと自惚れすぎるかもしれないが、このリーシアの現状を見ると、そのような結果になっても俺は驚かないぞ。
「そうだね……えっと……」
自分から提案したことなので、断りにくい。どうしよう……水筒を渡してしまってもいいものか……
俺が悩み、リーシアが顔を赤くするという独特の空気感を、聞き覚えのある声が切り裂いた。
「リーシア様! ロランさん! 戻りました! あ、それと、リーシア様、喉乾いてませんか? 水筒ありますよ!」
そう言ってルミは小さなポーチから水筒を取り出した。ん? 思ったより大きい水筒だ。というか、ちょっと変じゃないか。なんかポーチに入る容量を無視してないか? どうやってしまっていたんだ?
「え……あ、うん…………ありがとう、ルミちゃん」
リーシアは少し残念そうにしながらも、ルミから水筒を受け取った。
そんなリーシアの様子に、ルミは首を傾げた。
ごくごくとリーシアが水筒の中身を飲んでいく。単純に喉が渇いていた以外にも、体が火照っていたのか、飲む量が多い。
うん……なんだろうか。なんか、リーシアが水筒を飲む姿がちょっと色っぽいな。リーシアは凛として清楚な感じの見た目なのに、なんで色っぽいとか思うんだろうか。彼女の頬が赤くなっているからそう感じるのだろうか。
ごくごく、ごくごくと飲むたびに頬の赤みが薄れていった。そして満足するまで飲み終わると、リーシアは水筒をルミへと返した。ルミはそれを受け取ると、にやにやしながら、俺の方を見た。
「ロランさんも喉乾いてませんか……!」
そして水筒をぐぐっと俺の方に押し当ててきた。ルミは途中から来たからか、微妙に嚙み合わないな。いや、勿論、それはしょうがない事なんだが。
「確かに喉は乾いてるかも」
「それなら、この水筒を――ああっ!」
ルミが全て言い終わる前に俺は自信の水筒を取り出し、中身を口に含んだ。うむ、喉が癒されたな。
「むー、水筒持ってましたか……むむ? もしかして、さっき…………あっ! ご、ごめんなさい、リーシア様」
ルミが状況を察したようだ。
「い、いいのよ……気にしないで、ルミちゃん」
リーシアは先ほどのことを思い出したのか、再び頬を少しだけ赤くした。
「えっと、そうね、そろそろ行きましょうか。三人でもう少し定期市を回ってみたいもの」
ルミの失敗を誤魔化すようにリーシアは優しく微笑んだ。